第37話:ウェルペウサ

 パレチェク侯爵領、ウェルペウサ。

 ネイメノス火山を含む山々が視界に広がる土地。


 どちらかというと乾燥した地域に当たるこの領地は、普段以上の賑わいを見せていた。

 といっても俺たちは馬車から眺めるだけなのだが。


「いや~、今回はいつにも増して人が多いねェ」

「そうなのか?」

「うん、多分1.5倍くらいは多いんじゃない?」


 普段の品評会以上に人が集まった街は独特の熱気に包まれ、楽しげな声が喧噪と共に耳に届く。

 こんな状況じゃ、街の警備隊も大変だろうな。


 しばらく行くと貴族街に入るための門が見え、そこを過ぎた更に奥。

 どことなくタージ・マハルを彷彿とさせる独特の建築物が、ここウェルペウサの領主邸。パレチェク侯爵の住まいである。


 俺とフィア、そしてノエリアと伯爵夫妻も馬車から降りると、すぐに領主邸の玄関が開かれ、一人の痩せぎすな老人が現れる。

 その見た目とは裏腹な豪華な服からすると、間違いなくこの人が……


「これはこれはパレチェク侯爵。お招きいただきありがとうございます」

「バルリエント伯爵、お待ちしておりましたぞ。お連れ様も、さあ中にお入りください」


 予想通りパレチェク侯爵本人だった。

 侯爵の先導によって俺たちは侯爵邸に入ると、そのままとある部屋に案内された。通されたのはやはり応接室。

 そこにはパレチェク侯爵に似た、中年の眼鏡を掛けた男性が座っており、バルリエント伯爵を見ると立ち上がって迎える。恐らくこれは息子だろうな。


「バルリエント伯爵、よう来てくださった。ささっ、どうぞどうぞ」


 ……何というか、親子揃って動きが独特というか、腰が低いというか。

 それぞれソファーに腰掛けると、息子と思わしき男性が立ち上がって自己紹介を始めた。


「私はジーモン・フォン・パレチェク。次期当主です。生憎と妻が体調を崩しておりまして……申し訳ない。よろしければ皆様のお名前をお聞きしても?」


 人と話すのが苦手なのか、落ち着きがなく手を揉み合わせ、視線を泳がせながら少し早口で喋る人物だな。

 いかにもオタクっぽい。


「僕の紹介は良いから……まず、彼女がうちの【魔道具師クラフター】だね」

「ノエリア・エスタヴェです。……お久しぶりね、ジーモン」

「おおぅ!? これはこれは……驚きましたぞ。なるほど、伯爵の【魔道具師クラフター】として参加ですか! 他の方々は……」


 うん? なんか予想と違う。

 元々ノエリアは彼から結婚を迫られていたのではなかったか?

 しかもかなり熱烈だったと聞いたが……えらくあっさりだな。


「【魔道具師クラフター】のサポートとして、フェイ・ユェファ殿と……」

「よしなに」

「ノエリア姫の婚約者である、ロン・ジェン殿だ。彼は火竜一族に認められた戦士なんだよ」

「しばらく世話になります」


 俺は立ち上がって拱手の礼を取り、座り直す。

 すると彼は大げさに仰け反って驚きを表しながら俺に顔を近づけ、これまでよりさらに早口で話しかけてくる。


「ほほう、婚約者ですか! 道理で断られるわけですな。しかし、火竜一族に認められた戦士とは、それは良いことを聞いた! 是非品評会が終わったら、吾輩の傑作と手合わせして欲しいですぞ!」

「け、傑作?」


 ちょっと、顔が近い近い!

 俺は顔を逸らし、手のひらで彼の腕を押し返しながら聞き返す。


 すると彼は「おっと」と言ってわざとらしい咳払いをして、「終わってからのお楽しみですぞ!」と言っていた。



 * * *


 侯爵や侯爵の息子との顔合わせを終え、それぞれの滞在する部屋に通される。

 今回、ノエリアの婚約者という立ち位置のため、ノエリアと俺は同じ寝室である。


「いや、おかしくないか? 婚約者だろ?」

「あら、でも目的としてはこの方がいいじゃない」

「……それはそうだな」


 もしもということを考えて、ノエリアと同じ部屋なのが良いのは分かる。

 だが、それならフィアと一緒というのでも良い気がするが。ま、変に突かない方が良いか。


 ――コンコン。

 そんな事を考えていたら、ドアをノックする音がした。


「どうぞ」


 俺がそう言うと入ってきたのはフィアだ。

 といっても、フィアの寝室は同じ部屋で、別にノックする必要はないのだが。

 この部屋はかなり大きく、1つの部屋に2つ寝室を設けているという仕様で……普通、貴族とかが泊まる部屋じゃないのだろうか。


「……さて、どうだったかしら?」


 フィアが俺のベッドに腰掛けると同時にノエリアが口を開く。


「うむ。偽装ではないな、間違いなく本人じゃ。そうじゃろ?」

「ああ。ジーモン卿の場合は身体に触れることが出来たので詳しく確認したが、間違いなく本人だな」


 偽装であれば見ただけでも分かるし、対象に触れればなおのことはっきりと分かる。

 だが、どちらもパレチェク侯爵やパレチェク侯爵の子息が本物であると認識できたのである。


「……そうなると」

「ああ、精神的な影響の方だろうな」

「……うぅむ」


 今度は精神的影響の側面から見ていく必要があるだろう。そう思っていたら、隣でフィアが首を捻っていた。


「フィア、どうした?」

「……いや、あの者は変な喋り方ではあるが、催眠などに掛かったような一種独特の気配はなかった。じゃから、よく分からぬというのが本音じゃ」

「……なんだって?」


 フィア曰く、元々ノエリアから聞いていた人物像と特にズレらしきものが見られないとのこと。

 それに今のところ受け答えにも怪しいところはないので催眠などとは思えないということらしい。


「どうしたものかな……こうなるといまいち動きづらい」

「そうね……後手に回るから嫌なんだけど、仕方ないわ」

「そうじゃな……」


 一旦話し合いはお開きにして、それぞれ自由に動くことにする。

 一応領主邸に泊まっているとはいえ、伯爵は別として俺たちはこれといった貴族のあれこれがないので街に出ることにする。


 本来はノエリアも姫だから残るべきなのだろうが……今回は【魔道具師クラフター】扱いなので良いのだろう。

 特に屋敷の使用人にも咎められることなく出ることが出来た。


「さ、どこ行くのかしらダーリン?」

「ノエリア……冗談はよせ」


 腕に抱きついてくるノエリアを剥がし、街を歩く。

 いくら依頼の都合上婚約者扱いで来ているとはいえ、わざわざ腕を組む必要はない。

 それにその……腕に抱きつかれると、色々と小っ恥ずかしいのだ。


「……」


 フィアは特に何も言わず、街の雰囲気を見ている。

 ヴェステンブリッグやクムラヴァに比べ、乾燥地域だからかゆったりした服装を着ている人が多い。

 クムラヴァとそう遠く離れているわけではないはずなのだが、まるで異国気分だ。


「あら? あれは何かしら?」


 ノエリアがあちこちの店を見ては店員さんと話している。

 女性というのはショッピング好きと聞くが、この世界でもそれは変わらないのだろう。


「フィアは何か見たいものはあるか?」

「特にないのう」


 まあ、それもそうだ。

 確かにウェルペウサは、武器や道具鍛冶について強い。品質のいい武器や調理器具などを求める普通の人には良いのだろう。

 だが、俺やフィアのようにドヴェルシュタインへ出入り出来る者にとっては、結局興味を惹くものがあまりないということになる。


 魔道具についても同様で、西方地域としては良いものが揃っているのだが、東部の王都に行けばもっと様々な魔道具を見ることが出来るし、さらに言うと俺やフィアにとってはそこまで欲しいものがない。


 何軒か魔道具屋を見たものの、マジックテントが置いてあるはずもなく。


「次はあのお店を見たいわ!」

「はいよ」


 結局ノエリアの買い物に付き合うという形でウェルペウサ散策は終わったのだった。



 * * *


 翌日。

 明日が品評会本番のため、ノエリアはフィアと共に魔道具の最終調整のために籠もるらしい。

 そんな俺は散策という建前で朝から酒場に出かけるつもりだったのだが……


「すみませんが、旦那様がロン・ジェン様とお話しになりたいとのことで……」


 そんなパレチェク侯爵家の執事の言葉で計画は頓挫。

 やむを得ず案内されるままにパレチェク侯爵の元へ向かった。


 昨日とは異なり、今日は執務室に呼ばれた。

 中に入ると、パレチェク侯爵とその子息であるジーモン卿が座っていた。


「よく来てくださった! さ、どうぞ」

「呼んでいただき光栄だ、お邪魔させていただく」


 拱手の礼を取り、二人の対面に座る。


「紅茶はお好きですか? それは良かった、すぐに来ますので……最近雇った【魔道具師クラフター】が良い魔道具を作ってくれましてな、すぐにお湯が沸くというのはありがたい。お、来たな……ほれ、早う並べんか。どうですかこのポット。魔道具ですがこんなにコンパクトなのです、素晴らしいでしょう! 良ければ後ほど一台こっそりお届けしますので……いらない? どうして? そんなに高価では……これは無欲なお方だ。しかしお茶なら問題ありますまい……これは我々貴族の間でも有名な紅茶でしてな、【プリンセス・セルティ】という銘柄の紅茶でして――」


 話が早い早い。

 俺が頷くだけでどんどん話が進んでいく。


 しかし【プリンセス・セルティ】か。懐かしいな。

 一口含むと、その独特のフレーバーのアロマが鼻に抜け、幸せな気分とさせてくれる。


 柑橘系の爽やかさと、少しだけ感じるジンジャー系のピリッとした味わい。


「――しかし大公殿下も子煩悩でいらっしゃいますな。わざわざ公女殿下のお名前を冠する紅茶を販売されるとはまったく……いや、失礼。我々も見習いたいものです、少しでも名が残るように――」


 どうしようか。俺は何か首振り人形になった気分で話を聞く。

 こういう人いたな……普段陰キャで本だけが友達!見たいな女の子が、少しアニメの話を振っただけで堰が切れたかのように話し出すのだ。


 あれは止まるまで30分くらい掛かった。

 俺もオタクなので分からないではないのだが、あの勢いはヤバかった。「あ、ミスった」って思ったときには遅かったし。


 さて、目の前の人物もこっちが聞いているかどうかもお構いなしに話を続けている。


「――で、我々としてもドワーフとの繋がりは必要……そう思っていたのですが、なんともまあ! 断られたのですよ! まあ、かの姫は『自分より弱い男とは結婚しない』と豪語しておりましたので、我らではどうしようもなく。しかし流石はロン・ジェン先生だ! かの姫と婚約されるのですからな!」

「……手合わせを望まれたときはまさかと思っておったが。これも何かの縁なのであろうな」


 やっと口を挟めた。というか、さっきから微妙に音が変わるなと思っていたらこの親子二人で交互に喋っている。

 声が似ているからそこまで違和感がないが、これ、新手の拷問だろ? そうに違いない。


「――是非とも我が騎士たちとも手合わせをお願いしたく! 如何だろうか先生、しばらくここ留まるというのは!?」

「……申し訳ないが、色々動かねばならぬのでな。竜域にも向かわねばならぬし」

「それはそれは、失礼いたしました! 流石は火竜一族の認めたお方だ!」


 今気付いたのだが、俺はいつから『先生』呼びされているのだろう?


 結局、俺は2時間ほどただ紅茶を飲んで頷く機械と化していたようである。

 「ようである」というのは、実は自分でもいつ部屋に戻ったのか分かっていないという状態だったから。


 ……人と話すときは気を付けよう。




「……で、そんなにゲッソリしてるの?」

「……ああ」


 どういうわけか、今俺はノエリアに膝枕をされているようだ。

 部屋に戻ってからソファーで寝ていたらしく、気付いたら正午になっていた。


 どうやら俺は俯せで寝ていたらしく、部屋に一旦戻ってきたノエリアが見かねて仰向けにしてから膝枕をしてくれたらしい。


 膝枕されてからは15分くらいで俺は起きたらしい。俺が立とうとすると、額を押さえられて立ち上がれず、そのままの姿勢で午前中の出来事を話した。


「……相変わらずねあの二人は」

「……よく貴族としてやっているよな」

「同感ね」


 そろそろ空腹を感じてきたので立ち上がり、インベントリから買っておいた食事を出す。

 ちょうどフィアも戻って来たため、部屋で昼食を摂ることにした。


 フィアにも侯爵親子の話をしたが、「そういう人種もいるからの」といわれて終了。あまり気にしたらいけないのだろうか。

 しかし、なんかフィアと少し距離を感じるのだが。明日が本番だし、忙しいからだろうか?


 少々不思議に思いつつも、結局は聞けず仕舞い。

 フィアとノエリアはまた出て行って魔道具の調整に戻り、俺はやっと街に出ることが出来たのだった。

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