閑話:辺境伯の野暮用と、大公の探し物

「……」


 その男性は、普段から厳しいと言われる顔にさらにシワを寄せながら馬車の中にいた。


 彼はヴェステンブリッグ領主、ヴィンツェンツ・フォン・リーベルト辺境伯。

 見た目としては重厚な雰囲気を持つ歴戦の軍人で、その口髭がその風貌を更に強調していると言っても過言ではない人物。

 

 彼は、王都への旅の途上にあった。

 基本的に領地貴族は自分の領地から出ることはない。

 

 とはいえ、それが許されるのは基本的に下級貴族であり、たとえ辺境伯といえども定期的に王都に向かう務めがある。

 半年のうち2ヶ月程度は王都で生活し、政府中枢の意向や今後の動きを確認したり、他の貴族との連携や交流を深めるための活動をしなくてはいけない。

 

 もちろん他の貴族との交流は法で定まっているわけではないが、慣例となっており、これに参加しないと中央からの風当たりが強くなる。

 

 それに、こういう交流での繋がりを作ることで子供たちの婚約や、家を継がない次男以下の子供たちの将来に繋がったりするのだから、手は抜けない。

 

 特に、リーベルト辺境伯にとっては、間もなく社交界デビューをする娘のためにもこのような時間が特に大切だ。

 

 家や娘のために、下手な家と婚姻を結んでは大問題。

 そうならないためにも、先に手回しをしたりするのは払うべき手間だ。

 

 とはいえ、旅の間は暇である。

 

「王都は遠いからな……あと数日だろ?」

「2日ほどですな」

「はぁ……」


 そう馬車の中で溜め息を吐く。

 辺境であるヴェステンブリッグから王都までは魔道具の馬車で約10日。

 魔道具の馬車は馬の疲労回復や持久力維持、車体の軽量化など、出来るだけ早く目的地に辿り着くための高価なものである。

 そんなアイテムを使っても10日程度かかるのだ。つまり、結構な距離を旅することになる。

 もちろん途中で滞在するのはその貴族領の領都であり、そこの領主とも会って話すのも必要だ。

 

 都市、というか街に入り、領主邸に向かう。

 滞在するのは貴族である以上、しかも仕事の一つである以上は領主邸に滞在するのが普通だ。

 

 領主邸に到着すると、30代の細身の美男が迎えに出てきた。

 

「ようこそおいでくださいました、辺境伯。こちらはうちの長男でして……」

「エミール・フォン・オーグレーンです」


 この少年も父親に似た美男子だ。将来はかなりモテるに違いない。


「しかし珍しいですな、この時期とは。本日ご家族は別で?」

「流石にいつも連れて来るわけにはいかんよ。それにもうそろそろ娘もデビューだ。そうなるとわざわざ今連れて来る必要もあるまい」

「はっはっは、確かにそうでしたな。これは失礼しました。ぜひごゆるりとお寛ぎください」

「うむ」


 そしてそこの領主も慣例を当然知っているため、少しでも辺境伯との繋がりを作ろうとする。

 ここの領主は子爵位。辺境伯と比べると、2つ下の階位だ。

 そうなると、上下1つ違いの家格の長女か、もしくは2つ上の次女が正妻としてふさわしい。


 この子爵家の長男は、まだ14歳くらいの少年だったはず。

 明らかに辺境伯との姻戚を狙っているのが丸分かりの会話だ。

 

(しかし、うちの娘は今のところ同意しないだろうがな)


 そんなことを考えながら、リーベルト辺境伯は客室のソファで一息ついた。

 

 * * *

 

 それから2日。

 王都【ベラ・ヴィネストリア】に到着した辺境伯たち一行。


 王都には多くの貴族が【王都屋敷】というものを持っており、そこに滞在するのだ。

 たとえ男爵という最下位の貴族であっても王都屋敷を持つほどに当たり前なのだ。

 

「ふう……やはり貴族は面倒だな」

「旦那様、ならば引退されますか?」

「……単なる愚痴だ」


 辺境伯の側にいて率直な物言いをするのは、長年辺境伯家に仕える執事。

 辺境伯もその家族も、この執事による厳しい教育を受けており、つまりは気心知れた相手でもある。


 愚痴をわざわざ拾ってきた執事に言葉を返しながら、今後のスケジュールを思い出す。


「さて、例のパーティは明後日だったか?」

「ええ、仰る通りです」

「ふむ……出来ればそれまでの間に見つけたいな……」


 一応、今回の王都行きの目的は、辺境伯が懇意にしている【国王派】のパーティに招待されたからだ。

 とはいえ普段動く時期ではないため、どの領地でも驚かれたものである。


 だが、それはあくまで表向きの理由。

 本当の理由は、とある人物の生家、もしくは一族を探すためである。

 

「俺が知る限りではそれらしい人物はいないからな……出来たらあの方・・・にお会いできたらいいのだが……」

「しかしご多忙ですからな。立場的にも簡単ではございませんし……」

「だよなぁ……」


 そうぼやきつつも、自分ではどうにもできない部分のため他の手を考えるしかない。

 

「まだ剣術側から探す方がマシだろうな……幾つかの道場に演武の依頼でも出すか」

「そうですな」


 結果からすると芳しくなかった。

 彼に似ている剣術を使う者はおらず、明らかに彼より実力が劣るのが見て取れるため、辺境伯は少々落胆するのであった。

 

 * * *

 

 国王派。

 それは、国王に固く付き、貴族としての立場や権益よりも国王を助け、支えることを重視する派閥だ。中央の法衣貴族が多く所属する。

 

 やはり少なからず派閥というのは存在するもので、イシュタリアにおいても【軍閥】、【財務閥】といった役職系派閥だけでなく、【国王派】、【貴族派】、【中道派】というものも存在する。

 

 【貴族派】というのは、領地を治める貴族が大半を占め、領主として領地を治める上で必要な立場や権益を重視する。

 もちろん、国王に対する忠誠を誓っているのは間違いないのだが、より貴族寄りの立場なのである。

 

 【中道派】はどちらにも属さない、バランスを取ることを重視する派閥。

 これは中央の貴族も領地貴族も含まれるが、人数的に多くはない。

 

 さて、【国王派】の象徴は当然国王だが、首長は別である。

 とはいえ……

 

「流石は国王派。まさか、王城でパーティを開催するとは……」


 現在リーベルト辺境伯は王城内の迎賓館にいた。

 王城には様々な建物が存在するが、その中の一つがこの迎賓館である。


 迎賓館は2つ存在し、1つは従属国を除く諸外国からの賓客をもてなす【清柳館】。

 ここに滞在できるのは訪問してきた外国の王族や、国王名代の立場として来ている外国の高位貴族のみ。


 そしてもう1つが【天狼館】。

 これは王族が国内の貴族を招く場合に用いられる迎賓館で、使用する場合は王族が申請し、参加者を確認の上で国王が使用を承認する。

 つまりここに立ち入ることが出来るというのは、それだけ王族からの信頼があるという証しでもある。


 現在辺境伯がいるのは、そんな【天狼館】であった。


 嫌味でない、そして王族としてふさわしい調度品の数々。

 派手ではなくともその素晴らしさは、たとえ素人が見ても理解し感動出来るような絵画。

 そしてそのすべての調和。


 まさしく王族の誇りと威信に賭けて造られた場所といっても過言ではないだろう。


 現在辺境伯は、他の国王派の貴族と共に会話をしつつ、様々な情報を得ている。


 辺境伯自身は実は国王派ではない。

 というよりも、派閥闘争をしている暇がないと言うべきか。


 辺境伯というのは基本国境を守る立場。

 そのため独自の軍事力を持つ強力な立場である。


 その存在は王国にとって戦力であると共に、逆に独立性のある、一種恐ろしい相手とも言える。

 もちろん辺境伯は国家を裏切る気持ちはないし、国家と国王への忠誠を誓った身。


 だが、どの派閥も辺境伯を取り込もうとしているのも事実である。

 そのため、適度に情報を与えつつも必要とする情報を手に入れたり、逆に情報を抑えてこちらの望む物を引き出したりなど、そのようなやりとりが続く。


「ふう……」


 流石に慣れているとはいえ、それでも身体を動かす方が得意な辺境伯は、少し溜息を吐きつつワインを口にする。

 すると、ふと自分の方に近付いてくる気配を感じた。


「やあ、リーベルト辺境伯。そのワインは当たり年のものでね、私のお気に入りの1つなんだ」


 そう言って近付いてくる人物。

 豪華な服を身に纏い、豊かな黒髪をたなびかせながら口元に微笑を浮かべて話しかけてくる。

 だが、そのサファイアのような青い瞳は鋭く、その冷たさはその人物の持つ理性的な雰囲気を殊更強めている。


 そして、まるで神が形作ったと言わんばかりの美形の顔立ちと、鍛えられた身体による隙のない立ち振る舞い。


 辺境伯は、その人物が誰かよく知っていた。

 近付いてきた人物に向かって深くお辞儀をすると、口を開いた。


「これはライプニッツ大公殿下、ご機嫌麗しゅう。普段中々顔を出しませんで、本当に申し訳ございません」


 そう。

 この人物こそ、この国王派の首長。このパーティの主催者。

 そして、この国で唯一、【イシュタリア公家】と呼ばれる王族一族の当主。


 ジークフリード・フォン・ライプニッツ大公であった。


 彼の家柄の良さは言うまでもない。

 ライプニッツ家は建国王の弟であった【竜騎士】を祖とする一族で、何代にもわたって王家と婚姻を繰り返してきた家。

 そのため、【もう一つの王家】とすら呼ばれる一族。


 現在でも王位継承権を持つ一族であり、さらに王族内での階位である【王族位】は第5位。

 まだ第一王子が若いため第2位の王太子がおらず、国王を第1位とする王族位の中で、王妃の第4位に次ぐ順位だ。


 大公の母も王族との繋がりある侯爵家の出身で、大公の妻は先代王弟の娘。

 さらに、彼の妹は当代国王の第一王妃。


 国王とも幼馴染みで、幼い頃から国王を助けてきた人物。

 さらに、王国軍元帥として国軍を率いるが、同時に自身も【雷剣】という異名を持つ騎士。

 一時期は冒険者として活動し、Aクラスまで昇格したという超実力派。


 とはいえ、実は知られていないが、国王もその王妃も、そして大公妃も全員冒険者だったという前歴を持つのだが。


 そのような人物がわざわざ自分のところに来るとは……と内心冷や汗を掻きつつも、それを出さずに挨拶する。


「はっはっは、普段中々出てこない辺境伯が来てくれたからすこぶる機嫌がいいんだ。どうだね、領地は?」

「ええ、特にこれといった問題もなく。ダンジョンも変わらず、我らの生活を支えております」

「ああ、そうだったな……懐かしいな」


 実は辺境伯は、大公が冒険者であったことを知っている。

 なにせ彼らが活動していたのがヴェステンブリッグだったからだ。

 当時辺境伯はまだ王国騎士団にいた頃だったが、それでも里帰りで戻ると彼らをよく見かけていたし、父親からも聞かされていたのである。


「以前にも増して冒険者は活発に仕事をしておりますな」

「うむ、それで良い。辺境伯の政策も上手くいっているようだしな」

「……恐れ入ります」


 流石は大公と言うべきか。

 元帥であり、中央に詰める王族にもかかわらず、辺境の状況を知っているとは……とその情報力に驚かされる。


「……だが」


 と、そこで言葉を句切る大公。

 そして辺境伯をその鋭い目で見ると、こう口を開いた。


「すこし、悩み事があるようだな。部屋を変えよう。付いて来るが良い」


 そう言うと歩き出す。

 いきなり何を、と思ったが、既に歩き出した大公に従うほかない。


(……それに、ちょうどいいタイミングだしな)


 辺境伯はそう考えつつ、大公の後を追った。


 * * *


「さあ、掛けたまえ」

「はっ、ありがとうございます」


 とは言っても、大公が掛けてからでなければ辺境伯としては座れない。

 大公がソファーに掛けたのを確認し、「失礼します」と言いつつ自分も腰を掛ける辺境伯。


 すぐに紅茶が持ってこられて、二人が掛けるソファーの間のテーブルに置かれた。

 給仕が下がると同時に、大公が身を乗り出して聞いてきた。


「それで、だ。どうも辺境伯を見る限り、何か悩み……いや、誰かを探しているように感じる。どうだ?」


 どうだ?と言われましても、というのが本音だが、事実に間違いはない。


「……ええ、殿下の仰るとおりですな」

「ふむ。それは何故か、話せることかな?」


 辺境伯は少し考えた。

 今探しているのは、自分の領地にいるある人物の血筋について。

 もしそれが探し出すことが出来たら、もしかしたら娘の応援になるかもしれない。


 だが、情報を渡すことで彼が引き抜かれる可能性も否定できない。

 なにせ目の前の人物は軍のトップ。それも実力主義の人物だ。


 あれほどの猛者の情報を知れば、引き抜こうと動き出すかも知れない。

 例え辺境伯である自分と懇意にしていたとしても、流石に王族から声を掛けられたら動くかも知れない。


 そんな事を考えていたが、結局ここは娘のために情報をさらすことにした。


「……実は、今ヴェステンブリッグに、とある冒険者の少年がおります。少し前、娘がその冒険者に助けられましてな」

「ふむ……令嬢はその少年を気に入ったか」


 一つ話せば十も二十も返してくるのがこの大公である。


「ええ……それもダンジョンの中で魔物に襲われていたときに助けられたということもあり、それは大変嬉しそうでしてな。聞くこちらが火傷しそうな勢いで……」


 あの時の娘の迫力には驚かされた。

 というか、もう少しお淑やかに育てたつもりだったが、あの熱の入れ方はなんなのだろう。

 女性というのはああいうものなのか?


 そんな事を考えていたら、正面の大公も苦笑いしていた。


「……娘というのは、父親の予想を超えるものだからな。大抵、ああいうのは母親譲りなのだろうが……」


 この瞬間だけは、大公が単なる娘に悩む父親に見えた。

 ああ、そういえば大公にも娘がいたな、ということを思い出しつつ話を続ける。


「ゴホンッ……そのようなわけで、出来たら娘もデビュー間近ですし、もし家柄などが分かればと……」

「なるほど。その少年は平民ではないと? それに、ヴェステンブリッグの出身ではないのかね?」

「ええ……1年前、10歳の時にヴェステンブリッグのギルドへ登録したのが最初ですな。本人も、出身はうちではないと申しておりまして……それに」


 それに。

 辺境伯は、ギルドマスターであるデニスから聞いた彼の立ち振る舞い、自分が見た雰囲気について説明する。


「デニス曰く、中央貴族の出身、それも高位の家格らしい立ち振る舞いと仕草が随所に見られると」

「……デニスが言うなら、まず間違いないだろうな」


 デニス・ハニッシュ。

 彼は冒険者の間で、目利きが利くことで有名だった。

 人も物も、彼の目に掛かっては良し悪しがはっきり分かってしまう、という噂が真実として話される程である。

 故に、冒険者時代【千里眼】という異名を付けられ、それは今でもよく知られている。


 当然、元冒険者の大公もよく知っており、その目利きには信頼を置いている。

 そんな彼が評価した以上、まず間違いはないと思っていた。


「それと……非常に高い実力があり、娘を助けてくれたときも【キラーウルフ】から守ってくれたのです」

「【キラーウルフ】……あのBクラスの魔物か! あれは初撃、それも一撃で仕留めれば良いが、それが出来なければ相当に厄介だからな……撃退したのか?」

「それが……彼は討伐したのです」

「……まさか」


 流石の大公もこれには驚いた表情を隠せなかった。

 一体どこに11歳でキラーウルフを討伐する少年がいるのだろう。


「今、その少年は?」

「今はD……いえ、もうすぐCクラスですな。11歳で特例にてDクラスに昇格させ、その後も順調でして……」

「なんと……ソロか?」

「最初はそうでしたな。……そうそう、娘をキラーウルフから救った後、どうもトラップによってどこかに飛ばされたらしく、2週間ほど戻って来ませんでして。どうやらその時に出会ったらしい狐人族の女性と共に帰ってきたかと思ったら、それ以降パートナーを組んで2人でいつも動いております」


 辺境伯は思い出しながら語った。

 それ以降も、様々な依頼を受け、そのすべてを解決していること。

 礼儀面も問題ないため、いずれはBやAクラスへと至ると考えていることなどを話していった。


「ふむ……しかし、中々探すのは難しかろうな……何か特徴はないか?」

「ええ、もちろんございます。まず、髪は銀色……一部黒でしたが、大半が銀色でしたな。目は緑で……身長は160センチを超えております。最近は会っておりませんが……」

「なるほど」

「彼は細身の片手剣を使っており、蒼月流、纏羽流の一流の使い手です……おお、そうでした」


 ここで思い出したかのように辺境伯はポンと手を叩く。


「娘曰く、それ以外にも『一瞬で魔物の後ろに抜けていくような突き』を放っておったそうです。それと……『いまいち説明しづらい、曖昧に見える動きもしていた』と……」

「曖昧だと?」

「ええ、娘が言う言葉そのままですが、説明出来ないようなので、私も分かりませんでしたな」

「……珍しいな」


 少し大公が上を向いて顎を撫でながら考えていたが、ふと何か思いついたのか辺境伯に尋ねた。


「確認だが、目の色は『緑』だったか?」

「ええ、緑……いえ、正確には青の入った緑……翠色でしたな」

「……!!」


 一瞬。

 ほんの一瞬だったが、大公の表情が引き攣ったような、驚いたような表情になったのが辺境伯には分かった。


「……心当たりでもございますか、殿下?」

「……いや。最後に聞きたい」


 特に心当たりはないとのことだったが、最後に1つ確認したいことがあるとのこと。


「なんなりと」

「その者は……【魔法】は使えるか?」


 魔法が使えるか?

 一瞬質問の意図が読めなかった辺境伯だが、特に気にせず答えた。


「ええ、盗賊討伐の際に使用していたそうですな。普通とは異なる魔法と聞きましたが」


 だが、その答えを聞いた瞬間、明らかに大公が落胆の表情を見せたのである。

 普通大公がここまで表情を変えるのを見たことがない辺境伯は、内心の驚きを抑えながら聞いた。


「……大丈夫でありますか殿下? 何か私の答えに不手際でも?」

「……いや、大丈夫だ。すまん、心配掛けたな」


 そう言うとすぐにこれまでと同じ微笑を湛えた表情に戻る。


「いや、有意義な話を聞けた。出来たらその冒険者に会ってみたいものだな」

「ええ、出来れば今回も王都に連れてきたかったのですが……強制は出来ませんからな」


 そう話しつつ、部屋を出てパーティ会場に戻ったのだった。



 * * *


「疲れてるみたいね、ジーク」

「……ヒルデ」


 ジークフリードは王宮内の公家離宮の自室で、ソファーに足を投げ出し横になっていた。

 既にパーティ後のため夜も遅くなっていたが、妻であるヒルデ公妃がその側に立ち、ジークフリードの顔を覗き込む。


「疲れているというより、悩んでいるようね?」

「……ああ、少し頭が混乱しているのは事実だ」

「どうしたの?」


 ジークフリードは迷った。

 この件はまだ不確定なところが多い。そのためあまり妻に負担を掛けたくないと思っている。

 だが、どうしてもこの件を伝えたい、伝えてあげたいという思いもあり悩む。


「ふふっ、どうしたの? ジークらしくないわね、そんなに悩んで」


 普段元帥として、そして【雷剣】として恐れられる気高き騎士も、妻の前ではただの男。

 ソファーに腰掛けてきた妻の膝に頭を載せ、目を瞑る。


「……俺だって悩むことはあるさ」

「……なにか、私に関することかしら?」


 妻の言葉に閉じていた瞼を開き、妻の顔を見る。

 下から見上げた顔は、影になっているが優しげで、だが少し目に哀しみを浮かべていた。


「……そうだな。関係している」

「…………あの子のこと?」


 その言葉を聞き、苦しげな表情になるジークフリード。

 ゆっくりと身を起こすと、妻の手に自分の手を重ね、ぽつりぽつりと話し出す。


「……今日のパーティに、リーベルト辺境伯が出席してな。領地の冒険者の話をしてくれた」

「……あら、懐かしいわね。ヴェステンブリッグでしょ?」

「ああ」


 公妃であるヒルデも、元Aクラス冒険者。

 【黒の魔女】の異名を持つ強力な魔法使いだった。


 少し当時のことを思い返し、懐かしむ表情になる二人。


「……で、なんだったかしら?」

「あ、ああ……それでな」


 ジークフリードは今日聞いた話をした。

 1年前にヴェステンブリッグに現れた新人少年冒険者。

 立ち振る舞いが立派で、間違いなく中央貴族の関係者であると言われている人物。


「それに……高い実力を持つ剣士で、Bクラスであるキラーウルフを単独討伐したそうだ」

「……凄いわね。あれは中々単独討伐は難しいのに……」


 そのようなことが出来るのは、自分たちを含め一握りの高クラス冒険者だ。

 それをまだ成人もしていない少年が行うなんて……と驚く。


「使う剣術は蒼月流と纏羽流らしい」

「あら、その歳でそこまで出来るなんて。ジークは欲しいんじゃない?」


 そう言って茶化すように話してくるヒルデ。

 その雰囲気に苦笑しつつ、ジークフリードは言葉を続ける。


「確かに俺の後任に出来たら良いがな……」


 そう呟きつつ、話を戻す。


「そんな冒険者だが、他の剣術も出来るらしく、キラーウルフ討伐時は独特の剣技だったらしいぞ……辺境伯は分からなかったようだ」

「あら、あの剣術大好き男が知らないなんて、珍しいわね」


 リーベルト辺境伯は武人だ。それも自分で剣を振るえるだけの剣術を修めており、さらに自分は使わなくても様々な流派の剣術に通じているために、型を見ただけでそれを言い当てることが出来るだけの眼を持つ。


 それは貴族社会でも有名な話で、こんな逸話があるくらいだ。


 ある時、他国の間者がヴェステンブリッグに紛れ込み、そこで辺境伯を暗殺しようとしたらしい。

 偶々その日辺境伯は1人だったのだが、その間者の構えた剣だけで剣術の流派を当て、そしてそこからどの国からの間者かを当てたらしい。


 さらには襲ってきた相手の悪い点を指摘しながら軽くいなし、最終的にはその間者の心が折れて投降したとか。


 そんな辺境伯が分からなかった剣術。それはヒルデにとって意外だったのである。


「と言っても、辺境伯は令嬢から聞いた内容しか分からないらしいからな。『一瞬で魔物の後ろに抜けていくような突き』を放ち、『いまいち説明しづらい、曖昧に見える動きもしていた』らしい」


 その内容を聞き、ヒルデは黙り込んだ。

 しばらく頬に手を当て考え、しばらくしてやっと口を開く。


「……それ、【玉響たまゆら】の動きに聞こえるわね」

「ああ……もう一つは【陽炎かげろう】だろうな」


 この二人はその剣術について予想が付くようだった。

 片や王国最強とも言われる異名持ちの騎士。

 もう一人は王族としての教育を受けてきた姫。


 辺境伯では分からないものに予想が付いても仕方ない。


「【護国流剣術】……」

「間違いないだろう」

「あの子は確かに習得していたわね……【一成】が出来たと言っていたから」

「……だな」

「……見た目は?」


 ヒルデは、核心となる内容を聞く。


「……髪は黒混じりの銀、目は……翠色だ」

「……髪は染めたとして」

「ああ、髪くらい染めることが出来る。だが、瞳は出来ないだろう」

「……そうね」


 見た目の特徴を告げると、明らかに動揺したような表情をするヒルデ。

 同時に、嬉しそうな、でも泣きそうな表情になる。


 だが、それにジークフリードが待ったを掛けた。


「……だが、多分違うんだ」

「どうして……?」


 ジークフリードの一言に愕然とした表情を見せるヒルデ。

 その表情をさせたくなくて、だが、それでも言わなければと思い直し告げる。


「その少年は……魔法が使えるんだ」

「……そんな……」


 そう言って遂に泣き出すヒルデ。

 そんな妻の様子を見ながら、肩を抱き、頭を撫でるジークフリード。


「……すまない。やはり話すべきじゃなかった」

「……ううん。聞かなかったら、もっと辛かったわ。それに貴方だって……」


 そう言い、二人で抱き合う。

 あまりの辛い記憶は、二人にとって未だ心の棘として存在している。


 あの子、と二人が述べる人物。

 それは、ジークフリードとヒルデの家族。二人にとって愛する息子だった。

 次男として生まれ、皆の喜びと祝福に包まれていた子。


 両親であるジークフリードとヒルデに似た美しい子供で、髪は父親から受け継がれた黒。

 瞳はジークフリードの青と、ヒルデの緑を合わせた、世にも珍しい翠色。


 頭が良く、幼くして文字を理解し、歩き出した。

 周りに迷惑を掛けることなく、すくすくと育ち、誰もが、将来どのような道を歩むのか、楽しみに期待していた。

 運動神経も良く、剣の腕も上げていった。


 だが、彼には大きな問題があった。

 それは、内包する魔力が大きいにもかかわらず、魔法が使えないこと。

 そう、彼は【白】だった。


 周りの期待は途端に失望に変わり、あるいは哀れむような目に変わった。

 無論ジークフリードやヒルデは、そして彼の兄や姉、叔父、叔母、従兄弟たちに至るまで皆、彼を愛し、彼自身を見るようにしていた。

 間違っても彼を哀れんだりしないと、普段通りに接すると決めていた。

 そのように行動してきたつもりだった。


 魔法が使えなくとも、その剣の腕と頭脳は変わらない。

 いずれは騎士として、そして将軍として国を守る存在になる、そう期待していた。


 だが、彼は突然消えた。

 まるで最初からそこにいなかったかのように。

 失踪したのだ。


 それが、ちょうど1年前の出来事。

 ジークフリードもヒルデも、必死に情報を集めた。今でも情報がないか探している。

 だが、王族が消えるというのは大きな問題。まだお披露目されていなかったため国全体へ知られることはなかったが、それでも情報を集めるというのは困難を極めた。


 今のところ彼は除籍とはなっていないが、それでもデビューである13歳になるまでに見つからなければ死んだものとして扱われることとなる。


 つまり、辺境伯の話した少年は、ただ1つの点を除いて完全に一致していた。

 魔法を使えるかどうか、その点である。


 【白】であると判明すれば、どう努力しても一生魔法は使えない。

 そう信じられているこの世界では、魔法の有無はその人の大きな証明となる。


 故にジークフリードは悩んだ。

 結局話したが、やはりヒルデを悲しませただけか、と悔やんだが、ヒルデは逆に自分を気遣ってくれた。


 その妻の温かさを感じながら、しばらく頭を占めていた後悔を振り払う。

 時同じくして、ヒルデも頭を切り替えたのか、笑顔でこうジークフリードに話した。


「そういえば、エリーナちゃんの件、どうするのかしら?」

「ん? ああ、そうだな……」


 少し自分が動こうと思っていた案件があった。

 だが、なぜ妻はそのことに突然触れたのだろうと思いつつ、ジークフリードは考えを巡らす。


「……ああ、なるほど。そういうことか」

「そう。せっかくだから、その少年を借りちゃいましょう。今のところは大丈夫でも、そろそろ頃合いじゃないかしら。もちろん色々調整しないといけないと思うけど、実際に会いに行ってみたら?」

「ああ、そうだな。そうしよう」


 ヒルデの一言で決まったこれからのこと。

 明日は朝の内に仕事を終わらせ、昼には冒険者ギルドに向かおう。

 彼がCクラスに昇格するならば指名依頼が出来る。


 そう明日の予定を考えながら、寝る支度を始める。


 彼に会ってどうするか。

 それはまだ分からないし、息子ではないと考えられる以上過度な期待はすべきではない。


 だが、少なくとも一歩進んだのだ。

 そう考えると、少し胸が軽くなった気がする。


 そう思いながら、夫婦は共に床についた。


 ……だが、ふと気付く。


「その少年の名前……聞いていなかったな」



 結局、指名依頼とすることは出来ず、リーベルト辺境伯に聞こうとしたらクムラヴァでの騒動についての連絡があり、そちらに意識を持って行かれてしまった大公。


 思い出したときにはリーベルト辺境伯は既におらず、名前を聞きそびれることとなった。

 大公がその少年と出会うのは、またもう少し先のお話。

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