第63話 業火の獣〜地獄犬〜

「皆さん落ち着いて、落ち着いて下さいー!!」


 会場の警備として雇われた衛兵が興奮する市民達に必死に呼びかける。だがそれも虚しく混乱した市民達は悲鳴を上げて逃げ惑う。


 しかし炎の壁に阻まれ脱出する事は叶わない。


 そこで一台の馬車が飛び出した。貴族達が炎の壁に馬車ごと突っ込み、強引に脱出を図ったようだ。彼等とて馬鹿ではない。馬車には多数の障壁がかけてあった。


 しかし炎に触れた直後、馬車が燃え上がり一瞬の内に灰となる。


「ぐぎゃぁぁぁぁあ」


「あつぃぃぃーー」


 御者と貴族が悲鳴をあげる。炎は障壁を軽々と打ち破るほど、相当な熱を含んでいるらしい。


 あちこちで貴族達の悲鳴が木霊する。そして炎の壁から炎の渦が飛んできて市民達を襲った。


「いやぁぁぁぁあ。体が溶けるーー!」


 片腕が焼け落ちた者、全身に炎を帯び転げ回る者。足が灰となり動けないもの。即死した者。


 会場は一瞬の内にして阿鼻叫喚の地獄絵図となった。


「これはただの炎なんかじゃない」


 渦の向こうから聞こえる唸り声、それは魔物の声だ。炎の壁から前足を出し、ゆっくりとその姿を表す。


 姿は黒い犬のような姿をしていた。だが目は青く光り、鋭い牙を剥き出しにしている。そして口の奥から赤い炎のようなものが見え隠れしている。


 先程の炎渦は、魔物が吐いた炎の吐息らしい。


 大きさは普通の犬と変わらない。だが内に秘める魔力はそこらの魔物とは桁違いだった。


「…………地獄犬ヘルハウンド


 誰かがそう口にした。


 地獄犬ヘルハウンドが息を吐く。それだけで地面が焦土に変わった。


「もうお終いだ」


 市民の一人が口にする。外からの助けは炎の壁に阻まれ絶望的だろう。ここにいる者達だけでなんとかするしかない。


 絶望に支配された人々に地獄犬ヘルハウンドは容赦なく襲いかかる。その口から火が溢れ、それだけで人々は灰に変わる筈だった。


「『障壁よ汝を守れ』」


 だが咄嗟に張られた障壁魔法によってそれは防がれた。


 発動したのは侯爵様だった。


「ボクが時間を稼ぐ! その間に戦えない人達は建物に避難して脱出方法を考えてくれ。すまないが……ボクにあの犬は倒せそうにない」


 地獄犬ヘルハウンドの炎と侯爵様の障壁魔法は拮抗していた。


 障壁魔法を扱える衛兵がそこに加わる。我慢比べだ。


「みなさん。今のうちにこちらに避難して下さい」


 逃げ惑う市民達をイリアさんが誘導し、会場内の建物に一斉に避難させる。


 周りの家屋は既に地獄犬ヘルハウンドが放つ熱風によって焼け落ちていた。


 唯一魔物の展示で使われる会場だけが頑丈な造りになっているため無事だった。


 避難してくる人をかき分け、私は祈るようにその人物を探した。そして人の波に呑まれている所を発見し手を伸ばす。


「先輩!!」


「わっ、エト!」


 アルマの手を掴み人が少ない所に誘導する。


「あれ地獄犬ヘルハウンドだよね? 初めてみたよ!!」


「感激している場合か! 一体どうしてこんな場所に……」


 呑気な事をいう先輩に喝を入れつつ、状況を整理する。だが、なぜ急に地獄犬ヘルハウンドが現れ、会場を襲うのか全く見当がつかない。


 そんな私たちの所に誘導を他の者に任せたイリアさんがやってきた。


「たぶん召喚士の仕業よ」


「「召喚士?!」」


 召喚士とは使役した魔物や契約した精霊、神獣を召喚出来る人の事を指す。中には凶暴な魔物を使役し人々に害をなす者もいると聞くが今回は後者だろう。


 そして会場の一帯で閃光が発生した。


「「「――――ッ!!」」」


 光が止むと、その場所には邪神の眷属と名高いダークゴブリン、そしてスケルトン達が召喚されていた。


 彼等は狙うべき獲物を見定めたのか、一斉に市民達がいる建物へと疾走する。


「まずい! あの中にはミアさんやグアムさん達も!!」


 私が走り出したのを見たイリアさんが咄嗟に腕を掴んだ。


「何するんですか?! 早く助けないと」


 苦虫を潰したような顔でイリアさんが首を横に振るう。それが意味することは……。


「……見捨てろって事ですか? 彼等を、今戦っている侯爵様達を含めて」


「あたしたちの正体が露見するような真似は出来ないの。もう少しで仲間が一瞬だけ道を作ってくれるわ。そこから逃げましょう」


「そ、そんな。先輩はそれでいいんですか?!」


 アルマの方を見る。しかしアルマは私と目を合わせようとはしてくれなかった。


「僕たちは正義の味方じゃないんだよ」


 下を向いたまま先輩はそう言った。やるせない気持ちを押し潰しているように見えた。


「もういいです。私だけで行きます」


「それはダメよ。同じギルドに所属する者として許可出来ないわ」


 あれを見なさいと炎の壁を指差す。一見何も変わってないように見えるが、先程までと少し景色が変わっていた。


「え、壁が狭まってきている?」


 炎の壁は少しずつ内側へと浸食していた。地獄犬ヘルハウンドに焼き殺されるのが先か、炎の壁に押し潰されるのが先か……いずれは逃げ場がなくなるそういう事だった。


「……そんな」


 あいた口が塞がらなかった。イリアさんが続ける。


「召喚士を倒せばこの壁も消える筈だけど……どこにいるのか分からないし探している時間もないわ」


 つまり私たちに出来ることは何も無い。仲間の助けを待ち、他の人達を見捨てて逃げるだけと言うことだった。


 私たち三人は狭まる炎の壁の中、熱風を浴びながらただ立ち尽くしていた。ダークゴブリンやスケルトンの足音と叫び声もすぐそこまで迫ってきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る