第6話
十二月二十三日、全日本新人王決定戦当日。
会場の外で今か今かと待っていると、車椅子を引いた女性の姿が視界に入る。
車椅子での観覧は数が決まっている為、母の席を確保出来たのは本当に運が良かった。
「オカン!…良かった。無事に来れたか。苦しないか?見とってや、必ず勝つからな。」
駆け寄った俺を、母はやせ細った体ながら柔らかい笑みで迎えてくれる。
「今日は調子ええよ。誠司の晴れ舞台やからな。しっかり見とかんと。」
強がりではなく、本当に体調が良さそうでその声は力強ささえ感じられた。
「紀子さんも本当に有難うございますっ!」
「こっちの事は気にせんと、あんたは試合の事だけ考えとき。」
その通り、母の事は紀子さんに任せておけば間違い無いだろう。
俺はその言葉に甘えて遠慮なく控室に戻る。
「いけるんか谷口?相手強いぞ。気合で負けとったら勝ち目なんぞあらへんからな。」
岡田トレーナーの言葉に力強く返事を返した後、一つ頼み事をした。
「岡田さん、今日の試合、塩試合だけは絶対する訳にいかんのです。最初からバチバチに打ち合いますけど、必ず勝ちますんで何も言わんと見とって下さい。」
「分かっとる。今日は俺も会長も誰も何も言わへん。お前の全部出し切ったれ!」
頷いた後、今日の相手の情報を整理しながらシャドーを開始する。
打ち合うと言っても相手のある事、向こうが乗ってこなければ始まらない。
そして運が悪い事に、相手も俺と同じ距離を取って戦うタイプで、KО勝ちの無い選手。
(いや、関係あらへん。例え相手が下がっても俺が突っ込んでいけばええ話や。)
例えそれでどんなに打たれようとも、今日は引く事等考えられない。
「谷口選手、準備お願いします。」
係員から声が掛かり、いよいよかと気合を入れ直した。
初めての会場は知っている雰囲気とは違い、些かの戸惑いを覚えてしまう。
通路を歩き、階段を上がり、観客席の裏を通って直ぐ、リングを視界に捉えた。
車椅子の観覧席は青コーナー側直ぐ傍の最前列、今から俺が通る道は、母の目の前だ。
視線を向けると、母は祈るような仕草で力強い視線を向けてきた。
見ててくれという意味を込め頷き返し、松脂をシューズに着けた後、弾みをつけ勢い良くリングに駆け上がった。
観客の微かなざわめきが聞こえる中、リングアナの両選手紹介も終わりレフェリーが中央に呼ぶ。
「お互いバッティング、ローブローに注意して………」
聞きながら、俺は意思を乗せた視線を相手にぶつけていた。
そんな事をしても何も変わらないかもしれない。
だが、どうしてもせずにはいられなかったのだ。
コーナーに戻ると、岡田トレーナーが何も言わずマウスピースを差し出してくる。
それを銜え向き直ると、始まりを告げるゴングが響いた。
礼儀としてリング中央グローブを合わせた後、重心を下げ前傾姿勢を取る。
至近距離で打ち合うという意思を込めた形だ。
「……ん!?」
自分から誘っておいて一瞬驚いてしまった。
見れば相手も同じ、足を止めて打ち合おうと言っている。
断る必要などある訳が無く、開始直後からリング中央、火花の散る打ち合いが展開された。
全く予想していなかった光景を見た観客の動揺も伝わってくるようだ。
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