第14話 密漁する観客
俺は泣いた。涙した。八月のナイル川だってこんなに泣いたりはしない。
向こうの方から人が歩いて来る。
向こうって言ってもモーゼのように海を割って歩いて来るんじゃない。
砂浜を歩いて来るんだ。こんな暑い中、砂浜を歩いているなんて正気の沙汰じゃない。
おまけに男と女の二人組とくれば何をしに来たかなんて一目瞭然だ。
密漁だ。それ以外は考えられない。
俺は貝についてよく考える。三日に一度は考えているかもしれない。
貝について考えることはリーナス・トーバルズの生涯について考えることぐらい大切だし、リーナス・トーバルズの生涯について考えることは自分自身の在り方について考えることぐらい大切だ。
自分が何に喜び、何に怒り、何を見て悲しむのか。
これを分かっている奴だけが人生を豊かに出来る。
俺が泣いたのは歩いて来る二人の男女を見て、そういう
なにせ旅芸人としての初めての客だ。
たとえ相手が密漁者だとしても感慨深い気持ちにもなる。
「クツア! クツアー! クッツアー! クッアッアー!」
俺が腹の底から声を出しているのにクツアはモーゼのように海を割って遠くにいるもんだから気が付かない。
これだから海は嫌いなんだ。
これだから海は嫌いなんだ。
これだから海は嫌いなんだ。
俺は怖じ気ついていた。俺には旅芸人としての才能はない。いつかのクツアのようにプルプルしていた。このまま波の音を聞きながらじっとしていようかと思った。でもチャンスっていう奴は不思議なもので待っていたら
「クツア! クツアー! クッツアー! クッアッアー!」
どうあっても俺の声を届かない。
ぴかぴかと煌めく海原のずっと向こうにあるホライズンブルーの壁に吸い込まれて消えていくだけだ。
クツアは紺碧の道をどこまでも歩いていって、もはや点のようだ。このまま歩いていけば0次元の存在になれるかもしない、そんな感じだった。
俺は砂浜をぐっと掴んだ。ホットドックみたいに温かい砂が長く伸びた爪の中に込んでくる。
気が付くと走り出していた。
その理由はムルソーと同じくジリジリと俺を焦がそうとする太陽のせいという他なかった。
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