第53話:邂逅①

「……【黒揚羽】、だと?」

「ええ、そうです」


 夜。俺は父の書斎を訪れていた。

 昼間に叔父上から聞かされた件を、確認しようと思ったのだ。


「……生憎、俺はそんなものは持っていないな」

「では、【黒揚羽】を紹介していただきたい、というべきなのでしょうか?」

「……」


 父が黙った。そして目を細めて俺を見ている。

 それはまるで品定めするかのようで、同時に警戒するかのような表情。

 同時に、父の雰囲気からしてこれ以上情報を聞き出せる可能性は低い気がする。


 実は、俺はこの【黒揚羽】という名前に心当たりがあった。

 とある筋では名の知れた、いや有名な連中のことを指す名前。

 彼らは自分の手首に、黒揚羽を入れ墨しているのである。


「……ちなみに、どの程度ですか? 全て? それとも一部でしょうか?」

「……さてな。どう思う?」

「――いえ、それだけ聞ければ結構です。ありがとうございます」


 俺はそう告げ、父の元を出る。

 既にいい時間だ。そろそろ出かけようか。


「――少々、気になる事があるので調べて参ります」

「……出かけるのか?」

「ええ」


 俺が頷くと、父は溜息を吐いて俺にあることを教えてくれた。


「……仕方ない。お前も既に自分で働けるわけだからな、俺が変に制限しても問題だろう。もし外で動くなら、【月夜の歌亭】という宿がある。ちょうど西通りと東通りの境目だ。宿屋街にあるから見つかるだろう。そこで女将に『3階が空いているか』と聞くんだ。そうすれば場所が得られる」

「……なるほど。分かりました、そこまでは馬で行くことにします」

「ああ」


 恐らくお忍びなどで使う宿なのだろう。

 宿の裏には大抵馬車を止める場所があり、厩舎もある。

 そこまでは馬を走らせ、着替えた上でお忍びができるという具合だろう。


 俺は公宮を出ると、馬に跨がり街に向かって駆け出した。


 * * *


 【月夜の歌亭】を見つけるのは難しくはなかった。

 看板からして特徴的な三日月の形だったし、さらにはこんな夜でもまだ煌々と明かりが点いていることからも分かる。


 馬を裏手に走らせ、厩舎の前で降りるとガタイのいい男性が出てきた。


「馬を頼む」


 そう告げて銀貨を渡し、俺は裏口から中に入った。

 裏口から入ると、ちょうど受付カウンターの近くに出るらしく、この位置からは酒場の様子は見て取れない。同様に酒場からもこちらは見えない造りになっている。


 どうも俺が裏口から入ってきた事に気付いたのかそれとも分かるようになっているのか知らないが、女将がカウンターに腰掛けて、意識だけをこちらに向けている。

 女将はどういうわけか、オフショルダーのドレスを着て、胸元を惜しげも無くさらす美女。

 どこか退廃的な雰囲気を醸し出す女性だ。


 一瞬気を呑まれそうな感じがするが、意識を切り替えて声を掛ける。


「3階は空いているか?」

「……ええ。でも、初めて見る顔ね」

「そうだろう?」


 そう言いながら、俺は1枚金貨を出して、鍵を手渡してくる彼女に握らせる。


「ちょっと……」

「一室借りるぞ」


 そう言い、俺は3階に行き着替える。

 同時に偽装用の魔道具で姿を偽装し、【レオニス・ペンドラゴン】としての姿に変わる。

 装備も変更し、冒険者としての装束に変更する。


 1階に降りる。さて、外に出るか……いや、待て。

 俺はふと思ったことがあり、一旦酒場に入る。


 そこでは大きく騒ぐわけではなく、静かに酒を飲む雰囲気の場所だ。

 何人かで固まり、細々と喋りながらお酒を楽しんだり、あるいは紫煙を吹かしている。


(そういえば、この世界にもたばこがあるのか?)


 転生前は喫煙はしなかったのでよく知らないが、好きな人はたばこをよく吸っていた。

 一度だけ葉巻をもらった事があったが、あれは結局吸わずに香りだけを嗅いで楽しんだ気がする。


 そんな事を考えつつカウンターに近付くと……


「……ここは子供の来るところじゃない、帰んな」


 いや、ここで別にテンプレは欲しくない。

 俺は銀貨を取り出すと、「ショット」とだけ言って座る。


 流石にこうされてはなんとも言えないのか、マスターは黙ってグラスに入ったお酒を差し出してきた。

 俺はそれを受け取ると、一気に口に含む。

 含んだ感じからすると、まだ若い酒だ。蒸留酒の独特のアルコール感が尖っており、スモーキーな雰囲気はウィスキーに近いが、もっとエイジングをしたものが俺の好みである。


「ふむ……5年といったところか」

「……分かった、お前さんは客だ」


 そう言うとマスターが別の瓶を取り出して、今度はロックで出してくれる。


「……これは?」

「俺のおごりだ」

「どうも」


 これはなんとも香り高い。さらにはエイジングも相応の時間を経ており、良いお値段がしそうな一杯である。

 まろやかさもあり、得も言われぬ幸福感を味わいながら楽しむ。


 そのまま10分ほど経過して、俺はマスターに声を掛けた。


「最近、何か面白い話題はないか? 特に西側で」


 そう言いながら、1枚銀貨をカウンターに置く。


「……さあ、知らねぇな」

「……そうか?」


 今度はもう1枚重ねる。

 すると、マスターは鮮やかな手つきでそれに手を伸ばそうとして……


 その手を俺が止める。


「……おい」

「まずはこれだ」


 俺は銀貨を1枚だけ握らせる。

 マスターは溜息を吐くと口を開いた。


「……西側の何を知りたい? 相応に考えろよ?」

「軽い勢力分布だ。【黒揚羽】が筆頭だろ、次点は?」


 まず俺が知りたいのはこれだ。

 【黒揚羽】というのは実は、スラム街や歓楽街に影響のある裏組織の1つで、この王都でも最大規模の勢力を誇る組織。

 それは幼いころから知っていたので、それ以外の簡単な勢力図を知りたいのだ。


「そのくらいならいいだろう……次点といえば【烈鬼団】という連中だな。あまりいい話は聞かねぇが」

「なら、割と真っ当な連中で、次点は?」

「それなら【影狼】だろうな」

「どの程度の連中だ?」


 俺はそう言いながらもう1枚銀貨を出す。


「……そうだな、実力主義というところか。仲間意識が強い」


 実力主義で仲間意識が強い、ね。

 他にも【影狼】に関して知られている話を聞き出していく。


「【影狼】と対立するのは?」

「……そうだな、【黒揚羽】は……関わっていないから、やっぱり【烈鬼団】だろう」

「【影狼】のいる場所は?」

「それは……」


 言葉を渋りだしたマスターに、金貨を渡す。

 するとすぐにそれを受け取ってから、俺に向かって何かメモを書いて渡してきた。


「……ふん、なるほどな」


 俺はそれを受け取り、中身を見てから近くにあった蝋燭でそれを燃やし、灰皿にくべる。


「良い酒を飲ませてもらった。邪魔したな」


 そう言ってから、俺は酒場を出る。

 その上で女将に外に出ることを告げてから宿を出て行った。



 * * *



 俺は夜の街を歩いていた。

 といっても歓楽街ではない。もっと奥のスラム街の方だ。


 スラム街というのはいわゆる貧民街。

 何かの理由で職を失うだけでなく、落ちぶれて家を失った連中や、あるいは後ろ暗い理由で表を歩けなくなった連中。

 そして、裏社会がうごめく場所だ。

 もちろん裏社会によってある程度の秩序が保たれているのは事実だが、それでも犯罪の温床でもあるこの場所は頭の痛い問題である。


 さて、スラムでありながらも一際目立つ建物がある。

 大体にしてスラム街というのは元々旧市街地であり、王都拡張の際に全て取り潰すはずの場所が元になっている。


 ここは元冒険者ギルドの建物。

 当然、冒険者がここに来ることはないが、そこを根城にする連中というのは存在するのだ。

 ここでは簡易的な酒場も開かれており、賭博なども行われているある意味スラムの中心部。


 扉をくぐると、独特の安い煙草の匂いや、安酒のアルコール臭、そしてそれを楽しむ人々の体臭といった様々な匂いが立ちこめているのが分かる。


 そして、冒険者装備をしているとはいえ相当に立派な服装をしている俺は悪目立ちもしていた。

 事実、周囲からの視線が凄く、「なんだこいつ」というものや「ふざけたガキを叩きのめす」と言わんばかりの視線だらけだ。


 いや、実際に絡んでくるのもいる。


「おいおいおいおい、ガキが何だってこんなところにいるんだぁ? 悪いこと言わねぇからとっとと出て行きな、財布を置いてなぁ!」


 周りの連中も、ギャッハッハッハ! と爆笑しながら絡んできた男を囃し立てる。

 挙げ句には少し俺にも分けろ、などと言っている連中もいるが……


「はぁ……お前らは長生きせんな。というか、ここにいる段階で今さらか」

「はぁ?」


 わざと周りに聞こえるような声量で溜息を吐いて呟く。

 途端に、騒いでいた連中が一瞬黙り、次の瞬間には怒号へと変わる。


「…………んだとぉ、このガキ!! 二度と外に出られなくしてやろうか!?」


 周りでは『そうだそうだ!』という声や、『そのガキをぶっ殺せ!』だとか言う声がする。

 さてさて、少し暴れさせていただきましょうか。



 …………数分後。


「うぅ……」

「う、腕が……」

「ば、化け物……」


 地面に転がる男たち。

 いやあ、弱かった。まあ、それも仕方ないだろう。

 それよりも、俺は確認したいことがあったのだ。


「おい」

「ひ、ひいいぃっ!?」


 転がっている1人に声を掛けると、なんとも言えない怯え方をされた。


「別に取って食うわけじゃない。聞きたいことがあるから答えてくれ」

「な、何だ……?」


 すっかり怯えきっているが、それでも俺の質問に答えようと必死になる男。

 ……少し威圧をかけ過ぎただろうか。少し反省しつつ、俺は質問を口にする。


「【影狼】は、どこにいる?」

「……は?」

「【影狼】だ」

「そ、それは……」


 俺が聞いたことに対して目を泳がせる男。それを見て、こいつは知っているのだろうと目星をつける。


「どうした、質問しているのは俺だが」

「ひっ……! い、いや、お、俺は分からねぇ! こ、答えられねぇんだ!」

「ふむ……」


 【威圧】を再度発動させ、適度なところで留める。

 すると男は冷や汗を流し、歯をガチガチと鳴らし始めた。だが、それでも答えようとしない。


「……何か言えない理由があるのか」

「お、俺からはな、何も言えねぇ、言えねぇんだ!」


 何かに怯えるかのように必死に弁解しようとする男を見ながら、俺は周囲の男たちにも目を向ける。

 だが、彼らも同じように怯えた目をして答えようとはしないようだ。


「……仕方ない」


 俺は【威圧】を解くと、周辺を探る。

 するとふと、この酒場もどきの構造で不思議な部分があることを感じた。


 それは階段の裏側。普通は単なる構造の一部でしかない部分に、明らかな空間と道が存在しているのだ。

 そして人の気配も感じる。


(そこか……)


 出てくるかと思いながら待っていたのだが、そこの気配が下がっていくのを感じ、俺は不思議に思いつつ声を大きめにして【影狼】についての質問を繰り返す。

 すると、周りの連中は顔を青ざめさせはじめた。


「ちょ、ちょっとアンタ……そ、それは声が大きいぜ?」

「何がだ? 俺は情報を求めているだけだ、それを皆で口を噤むことの方が不思議だがな」

「ぐっ……そ、それは……」

「それとも、対したことのない連中なのか?」

「ば、馬鹿っ! 滅多なことを言うんじゃねぇ!!」


 しばらく問答を繰り返す。

 それでも特に変わる気配はないので、俺は首を振って「仕方が無い」と呟きつつ、懐から革の袋を取り出した。


 そして、その中身をテーブルの上に無造作に広げる。


「なっ!?」

「俺はこう見えて稼いでいてな……本当はここまで出すつもりはなかったんだが仕方がない。少しは口に油は回りそうか? 真実を喋ってくれたら、1枚ずつ渡してやろう」

「ま、まじかよ……」


 俺が出した袋の中身は全て金貨だ。

 大体50枚くらい入っていただろうか。

 そのうちの1枚を取り上げ、目の前の男の前で振る。


 金貨というのは普通に考えて1枚で数ヶ月……あるいは半年ほどの生活費になる金額だ。

 スラム街の連中にとっては、さらに価値が上がるもの。


 それを見た男の喉が、唾を飲み込む音がやけに鮮明だ。

 男は金貨に手を伸ばそうとし、だがそれをやめを繰り返している。恐らく話すかどうか考えているのだろう。


 だが、その時間はとある人物が現れたことによって終わりを告げる。


「おいおい……うちのシマで嗅ぎ回るのはやめてもらえるか? 兄ちゃんよぉ」


 そう言って出てきたのは、すらりとした体躯の、狼人族の男だった。

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