第4話:イマジネーションは現実の産物

小学生になると、親に連れられて外出できるるのが楽しみになった。今の時代では考えられないだろうが、子供をデパートのおもちゃ売り場など退屈せずに時間をつぶせる場所に残して、その間に親は自分の買い物をするということは普通に行われていた。僕の母親も例外ではなく、よくおもちゃ売り場に僕を残し、デパートでの束の間のウィンドウショッピングを楽しんでいた。僕と母との間ではその行事は「デパぶら」と呼ばれており、当時の僕の最も好きな言葉の一つだった。時間を正確に決められていたことはないが、たいてい1時間くらいは一人になる時間を与えられた(実際のところは僕が母にその時間を与えていたということになるか…)。そのうちに大体戻ってくる頃合いも分かるようにもなっていた。母は僕がおもちゃを見るのに夢中だと思っていただろうが、僕の目的はもちろん違っていた。母の後ろ姿が売り場の角に見えなくなるや否や、トイレに直行する。デパートやスーパーのトイレは(理由は定かではないが)階段の脇にあることが多く、階(のテーマ)によって男性トイレの人の入りが異なる。僕は即座におもちゃ売り場のある階の上下2、3階のトイレで状況を確認し、何度も階段の行き来を繰り返す。人が入って行く後ろ姿を見ると駆け足で追いかけ、用を足すふりをしながら隣をのぞく。手を洗いながら映る顔を確認して記憶にとどめる。その繰り返し。トイレの外では隠されているその部分が露出されることに大いに興奮していた。階段を何度も何度も上り下りすることにも全く疲れも、退屈も感じたことはなかった。ただただ決められた目的を遂行しているようなものだった。

このように、小学校低学年の頃にはすでに「おかず探し」を体得していた僕には、もう一つ興奮を覚える対象があった。キス、間接キスと言うと多少は聞こえがましかもしれないが、実際のところは他人の、正確に言うと好みのタイプの人間の口から出る唾液に異常なほど興奮する。それは今でも正直変わらないが、何が発端でそうなったのかには心当たりがない。だが、さすがにこの行為は屋外で計画的に実行できない上、ノーマルでないという観念は幼いながら備わっていた。

小学3年になり初めて担任教師が男性になった。油がちでニキビの跡が多い濃い顔が特徴の森永先生は、女子児童の言うところの「キモい」男だった。しかし僕には大人の男に映った。僕は小学生男子の戯れを演じ、「キンチョー!」と言いながら先生の股間に触れることを楽しんだものだ。そのうち森永先生は、僕が人生で初めて間接キスを狙って行う対象になった。今はどうだか分からないが、当時は夏でもクラスの全員が学校に水筒を持ってきている訳ではなかったが、僕は持ってきているうちの一人だった。友達から欲しいと頼まれた場合には、「顔を上にして口開けてな」と言って、中のお茶を直接口に流し込むことでコップに口が付くのを避けていたが、下校前の学級会後に先生に近づくと、「先生、お茶残ったからあげるわ」と言って先生にコップを渡した。先生が飲み終わったコップを受け取ると、僕は即座に踵を返し、先生に見られない角度でコップを唇に当てて回してから、間接キスを実感していた。その行為に興奮しているというよりはむしろ、翌日の授業で先生の唇を見つめ、そこを濡らす唾液を自分が吸ったことに興奮していたのだ。その夏はほぼ毎日先生にお茶を提供していた。学校にいてもとにかく下校時が待ち遠しかった。

そんなある日の帰り際、いつものようにコップにお茶を入れて先生に渡した。

「はい、先生。お茶どうぞ」

「お、毎日おおきに。悪いな」と言って先生はお茶を飲み干した片手を思わせぶりな笑顔を浮かべながら背中側に回し、反対側の手に受け取ってから僕に差し出した。明らかにコップの淵を拭いたか、どこの部分で飲んだかを隠すようなその行為に、僕はギョッとして、同時になぜか途方もない虚無感に襲われたのをはっきり覚えている。

そして翌日から僕は水筒の持参をやめた。

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