第97話
本に集中しているレオンを置いて、佑樹とエンリケは別室に移動している。
子供たちは、はしゃぎ疲れたのか昼寝の時間となっていたりする。
「あの本はなんなんだ?」
疑問をストレートにぶつけるエンリケに。
「兵法書だよ。」
と、簡潔に答える佑樹。
「
そう続ける。
「兵法書か。
だが、だからといってあそこまで集中するとは思えないんだが・・・」
エンリケの疑問には、弟が佑樹に従っているように見えることへの問いかけもある。
「レオンは視野は狭いかもしれないが、馬鹿じゃないってことだな。」
「どういうことだ?」
「相手の意図を読み取る力はあるってことだよ。」
ここで
「皮剥きの時の、ユウキの動きを見て意図を感じ取ったのか。」
「全てではないにせよ、相手がなぜ見せつけるかのように皮を剥いていたかは、それなりに理解したんだろう。」
「それで、ユウキのすることにはなんらかの意図があると、そう思ったからこそあの本を読んでいるというわけか。」
「そんなところだろう。」
ここでエンリケは疑問をぶつける。
「それで、あの本はなんなのだ?」
と。
「孫子という、自分がいた世界の兵法書だ。
ざっと、二六〇〇年くらい前の人物が書いたね。」
「おいおい、いくらなんでもそんな昔の兵法書など、今になって・・・」
「役に立つはずがない、そう言いたいのかな?」
「
「そこは心配いらない。
二六〇〇年を経た世界でも、第一級の研究史料とされるほどの兵法書だからな。」
ドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世は孫子を読んだ後、
「20年早くこの本を読んでいれば・・・」
と悔いたという。
孫子の兵法は『戦わずして勝つ』ことを理想としており、兵法書でありながら戦争は可能な限り回避するようにと
そして防御を重要視すると同時に、短期決戦を主張する。これは、戦争が巨大な消費行動であることを孫子自身が理解していた証左であり、ゆえに損害が大きくなりやすく長期化しやすい攻城戦は避けるよう指摘している。
また、諜報活動を重視しており、現代風に言えば情報戦もまた重視しているのだ。
「レオンがそのような物を真剣に読むとはな。」
エンリケは驚きを隠さない。
そして、佑樹はその様子から、
「なるほどね。
レオンがエンリケたちに対して
そう口にする。
「どういうことだ?」
「子供扱いし過ぎていたんじゃないのか?
重要な案件では、ろくに意見を聞かなかったり言わせなかったりとか。」
エンリケはハッとした表情を見せる。
「そんなことが続けば、自分の言葉なんて聞いてもらえない、そう考えたって仕方がないだろう。」
そしてそんな考えに至ったならば、次は自分の考えを誰にも伝えようとしなくなる。
「勝手な推測だが、ガスパール侯爵家はマリアナが重要な位置に居たんじゃないか?」
佑樹の質問に、
「なんでもお見通しってわけか。」
両手を挙げ、降参のポーズを取る。
「父上は姉上のことを『男に生まれていれば』と、何度も言っていたものだ。」
その才覚は姉弟たちの間で一番だと評価されていたようだ。
そして、侯爵として多忙な父グスマンに代わり、母エステラと共に家中を切り盛りしていた。
「時には軍を率いて盗賊征伐に出たものさ。」
懐かしそうな表情を見せるエンリケだが、
「それが、あんな馬鹿王に見初められて、しかも本人までその気になるとはね。」
そう付け加える。
家中のことばかりしていて、恋愛事には慣れていなかったこともあるのだろう。
マルセロ王に嫁いだ後、ガスパール侯爵家ではその穴を埋めることに四苦八苦していた。
姉から薫陶を受けていたとはいえ、その経験と才覚は埋め難いものがあったのだ。
全てのことに高い能力を持っていたマリアナに対し、エンリケとマルティンはそれぞれの得意分野を担当することで、その穴をなんとか埋めていたのだが、末弟のレオンの相手までは手が回らなかった。
その結果、身内に対して捻くれた感情を持つに至った。
「ユウキが外部の人間だから良かったのかもしれないな。」
確かにそれはあるだろう。
だが佑樹は別のことを考えている。
「万能型で、しかも全てが高い能力を持つマリアナが育てるアレシアは、どんな成長をみせることになるのか・・・」
キリプエ公にでもしてもらえればと思っていたが、それで収まる器なのだろうか?
「・・・末恐ろしいな。」
思わず口にした佑樹の呟きに、エンリケも反応する。
「レオンについては、俺のやり方で扱わせてもらう。
それでいいんだろ?」
佑樹の念押しに、
「それでいい。
その間に、こちらはマルセロ王側を少しでも切り崩していく。」
すでにマルティンがそのように動いており、できれば五分まで勢力を拮抗させておきたい。
「そうだ、一つ重要なことを忘れていた。」
佑樹が突然言い出す。
「重要なこと?」
「通信機器の貸し出しだ。
ガスパール侯爵家との連絡というだけでなく、軍の部隊同士の連絡用の機材も含めて。」
佑樹の言葉にエンリケは、
「いいのか?
「内乱を早く終わらせてもらいたいからな。
そのためなら、色々と手を貸すさ。」
直接的な行動はしないが、必要とあらば機材などは提供するということなのだろうと、エンリケは判断する。
エンリケとしても、内乱を少しでも早く終わらせたいのは同意なので、それ以上は突っ込む気はない。
「機材等を提供してくれるのはありがたいが、やはり問題は食糧だな。」
もしもの時のために貯蔵してはいるが、内乱が終わるまではどうしても生産量が落ちる。
なるべく短期間で終わらせる腹つもりとはいえ、どれほどの期間がかかるかなど誰にもわからない。
隣国の介入というのも考慮しなくてはならないのだ。
「パルヌ王国からの購入。」
ぽつりと佑樹が口にする。
「できるのか?」
飛びつくエンリケ。
「結論から言うのなら可能だ。
ただ、最後の手段とするべきだとは思うが。」
下手に購入した場合、サラマンカ王国がパルヌ王国からの輸入に頼ることになりかねない恐れがある。またパルヌ王国としても、一時的なだけの輸出では交渉が纏まらない可能性がある。
「買うとすれば恒久的に、ということか。」
「相場の問題があるからな。」
農民たちの収入の安定を図らなければならないのは、どこの国の為政者とて同じなのだ。
輸出すれば、パルヌ王国の農民たちの収入は増加するだろうが、輸出が無くなれば今度は国内相場の値崩れを招きかねない。
それはサラマンカ王国とて同じことで、生産量の低下により輸入するのは国内の物価の安定に寄与はするだろうが、生産量が戻った時にも同じように輸入していては、値崩れを起こすことになる。
「間に
単純に言えば、仕入れは全て佑樹側が行ってエンリケたちに卸すということだ。
そうすれば、パルヌ王国との交渉も佑樹が行うことになり、エンリケたちは手間を省くことができる。
ただ、食糧安全保障という観点で言えば、食糧という手綱をパルヌ王国から佑樹が握ることになるのだが。
どちらを選ぶかはエンリケ次第ということになるが、エンリケは即答する。
「それで任せたい。」
パルヌ王国と佑樹、どちらをより信用するかという判断だ。
パルヌ王国になんのコネをない自分たちよりも、佑樹を前面に立てたほうが良い。それはパルヌ王国とて同じだろう。パルヌ王国とてサラマンカ王国にコネは無く、ゼロから積み上げねばならない状態であり、それならば面識がある佑樹を間に挟んだ方がやりやすいだろう。
その説明に佑樹は頷き、
「難しい話はここまでにしようか。
そろそろ晩餐の準備をしないといけないからね。」
そう言うと、話し合いはお開きとなった。
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