第62話

 朝。


 佑樹は皆より早く起きると、陣地内を見回っている。


 陣地内では、構築作業のために雇った近隣の人々がすでに作業を開始しており、そんな人々に声をかけながら、佑樹は見回りをしている。


 その様子をハンスは離れた場所から見ている。


 佑樹が話している相手は、職人というわけでもない村人たち。いわば、どこにでもいるような平凡な者たちだ。


 そんな者たちに話しかけて、何になるのか思いもする。


 だが話しかけられた村人たちは一様に笑顔であり、照れ臭そうに頭を掻く者がいれば当然とばかりに胸を張って『がはは』と笑い声が聞こえてきそうな態度の者もいる。

 それどころか、佑樹の肩をバンバン叩く強者まで現れる始末だ。


「その男は侵略者なんだぞ、一応は。」


 普通の侵略者ならば、そんなふうに肩をバンバン叩いたら、間違いなく首が飛ぶだろう。

 だが、当の佑樹は少しだけ痛そうな表情を見せはするものの、笑って済ませている。


 佑樹はそこを離れると、井戸の掘られた水場へと向かう。


 そこにいたのは近隣の村の女性たち。


 女性たちは洗濯をしていた。

 何を洗濯しているのかと、ハンスは注意深く観察する。

 それは雇われた村の男たちの服だ。


 ここでハンスは疑問を抱く。


 雇われたのは、着の身着のままの貧困層の者たちだったはず。そんな者たちが、着替えなど持っているわけがない。

 そこで男たちの方を振り返って見ると、皆が同じような服を着ている。

 そして女性たちの手に持っている服を確認すると、やはり同じような服だ。


 佑樹は服まで支給しているのだろうか?


 そんな疑問を抱きつつ、佑樹の方に視線を移す。


 佑樹は洗濯をしている女性たちと談笑をしている。


 こちらでも、女性たちは笑顔で佑樹に応じている。

 雇い主相手に不機嫌な顔をするわけがないが、だからといって皆が皆、笑顔で会話しているなどということはないだろう。


 しばらくして、佑樹はその場を離れる。


 今度は雇った村人向けに建てられた、プレハブとかいう建物の中に入っていく。


 視界から佑樹が見えなくなりそうになり、ハンスはその後を追う。


 建物の中でも、佑樹は中で掃除をしている女性たちに話しかけている。

 そして、その女性たちを指導している召使いメイドにも声をかけている。


 ここでも皆が笑顔になっている。


 佑樹はさらに歩き出し、建物を出て少し開けた広場に向かっている。


 この広場では子供たちが遊んでいる。


 色々な遊具が置いてあり、子供たちは楽しそうに遊んでおり、その様子を傍らのベンチに座って見ている。


「後をつけてないで、隣に座ったらどうだ?」


「気づいてたのかよ。」


「水場のあたりからな。」


「声をかけてくれりゃいいのに。」


「それを言うなら、お前の方がさっさと俺のところに来ればよかっただけだろ。」


 そう返されると、ハンスは言葉もない。


「で、何を知りたいんだ?」


「色々、だな。」


「色々か。」


「そうだ、まずは男たちの服についてだな。」


「服?」


「皆、似たような服装をしていただろう?」


「なんだ、簡単な話じゃないか。

 服装を統一することで連帯感を生み、作業の効率化を図る。

 お前たち軍でもやっていることだろう。」


 軍の装備を統一するのは、大量購入によって仕入れ値を下げるだけでなく、連帯感を生み出すことで結束を強めるという目的もある。


 大坂の陣における真田信繁(幸村)の赤備えは、元々は寄せ集めの兵士たちをまとめ上げるために行ったものだ。


 そう言われると、ハンスとしては言葉もない。


「その他のことも聞きたいのだろうが、村人たちの仕事の状況を見てただけだぞ。」


 そう続ける佑樹に、


「それだけで、お前と話している相手が笑顔になるのか?」


「そりゃ、仕事ぶりを褒めてるからな。」


「褒める?」


「ああ。

 なかなかの仕事ぶりだったぞ。

 思った以上に仕上がりは綺麗だったり、早い仕事ぶりだったりな。」


 ハンスも彼らの仕事をした範囲を見たことがあるが、そんなに褒められる仕事だっただろうかと疑問に感じる。

 そのことが表情に出たのだろう。


「お前さんの基準に、彼らが達していないことはわかっている。

 だが、よく考えろよ。

 彼らは元々、貧困層でろくに職業訓練などを受けていないんだ。

 その彼らにお前の基準を達成できると思うのか?」


「・・・無理だろうな。」


「彼らが担当している場所は、さほど重要な場所じゃない。

 ここで基礎的な技術を学んでくれればいいのさ。」


「そして、お前の統治のいしずえとなる、か。」


 当たり前の感想を呟いたのだが、


「いや。

 今回の一連のことが片付いたら、俺はさっさと帰るぞ。

 統治するのはお前たちだ。」


「なに?!」


 佑樹の言葉に慌てる。


「よく考えておくことだな。

 俺の考えとお前たちの考えでは、隔たりが大きい。

 この地の人々が俺の考えに触れているということが、どういうことを意味するか理解できているだろう?」


 理解したくないが、理解できてしまっている。

 この地域は、今までのような統治はできないだろうことを。


 寛容で気前が良く、領民の教育に理解のある統治者から、旧態依然とした統治者になれば必ず領民たちの反乱が起きる。

 それを防ぐには、よほど開明的な思想を持つ者か、もしくはその開明的な思想に触れた者でなければならないだろう。


「最高の嫌がらせだな。」


 溜め息と共に口に出る言葉。


「領主様。」


 そこに声をかけてきたのは小さな女の子たち。

 歳の頃、五〜六歳くらいだろう。

 佑樹のことを『領主様』と呼んだ少女たちの手には、花がたくさん入った籠がある。


「今日もたくさん摘んできてくれたんだね。

 ありがとう。」


 笑顔で少女たちの頭を軽く撫でると、


「いつものお姉さんに渡してきてくれるかな?」


「はい!」


 少女たちは笑顔で、言われた通りにお姉さんのところに花を持っていく。


 その後ろ姿を見ながら、


「あれはなんなんだ?」


 ハンスが疑問を呈する。


「見ての通りの、小さな花売りたちだ。」


 佑樹は小さな花売りたちに手を振りながら答える。


「そうじゃなくてだな、なぜ花売りが来たんだ?」


「そりゃ、花を買ってるからな。」


「なんのために?」


「部屋に飾るためだ。

 村人たちの、な。」


 それこそなんのためにそんなことをするのかと、問い質したいところだが、佑樹は親切にも言葉を続ける。


「最初の頃は、村人たちもわけが分からんようだったな。

 だけど、衣食住が保証されていることを理解したからかな。

 気持ちに余裕が出てきてからは、村人たちも活けられた花に潤いを感じるようになった。」


 佑樹の視線の先には、少女たちに挨拶をしている大人たちがおり、少女たちも朗らかに挨拶を返している。


「気持ちに余裕があるからこそ見られる、微笑ましい光景だな。」


 その言葉にハンスは黙り込む。


 次期統治者は、この光景を維持しなければならないということだ。

 かつての領主たちに、そのまま返すわけにはいかないだろう。


「そうそう。

 この陣地は村人たちに明け渡す予定だからな。」


 さらりととんでもない事を言う佑樹。


「ちょっと待て!

 この陣地を村人にだと!?」


 半ば要塞化しているこの陣地を村人たちに明け渡す。

 村人たちに軍事力を与えるようなものだ。


 抗議しようとするハンスを制するように、


「善政を布くことだな。」


 そう言って佑樹は立ち上がる。


「そうだ。

 三日後にパルヌ王国軍の別働隊と、ユキモリとヨシヒロの部隊が接触する。

 本来なら二十日はかかる道程を、五日で走破するとは相当に無理をしているな。」


 そう言い残すと、佑樹はその場を立ち去る。


 残されたハンスは、呆然とその場に立ち尽くしていた。



 ーーー



 パルヌ王国軍別働隊の接近。


 それをハンスから伝えられたアレクシアは、静かに首を振る。


 強行軍で来た別働隊は、物資を最小限しか持って来ていないはずで、当然のことながら兵糧も必要最低限の量しか持ってはいないだろう。


「戦う前に、彼らは略奪を行うのでしょうね。」


 アレクシアの言葉には諦めの色濃く出ており、ハンスもその言葉に同意する。


 その結果、なにがもたらされるか。


 悪徳領主の領地では、領主たちは取り返したつもりだろうが、領民たちは不当に奪われたと捉えて反発することになるだろう。

 また、評判の良い領主のところではどうなるかといえば、悪徳領主たちから物資の供出を求められることになる。それを拒絶すれば領民から供出という名の略奪をされることになる。

 それを守ろうとすると、貴族間での対立が生じて争うことになる。


 そして佑樹はなにも失うことなく、この地の人々の支持を得ることになるだろう。


「止められますか?」


 アレクシアとしては、止められるものなら止めたいが、それが不可能なことも理解している。


「今の私に出来ることは、最小限で終わる事を祈るくらいです。」


 アレクシアはそう言うと、部屋の窓から空を見上げていた。

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