26:先輩の餞別はありがたく受け取っておきたい

【第138回 二代目フリーワンライ企画】

使用お題:かわいい子猫ちゃん/なんの脈絡もなく


#深夜の真剣文字書き60分一本勝負


:::


「……なんだか、ごめんなさい」


 口火を切ったのは、静留くんだった。


「解決に、至らなくて」


 しょんぼりとうなだれる静留くんだが、そもそも君は被害者側じゃないのか? と思う。


「いやむしろ、私が場を乱したというか……ええとその……ごめんなさい。あのオバカな奴らをどうにかできなくて」


 結局、静留くんと砂州さんのミラクルな表現によって、相手にけん制をしただけに終わっているのだ。正直、静留くんへの謝罪は一言も無かったし、たぶん当人たちはなにも悪いことをしたとは思っていないのが丸見えだ。


「確かに、あなたへの謝罪が得られなかったのは残念だけど……それでもこれは、この会社にとって一つの転換期になる」


 砂州さんは所謂、化粧ばっちりのキャリアウーマンで、表情をあまり崩さないひとのようだ。しかしその声音は真剣で、本当に静留くんに味方してくれたのだと分かる。


「私たちの世代がどうしてもできなかったことを、後輩のあなたたちに投げるのは本当にずるいと思うのだけど。でも、これから声をあげていいんだって、次の世代に残していける。あなたたちの行動は、無駄じゃない」


 ありがとう、と砂州さんは頭を下げた。

 私は、彼女のことを良く知らない。でも、静留くんの境遇に寄り添って、この場を設けてくれたということから、彼女がセクハラにたいして一家言持っていたことはよく分かるのだ。私のような工場勤務ならいざ知らず、本棟で生き残るのは相当なものだっただろう。

 社内に少しでも、こういった声を上げるひとがいるだけでも心強いというものだ。


「いえ、私たちは……大事なひとを守りたかっただけです」


 照れ隠しに鼻をこする。たった一人でも、私たちの気持ちを分かってくれていれば、少しは気が晴れるというものだ。



:::


「本当に、ありがとうございました」


 金曜の夜。五月先輩の行きつけの小料理屋で、静留くんは頭を下げる。

 今日は作戦会議ではなく、お疲れ様会だった。


「うんにゃ、なんもできてないってばよ」


「俺もな。すまなかった、お前への謝罪くらいはひっぱりだせば」


 後悔を口にする私と五月先輩は、顔を見合わせて残念だったと目くばせする。


「それよりも、静留は職場に居づらくないか、大丈夫か」


 五月先輩の言う通り、いくらあの形で決着したとしても、特に職場でなにか処罰があったわけではないのだ。すると静留くんは「心配ありません」と言った。


「席替えだとか、プロジェクトを一緒にしないとか……いろいろと砂州副部長が気を遣ってくれて。それに、個々の効率が上がるようにとパーテーション制と、社内グループウェアの推進もあって、四十万さんとも直接会話する機会は減りましたし。それに僕、砂州副部長の元で頑張りたいので」


 そして静留くんは、砂州さんがどれだけ頑張ってきたのかということを熱弁する。男性中心のIT部門で、理詰めで上り詰めたこと。キャリアを持つ人間として、後輩の育成に力を入れていること。

 私にとっては、現場と少し離れた場所にいるひとの話である。時折無茶ぶりをしてくる部分もあって、静留くんが来るまではどちらかというと敬遠したくなる部署であったのだが、今回の一件で(堂島氏と四十万氏を除き)謎の愛着が湧いた。

 珍しく口の滑らかな静留くんに、五月先輩が感慨深く「変わったな、静留」とこぼした。


「それも、小湊のおかげかもな」


 と、いきなりこちらに水を向けてくるのだから、私は口を付けた芋焼酎を吹き出しそうになった。


「ちょっ、なんの脈絡もなくこっちに振らないでくれます?」


「すまん。だが、静留がここまで話せるようになったのは、間違いなく小湊のおかげだ。そうだろ、静留」


 五月先輩がウーロン茶のグラスを静留くんに傾ける様がキザっぽい。思わず「ノンアルコールの癖に」(今回の運転手は五月先輩なので)と横やりを入れるも、不発に終わった。なにせ、静留くんがあんまりにも真剣に頷くからだ。


「……僕がここまで頑張れたのは、合歓さんのおかげなので」


 真剣な声でそう言うと、両手をキュッと握り、静留くんがはにかむ。久しぶりに見た自然な姿に、私は言葉を無くす。


 死ぬほど、可愛い……!! かわいい子猫ちゃんかよ! かわいい! かわいい!!!


 あああああ、と叫びたい気持ちを抑え、手元の焼酎を飲み干す。

 カッと喉元が熱くなってむせると「えっ、大丈夫ですか合歓さん!」と本気で心配してくれるのだから、余計に動揺がひどくなり、心配させてしまったのは彼女失格だった。


:::


「お前らどうすんだ、これから」


 私の家の前で車を止めた五月先輩は、後部座席に座る私たちに尋ねた。

 小料理屋でしこたま飲み食いした我らは、運転手当番の五月先輩の車で帰路についている途中だ。


「はい?」


 車を降りようとしていた私は「お前ら」と言う複数形に疑問を抱く。


「花金だぞ」


「はあ」


「明日は休みなんだろ?」


「ええ、まあ」


「だからお前たちどうするのかって」


「……ハイ?」


 酒が回った頭では、先輩の意図する意味が分からず何度も聞き返す。すると、隣の静留くんが「合歓さんだいぶお酒飲んでますから、おうちに返しましょう!」と半ば焦ったように言う。


「じゃあお前が送ってけ、静留」


「はい、玄関先までは」


「……俺はお前らが車から降りたら速攻家に帰るぞ、いいな」


「……えっ?!」

 

 今度は静留くんが素っ頓狂な声を上げた。速攻ってなんだ速攻って。いやまあここんところずっと五月先輩の時間をもらってたから、たしかに早く返してあげたいよな。運転手だし。


「俺にも家庭があり、可愛い妻を待たせているのだ。つまり、一分一秒でも家に帰りたい訳だ。だから静留、あとは任せた」


「後ってなんですか先輩」


「……お前ら、そろそろいちゃいちゃしろ!!」


 おお、珍しい五月先輩の怒鳴り声だー、なんて思っていると、静留くんが「でも、あの……」と戸惑っている。

 そして聞こえてきた「いちゃいちゃ」という言葉で、やっとすべてを理解した。


 おーけーおーけ、さすがは我が先輩である。これは、ある意味で我らへの餞別なのだ。

 しかし、それに静留くんが乗るかはわからない。だが、試してみる価値はあるはずだ。

 静留くん、と呼び、顔を見る。彼は息を飲み「なんでしょうか」と答える。


「よかったら、うちで飲み直しませんか。この妻バカ先輩は抜きで」


 さあ、可愛い子猫ちゃんは私の招待を受け取ってくれるか否か。

 静留くんは、目を見開いて、口をキュッと閉じる。そして助けを求めるように五月先輩を見るが「早く降りろ」と言わんばかりに睨まれて、今度は目をキュッと閉じた。


「……ご一緒、します」


 かすれるような声に、体温が上がったのは言うまでもない。

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