第76話 トルメダ・レイスフォードの野望

 最近は襲撃が多い。

 昨日、今月に入って五度目の襲撃を受けた。私の邪魔ばかりする組織の名は【黒猫】、そこに所属する暗殺者共は手練れが多く、確実にターゲットの首を刈り取る事で裏の世界では有名だ。


 今は狙われる側の私も、二年前、組織のリーダーと邂逅し大きな依頼をした事がある。

 その時の事は今でも鮮明に覚えている。


「まったくもって忌々しい」


 怒りのあまり拳を振り下ろし、机がガタッと揺れ、カップが落ちる。

 一拍遅れて、使用人のメイドが慌てて砕けたカップを拾い集める。


 このメイドは表向きは、我が家に奉公にきて、住み込みで働いているという事になっているが、実際は違う。


 裏の取引で手に入れた愛玩奴隷だ。


 十四になったばかりの少女は、親に売られ、流されるまま我が家にやってきた。


 アッシュブラウンの髪がとても魅力的だ。


 息子はバカだ。平民の女にうつつを抜かしてばかりである。あれには期待していない。


 どこかで処分して養子を迎えた方がいいだろう。そうやって私はここまで力をつけてきたのだから。


 メイドを抱き寄せ、膝に上に乗せる。私の膝の上でメイドは小さく肩を震わせていた。

 

「怯えるな、お前の全ては私の物だ。そうだろう?」


「は、はい。その通りでございますご主人様」


 猫撫で声で私の機嫌を伺うメイドの、瑞々しいほっぺたに口づけを落とす。

 「ひう!!」と悲痛な叫びをあげたが、それで私が辞めるはずもない。


「こっちを向け」


 顎に手を添え、無理矢理こちらに向かせる。

 愛玩奴隷にされるだけあって、その顔は幼さが残るも全体的に整っていた。


「仕事を終えたら、またここに来い。いいな、しっかり湯浴みしてくるのだぞ」


「は、はい」


 メイドを解放し、執務に戻る。メイドはそそくさと割れたカップを拾い集め退出した。その後ろ姿を目で追う。


 今日の夜が楽しみである。



◇◆◇◆◇



「先輩、どうしてあんな事言ったんですか? もちろん、教えてくれますよね」


「うん、そのつもりだよ」


 暖炉の火を囲み、アルマを問い詰める。ふーふーと紅茶を冷ましながら、アルマはゆっくりと語り始める。


 それは私の知らない物語だ。



 僕の正式名称は、アルマ・ディア・レイスフォード。


 レイスフォード侯爵家の一人娘である。


 僕は13歳のあの日まで、優しい使用人達に囲まれ、温かい家庭で、何一つ不自由なく健やかに過ごしていた。


 

 事件は突然起こった。朝、朝食を済ませ、仕事に出かけようとした父が突然吐血したのだ。


 僕は慌ててかけよった。


「パパ、パパ!!」


「アルマ、大丈夫だ。心配する……がはっ、げほ」


 父は苦しそうに喉元を抑えていた。すぐに毒だと分かった。でも医学の知識がない僕にはどうする事も出来なかった。


 すぐに、使用人の一人が、かかりつけの医者を呼んだが、毒は既に全身へとまわり、手の施しようがなかった。


「奥様、もう、わたしにはどうする事も出来ません。力になれず申し訳ありません」


「そんな……」


 絶句し、嘆き悲しむ母。その後ろ姿は酷く小さく見えた。


「パパ、嘘だよね。嘘って言ってよ!」



 そのまま父は帰らぬ人となった。


 僕はそれっきり部屋に閉じこもる事が多くなった。専属のメイドが心配して、何度も部屋に赴いてくれたが、僕は癇癪を起こすばかりでまともに話す事はしなかった。


 毒殺した犯人はいつになっても、判明する事は無かった。まず疑われたのが、朝食の場にいた使用人、朝食を作った料理人達だ。


 だが、そのいずれからも犯人は見つけられなかった。



 父は元来、人を疑う事を知らない人であった。侯爵ともなれば、政治的な理由で命を狙われる事もある。だから食事に銀の皿を使う事は高位貴族の間では、一般的な考え方だった。


 でも父は違った。使用人達の中にそんな者はいないと常日頃、高位貴族達に言い、まず、人を疑えという貴族達の凝り固まった考え方を変えようとしていた。


 父は良くも悪くも同じ侯爵の中では、取り柄もなければ、短所もなかった。

 ただ一つあるとすれば、その優しい人柄で多くの民衆から支持を受けていた事であった。


「相手を信用しろ。嘘をついてはいけない。自分が嘘をつけば相手も不安になり、嘘をついてしまうからだ。だから事実だけを話すんだ」


 父は他人に決して嘘をつかない人だった。でもそんな父も一度だけ嘘をついた。


「大丈夫って言ったのに……」


 僕は唇を噛み締め、父の遺影を見つめていた。


 父の死から数日が経ち、家全体の雰囲気が暗く、重苦しい空気が漂っていた。


 葬儀を終え、悲しみに暮れる日々。父がいなくなった穴は大きかった。


 まず起きたのが後継者問題だ。


 女の身である僕はどうやっても家を継ぐ事は出来ない。父の仕事は執事と母が肩代わりして行っていたが、それもいつかは限界を迎える。


 家を存続させる為には、どこからか養子をもらうか、母が結婚するしかなかった。


 しかし、生涯、父だけを愛すと決めていた母はそれを拒み、親戚からの養子の申し出も、僕だけで十分という事で全て断った。


 正直、新しい父親など見たくもなかったので、母が父と僕の事を思ってくれているようで嬉しかった。


 暫くは、母と執事が家を支え、安定しているかのように見えた。でもそれは幻想に過ぎなかった。


 まだ地盤を固められていないうちに、奴がこの家にやって来たのだ。


 僕たち家族から全てを奪った諸悪の根源が。

 

 

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