第2話

 律に渡された茶封筒は、細く端正なボールペン字で表書きされていた。裏返すと、差出人の住所・氏名が書かれているはずのスペースはがらんとしていて、たった一文字だけ「兄」とあった。

 太一は手紙の中身を読んだわけでもないのに、見てはいけなかったものを見た気がして、どきりとした。「兄」とは、まどかと離れて暮らす実兄であろうと思われた。太一も詳しくは知らないが、まどかの生家はいろいろと複雑な事情があるらしく、まどかが橋本家へ養子に出された理由はその家や兄にあるようだった。

 太一は茶封筒が折れ曲がらないように注意を払いながら、パーカーのポケットにしまった。

 駅の西口には、小さいながらもロータリーがあって、常に一台か二台はタクシーが客待ちをしている。そのタクシー乗り場から少し離れた場所に見覚えのある白い軽自動車を見つけ、太一は大股に近付いた。

「ああ、早かったな」

「お前なあ」

 太一が肩を落としてぼやいてみせると、まどかは軽く笑う。笑ったのか鼻を鳴らしたのか、微妙なところだったが。

「とりあえず、乗れよ」

 まどかに促され、太一は軽自動車の助手席に乗り込んだ。座席を限界まで後ろにスライドさせ、足を置くスペースを確保する。車の中は、消臭剤のものだろうか、花の香りのようなものがただよっていた。

「そうだ、忘れないうちに渡しておく。リツさんから預かった」

 パーカーのポケットから茶封筒を出して差し出すと、まどかは一瞬怪訝そうな顔をして受け取った。差し出し人の表記を見て、目をすがめる。

「兄さん……?」

「急ぎだといけないから、とか、リツさんは言っていたぞ」

「……普通郵便で送ってきておいて急ぎもないだろ」

 まどかは平坦にそう言うと、茶封筒をダッシュボードの上に乗せ、車のエンジンをかけた。

「どこへ行くんだ?」

「すぐそこさ」

 まどかはなめらかに車を発進させた。粗雑な物言いとは正反対の、丁寧で正確なハンドルさばきだ。

 大学受験をしない、と早々に決めていたまどかは、周囲の生徒が受験勉強にいそしむ中、ひとり自動車学校に通っていた。卒業後、就職すると決まっている者には学校側も許可を出していたのだ。

「お前は免許、取らないのか?」

「車校へ通う資金ができたらな。まあ半年は先になるか」

「バイト先は?」

「決まった。大学の近くの、ドラッグストア」

「へえ。まあ、家の近くで働くよりそっちの方がいいか、お前は」

 バイト先を選んだ基準をまどかに見透かされていて、太一は少し唸った。プロ野球選手の兄を持つために、弟である太一まで家の近所では有名になってしまっているのだ。

「半年、となると夏休みを使っての合宿取得、とかは無理なわけだな」

「少なくとも今年の夏は間に合わないかな」

「そうか」

 頷きながら、まどかは交差点を左折し、ログハウス風の家の前の駐車場に車をとめた。

「ついたぞ」

「え」

 誰の家なんだ、と太一が尋ねるよりも早く、まどかはさっさと車を降りてしまった。ったく、と嘆息してから助手席を降りる。民家だと思っていた建物は、何かの店のようだった。

「……喫茶店?」

「まあ外れてはいないが。ケーキショップ、だな。喫茶スペースもある」

 まどかが店の方へ歩き出すのを、太一は慌てて追った。男二人で入るには可愛らしすぎるような気がしたが、そんなことを気にする時代でもないのかもしれない。

「喫茶、席、空いてますか」

「二名様ですか? はい、ございますよ、どうぞ」

 どんどん勝手に進んでいくまどかに、太一はついていくしかない。案内された席へ座って、店員に水を出されたところでようやく、質問のタイミングをつかんだ。

「何なんだよ、一体?」

 すると、まどかは黙って、太一の背後を指差した。振り向くと、大きな本棚があり、色とりどりの背表紙が並べられていた。

「今ではあまり流通していない種類の、家具に関する本が揃っている。……お前、興味があると言っていたろう」

「え」

 椅子の背もたれから身を乗り出し、太一は本の背表紙を順に眺めた。読める文字も読めない文字もあるが、それらは太一が見てみたいと思っていた書籍類だった。

「ウチの店にはそういう類の本はあまり入らないからな。……すみません、注文を」

 目を丸くする太一をよそに、まどかはオーダーをすべく店員を呼ぶ。太一も慌ててメニューを開き、アイスティーと焼き菓子のセットを頼んだ。

「あ、あの、あそこの本は」

「本? ああ、どうぞご自由にお席でご覧ください」

 注文ついでに店員に尋ねると、笑顔で快い返事を返され、太一はいそいそと棚の前へ向かった。

 本を選びつつ、ふと、家具に興味があるなどという話をいつしただろうか、と考えた。何かの雑談の折にしたのかもしれないが、さっぱり記憶がない。まどかの記憶力の良さに感心することはこれまでもたびたびあったが、今回もそのパターンのようだ。

 写真集を一冊選んで席に戻ると、まどかは白い用紙を広げていた。あの茶封筒の中身のようだ。そっと顔をうかがうと、その表情は思いのほか落ち着いていた。

「……わざわざ封書にした意味が分かった。記入して、返送しなければならん書類があるそうだ」

 太一の視線に気づいて、まどかが肩をすくめながら言う。そう深刻な内容でもなさそうだ、と太一は少し安心した。

「返送のついでに、手紙も書いたらどうだ?」

「手紙? 柄でもないだろう」

 まどかがハハッ、と笑う。その様子はいかにも感じが悪かったが、太一は不思議と、ホッとしていた。

「たまにはいいんじゃないか、手紙を書く、ってなんとなく古書店員っぽいじゃないか」

「なんだそのイメージは」

 呆れたようにまどかが言ったとき、店員がアイスティーと焼き菓子を持って現れた。

「……ま、とりあえず、食べてから考えるさ」

 そうだな、と頷きながら、太一は帰り道には文房具店があっただろうか、と考えていた。

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次男ふたり ~郵便の話~ 紺堂 カヤ @kaya-kon

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