第79話
交渉は午前と午後、休憩時間を挟んで行われている。
激しい言葉の応酬もあれば、淡々と互いの主張を述べる時間もある。
時には、アレクシアやヴィオレータが口を挟むこともある。
そんな中、途中から交渉に同席したハインリッヒはあることに気づく。
「なぜ、武力をちらつかせない?」
こういう交渉では、時に武力を見せつけることも交渉手法の一つだ。
いや、より強い武力を持つ方がその力を背景にして譲歩を迫る、そんなのは常套手段と言っていい。
事実、パルヌ王国もよくそういう手法を取っていた。
ハインリッヒにとっては当たり前のことであり、そのことによって多くの利益を得てきたことは誇らしいことでもあった。
だが、なぜかこの相手は武力を見せつけるようなことをしない。
そのことがハインリッヒには、自分たちを見下しているように見えている。
ハインリッヒの思いとは別に交渉は進み、この日の午前の交渉は終わる。
ーーー
ヴァレリーはアルフレートに交渉内容を報告する。
「なるほど。
話しのわかる相手というのは助かるね。」
報告書のページを捲りながら、アルフレートは感想を言う。
「ああ。
おそらく、
それこそ我が国の財政状況、周辺国との関係などもな。」
「そこまで調べあげられている、か。
相当に抜け目の無い相手だな。」
アルフレートは嘆息する。
「そんな!!
アイツらが我が国に攻め込んで、それほどの時は経っていません。
それなのにどうやって調べあげるのですか?!」
ハインリッヒの疑問に答えたのは、アレクシアだった。
「シュウェリーンの商人たちよ。
それと、ナルヴァ平原の住人たちからも。」
「なるほど。」
苦笑しつつ、ヴァレリーとアルフレートは理解を示す。
「商人や領民たちが、なぜそこまで詳しく知っているのです?」
ハインリッヒには理解できていなかったようである。
「商人たちは、私たちの予想以上に色々なことを知っている。」
アルフレートはそう答え、
「領民も同じだ。
領民たちは取るに足らぬことしか知らぬ、そんな考えでいると足元を掬われることになる。」
ヴァレリーはそう忠告する。
だが、そう言われたハインリッヒはまだ理解できていない様子である。
「武に偏り過ぎた頭では、なかなか理解は進まぬか。」
ヴァレリーはそう呟く。
これはハインリッヒの性質というよりも、父であるフリードリヒ六世や王太子である兄エドゥアルドの教育によるものだろう。
なにせ、あの二人はアルフレートやヴァレリーを文弱者として嫌っていたのだから。
「どのあたりで纏まりそうかな?」
アルフレートの問いに、
「ヴィオレータ嬢の口振りでは、シュウェリーンの租借は避けられないだろうな。
期間は最長で三十年くらいか。」
奴隷売買の監視が目的と言っていたから、こちらの法整備と取り締まり環境が整えば期間は短縮できるだろう。
「賠償金も、減額は可能だろう。
名目も“賠償“ではなく、こちらの
「そこまでできるのか?」
「金なら、シュウェリーンの悪徳商人たちから没収したそうだからな。
困ってはいないとのことだ。」
「なるほど。
そこまで奴隷商人は稼いでいたということか。」
単純な感想の後、
「名目の方はどうする?」
「奴隷狩りにあった者たちへの見舞金。」
「見舞金、か。
それは悪くないと思うが、それだけで足りるものだろうか?」
「それに、俺の名で謝罪文を付ける。
国としての謝罪としては弱いかもしれんが、この国の主宰者たる王族の名としては、それなりの価値にはなるだろう。」
今後のためにも屈服するのではないと、最低限の気概は見せなければならない。だからこそ、次兄たるアルフレートではなく三男であるヴァレリーの名を使うのだ。
「ここからが正念場か。
苦労をかけるな。」
「言ってくれるな。
こうなることはわかっていたのだから。」
アルフレートの言葉に、ヴァレリーはそう返す。
「それに、交渉の方は俺がなんとかするが、この国の方は兄上にかかっているのだから。」
この国に降りかかる至近の問題。
次期国王に誰がなるのか。
国王だけでなく次期国王となるはずだった王太子も戦死。
順当に考えるならば王孫レナルトなのだが、彼はまだ十五歳と若く、そして政治等の経験がない。
ハインリッヒにしても十七歳であり、敗戦の将として次期国王への擁立は難しい。
さらにいえば、父王の弟エルンストも敗死しており、その子や孫に王位を継がせるというのは、前王の子が生存しているため反対意見が強く出ることが予測される。
アルフレートの場合は、病弱なことが取り沙汰されることになるだろうが、レナルトへの繋ぎとして考えるならば、決して悪い選択ではない。
ではヴァレリーならどうか?
普通に考えたなら、健康な成人王族であり真っ先に次期国王候補として挙げられるはずである。
ただし、本人がそれを否定する。
「俺には人望が絶無だからな。」
と。
父王や長兄に批判的であり、国政に関していえば数少ない改革派。
そして改革派であるがために、王位に着いた場合にはやり過ぎて混乱を招く可能性が高い。
だから、アルフレートという重石が無ければならないと、そう自己評価を下している。
「それと提案なのだが、レナルトとハインリッヒを留学させたい。」
「それはいいな。」
アルフレートは
「末妹のアナスタシアも行かせよう。」
アルフレートは腹違いの末妹の名をあげる。
アルフレートの狙いは、あわよくば天空の城を味方につけようというもの。
「たしかにアレクシアからの報告では、アナスタシアの同年代の少女たちもいるそうだったな。」
アルフレートとヴァレリーは、明らかに天空の城の主の性癖だと勘違いしている。佑樹が少女たちを囲っていると。
「ちょっと待ってください!!」
自分を除け者にして話を進める、二人の兄に抗議の声をあげたのはハインリッヒだ。
「なぜ私が、あのようなところに留学などしなければならないのですか!?」
ハインリッヒとしては当然の抗議なのだが、二人の兄は“やれやれ”といった表情をしている。
「貴方に期待しているから、天空の城に留学させるのですよ。」
そう答えたのはアレクシアだ。
「残念だけど、天空の城は私たちなど歯牙にかけぬほどに強い。
その強い相手から学ぶのは当然のことでしょう?」
「そんなことはありません!
油断さえしなければ・・・」
「勝てたと言いたいの?」
アレクシアの声は落ち着いている。
「一〇〇回、いえ一万回戦ったとしても、私たちは天空の城には勝てない。
それほどまでに隔絶した差があるのよ。」
「・・・」
「その差は武力だけに留まらない。
その思想も文化も、私たちのはるか先に行っている。」
アレクシアの言葉に、ハインリッヒは押し黙り、ヴァレリーが話を引き継ぐ。
「それらを、お前やレナルトに学んで来てほしいんだがな。」
「・・・。
レナルトは、レナルトの意志は・・・?」
「レナルトなら、了承してくれたよ。」
アルフレートが答える。
「・・・、考える時間をください。」
気持ちを整理する時間が必要なのだろう。
「留学するとしても、まだ先のことだからな。
しっかりと考えてくれ。」
ヴァレリーの言葉を背に、ハインリッヒは退室する。
「冷静になれば、ハインリッヒも理解してくれるだろう。」
アルフレートはそう言って一息吐く。
「すまんな、アレクシア。
留学はお前が行きたかっただろうが。」
ヴァレリーが妹に頭を下げる。
「はい、わかっています。
本音を言えば、留学には私が行きたかったですけれど、ナルヴァ平原を纏められるのは私しかいないでしょうから。」
短い期間とはいえ、佑樹の統治を受けたナルヴァ平原の領民たちの相手は、少しでも佑樹の思想に触れた者でなければできないだろう。
それほどまでに、佑樹という男のやっていた統治は先進的過ぎた。
貧民たちの手に職をつけさせるなど、自分たちにはできない発想だ。
それに、あの地に築かれた陣地を王族以外の者に任せるわけにはいかない。
シュウェリーンから王都に続く要衝となってしまったのだから。
「私とヴァレリーで改革への道筋をつける。
その後は、レナルトに王位を継いでもらう。
ハインリッヒには、その補佐をしてもらわないとな。」
「それと、レナルトとハインリッヒに付ける者たちの人選も必要だな。」
レナルトとハインリッヒと共に、この国の未来を託せる者たち。
「レナルトたちに託したら、その後はどうなされるのですか?
アルフレート兄様はともかく、ヴァレリー兄様に楽隠居なんてさせるつもりはありませんけれど。」
妹の言葉にヴァレリーは苦笑していた。
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