第2話:その園児、性的につき

記憶を遡ると、幼稚園の年少当時、つまり3歳か4歳の頃には今の僕に行き着く伏線の数々が存在している。同性愛者をカミングアウトした芸能人の話でよく耳にする「気が付いたときには同級生の男の子ばかり好きになっていた」なんていう淡い思い出は一切ない。僕はあの頃からはっきりと大人の男に惹かれていた。


10数年先にはバブル崩壊により身を削る苦労をすることになるはずの日本中の若者がディスコで踊り狂っていたであろう時代に僕は兵庫県K市で生まれた。国際線パイロットの父と専業主婦の母、それに6歳、4歳上の姉2人が僕を家族に迎えた。初の男の子の誕生を喜んだのは両親だけでなく、田舎の出の父母の父母、つまり「跡継ぎ」という単語を言葉もロクに理解できない幼児に言い聞かせるような祖父母は大いに歓喜した。父も一人息子だったこともあり、父方の祖父の僕に対する期待は大きかったのだろう。僕が幼稚園児の頃に「大人になったら漫画家になりたい」と祖父に話すと、「そんな金にならない職業はいかん」と本気で叱られて泣かされたことも、今思えば彼の僕に対する大きな期待のあらわれだろうが、「じいじ嫌い」という孫の一言に怯える今時のおじいさんには考えられない暴言でもある。

3歳には3年保育の幼稚園に入園した。姉2人も通った幼稚園ということもあり、先生たちも非常に優しかった記憶がある。「あまりにも可愛いから、海水浴場のシャワーを親戚みんな無料にしてもらった」というのは今でも語り継がれる幼き頃の僕の武勇伝。つまり見た目が愛くるしい子供だったようだ。年中や年長のお姉様方にも非常にモテて、集団での帰りの時間にはいつも手をつなぎたい女の子が教室のところに待っていた。僕も全く嫌な気持ちはしなかったし、その人気も手伝って自然といつも女の子と遊んでいた。母もそんな僕を誇らしげに褒めてくれていたのがうれしかった。僕がおもちゃの指輪やネックレスを付けて遊んでいても、シルバニアファミリーをねだっても、「うちの子、女の子に人気があるんだ」と気にも留めていなかったのだろう。

幼稚園時代の僕には年少の時から楽しみの時間があった。それは体育の時間。その理由は、担当の堺先生が好きだったから。先生が指導していた幼稚園の体操教室に姉2人が通っていたこともあって、先生も僕に気をかけてくれていた気がする。今となってはどんな顔で、どんな声だったのかも覚えていない。ただ、覚えているのは体育の時間に園児を運動場に三角座りさせ、自分はコンクリートの段差部分にあんちゃん座りして話す堺先生の姿。いや、もっと正確に言うと、先生の股間の膨らみに僕の目は釘付けだった。先生が短パンを履いて、股を開いて座っていた時にちらりと見える、際どい足の付け根の映像は今も僕の記憶にしっかりと刻まれている。クラスの男の子なんかじゃない。僕は堺先生の股間を見つめていた。堺先生が僕の視線に気が付いていたのか、また僕が年齢からすると以上に「オマセ」だったことに誰かが気が付いていたかは今となっては分からない。しかし3歳か4歳のこの幼稚園児は、明らかに体育の男性教師に性的興奮を抱いていた。

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