次男ふたり ~郵便の話~
紺堂 カヤ
第1話
小さな紙切れ一枚に人生を左右されたことのあるひと、というのは意外と多かろう。いや、意外でもないのだ本当は。あらゆる契約書、証明書、手紙……、紙幣も「紙」だ。
これからさらに電子化が進めば、紙切れ一枚、は電子データ何キロバイト、という形にとって代わるのかもしれない。
「だからどう、ってわけじゃないけどさ」
小さく呟きながら、素知らぬ顔をしてくれているポストの口に茶封筒を差し込んだ。
※ ※ ※
その日、薗城太一が「はしもと古書店」を訪ねると、店の前に赤い車が一台とまっていた。
「じゃ、失礼しまーす」
「はい、ご苦労さま」
紺色の制服の男が店から出てきて、その車に乗り込み、走り去った。男と入れ替わるようにして太一が店を覗くと、初老の女性がダンボール箱を持ち上げようとしていた。
「リツさん、俺、やるよ。奥へ運ぶの?」
橋本律。この「はしもと古書店」の主人だ。
「あ、太一くん。ありがと、助かるわぁ。台所の方へ持って行ってくれる?」
律が丸顔にくしゃりと笑みをつくった。太一はダンボールを持ち上げ、店の奥でスニーカーを脱ぎ捨てて古書店エリアから居住空間へ足を踏み入れた。勝手知ったる、というほどではないが、この家の構造はわかっている太一である。
ダンボールの上をちら、と見ると、配送伝票の品目欄には、カーボンでかすれた字で「果物」と書いてあった。
「そこに置いて。ええ、そこ。ありがとう。あー、よかった、太一くんが来てくれて。熊本の兄がね、すいかを送ってくれたの。小玉すいか。初物よ」
律が茶封筒をいくつか、手にしてうしろからやってきた。ダンボールと共に届いたものらしい。
「ああ、もうすいかが採れる時期なんですね。……リツさん、まどかはいないんですか」
太一は笑顔で頷いてから、不躾にならない程度に部屋を見回した。庭へ通ずる大きな窓のあたりを中心に。まどか……、太一の友人にして律の養子である橋本まどかは、その窓の付近で読書をするのを好んでいるのだ。
「まーくんは今、お仕事なの。出張買取査定。亡くなったご主人の蔵書をまとめて売りたい、って奥様からご依頼があってね。行ってもらってるの」
「えっ。あいつ、もうそんなこともできるんですか」
まどかは、この春高校を卒業したばかりの十九歳だ。育ち暮らした場所であるとはいえ、「はしもと古書店」を「仕事場」として本格的に働き始めてからは、まだ三か月ほどのはずだ。ちなみに太一も同年で、今は県内の私立大学に通っている。
「ええ、もちろんですとも。まーくんの古書を見る目は確かですよ。そんじょそこらの古本屋連中には負けないんだから」
律が得意げに顎を上げて見せた。太一は、まどかと律の見えない繋がりのようなものをそこに感じて、なんとなく、嬉しくなった。
「もうそろそろ終わるころだと思うんだけど。太一くん、待ち合わせの約束でもしてた?」
「約束、というか、昨日いきなり連絡があったんですよ、見せたいものがあるから明日店に来い、って」
「あらそお。何かしら。来い、なんて、まーくんは相変わらず、横柄ねえ」
「まあ、いつものことです。あいつがしおらしくなったら、そっちの方が心配だ」
「それもそうね」
太一と顔を見合わせて笑ってから、律は、でもね、と少し声をひそめて続けた。
「まーくんが、横柄な口をきくのは、実は太一くんにだけよ。他の人には横柄な口どころか、ほとんど話もしないもの」
それについては、同じ高校に通っていたころ、太一も気がついていた。どうやら、まどかはごく少数の人間にしか心を許さないようだ、と。
「えっと……」
どう返事をしたものかと太一が眉を下げると、律は再びうふふ、と笑った。
「仲良くしてあげて、なんて言うつもりはないけど……、太一くん、いつもありがとうね」
「あ、いや、そんな、こちらこそ」
こちらこそって何だよ、と自分で自分にツッコミを入れつつ、太一は妙に居心地の悪い気分で視線をさまよわせた。と、ジーパンのポケットの中のスマホが震える。見れば、まどかからの着信だった。
『太一、今どこにいる』
「どこって、お前んちだけど」
『駅前まで来られるか』
「行けるけど……、見せたいものって何だよ」
『だからそれを見せるために来いと言ってるんだ。店からなら十五分くらいだな? 西口に来いよ』
そう言うとまどかはブツッと通話を切った。
「言いたいことだけ言って切りやがって……」
画面の暗くなったスマホを眺めながら太一が小声でぼやくと、律がむかいでくすくすと笑っていた。
「えっと、すみません、そういうわけなんで、俺、これで失礼します」
「いえいえ、こちらこそごめんなさいねえ。あ、そうだ、太一くん、これからまーくんに会うんでしょう?」
「あ、はい」
「じゃあ、これ、渡しておいてもらえないかしら。今届いた、まーくん宛の手紙なんだけれど。急ぎだといけないから」
「え、あ、はい」
律から差し出された茶封筒を、太一は両手で受け取った。封書なのに急ぎかもしれない、とはどういうことだろうか、という疑問を頭に浮かべたのは、はしもと古書店を出たあとだった。
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