第2話 夢

 森の中の泉で念入りに身体を洗いながらサフィニアのことを考えた。

 あれはやはり俺の手で殺すべき女だ。それが他の誰かであってはいけない。

 周りの水が紅く染まっていく。水の中で溶けていく自分の血を見ていると化学の実験をしているような気分になる。


 岸に頭を置き、身体を水に浮かべながら森の奥から聞こえて来るさえずりに意識を預けた。そうしていると無性にサフィニアに会いたくなってくる。

 サフィニアに会うためには街に向かわなければならないし、街に向かうためには花畑でラブソングを歌わないといけない。


 仕方がないから花畑を目指すことにしたが服がない。

 サフィニアが穴だらけにしたからだ。

 でも服がなくても今日は十分過ごしやすい。だから問題なかった。大抵のことは考え方一つで解決できる。それがどれだけ困難な問題に思えても。


 サフィニアが嘘を付いていなければリゲルとかいう街が森の向こうにあるはずだった。


「サフィニアが嘘を付くはずがな〜い♫」


 そう口ずさみながら森を抜けると街道に出た。

 馬車の轍があってそれを辿れば街に着けそうだったが、道は南北に伸びていて、北か南かどっちにいけばいいか分からなかった。


「南にサフィニア〜♫」

 直感で南に行くことにした。


 十分ほど歩いてナイフが手元にないことに気が付いた。

 鞄から取り出した物は一日経つと消えるんだ。

 神様がそう言っていたじゃないか。


 鞄を叩いてもう一度ナイフを取り出す。それを地面に刺して影を作った。

 この世界の一日って何時間だろうか?

 それは何よりも優先してサフィニアに聞いておくべきことだった。腹を刺す前に「一日は何時間ですか?」って尋ねなかったのはあまりにも間抜け過ぎる。


 そんなことを考えながら影を見ていると馬車が走って来る音が聞こえてきた。

 すぐさまナイフを持って音の方へと走り出す。

 馬車は俺に気が付いたかの距離を取って止まってしまう。


 俺が馬車に駆け寄ると御者台にいた男が矢を放ってきた。

 矢は俺の足に刺さったがそれを引き抜いて再び走り出した。

 男は二の矢も放ってきて俺の胸に刺さったがそれも引き抜いて走り出した。

 遂に男は御者台から降りてきた。


「貴様、人魔の類か!」


 男が何を言っているかは分からなかったが、重そうな剣を持って重そうな灰色の鎧を着て動きづらそうだった。こんな青空の下で服を着ていることさえ馬鹿らしいというのに。でも鎧の塗装にムラがないところを見ると良い職人が作った代物に違いないから貰えるなら欲しいとも思った。


 馬車だってアン・シャーリーが乗っていたのと違って、荷物でなく人を運ぶ用の客室が付いてあったし、車輪だって白く塗装されていてお洒落だった。

 あれに乗ったらワンランク上の世界にいける――そんな感じの馬車だ。


「馬車に乗ってもいいですか? あとその鎧下さい」

「人魔の失敗作か! 死ね!」


 何と!

 男は何の断りもなく斬りかかって来た。


 慌てて逃げたが背中を深く斬られてしまい、調節を間違えた噴水みたいに温かな血が吹き出して辺りを濡らした。


 俺は転げ悶え苦しみながら

「く、狂っているのですか! あなたは!」

 そう叫んでいた。

「狂っているかだと?」

 その言葉が意外だったのか男の追撃の手が止まる。


「突然、人を斬りつけるなんてあなたは狂人か?」

「裸でナイフを持って訳の分からないことを言う貴様こそが狂人であろう!」


 驚くことに男は真剣だった。

「貴様は狂人だ」と強く言われると本当に自分は狂っているじゃないかって考えてしまう。

 でもそれは錯覚に過ぎない。

 勉強もせず、働きもせず、だらだらと毎日を過ごしているとニートになった気がしてくるみたいなものだ。


「裸でナイフを持って訳の分からないことを言う者を斬りつけるのは正常か? 一切の対話を行おうとしない姿勢こそが狂人ではないのか?」


「黙れ! 失敗作!」


 男の剣は俺の首を胴体からパージした。

 そうでなくても死んでいただろうに。


 俺は再び夢を見た。

 目を覚ますと森の中にいた。

 森に捨てられたか、獣に喰われたか。

 覆い茂った木々の隙間から星空が見える。

 街に向かおうと思った。

 サフィニアと会うために。

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