第5話

 母娘が想定していた家族像と蒔岡家の実態は大きくかけ離れていた。義父も義兄もほぼ部屋にこもりきりでどこかへ出かけること少なく、彼らの執務室や書斎に、ハンナと母は入ることを許されずにいた。家族とは四六時中一緒に居るものだと思っていたが、蒔岡では一緒に居る時間の方がみじかい。物理的に家がひろい、というだけで、パーソナルスペースも伴って拡張さるることを知った。だがハンナは幼かったので、常に自己を無条件に肯定してくれる誰かの傍にいたい、みたいな気持ちを持っていた。さて、誰がいいか。

 ハンナは最も年が近いエリクを好ましくおもっていた。だがちっとも義兄とは親しくなれず、甘えてもすねても意地悪しても無視された。エリクと一緒にアニメ見たりオセロとかしたかったのだが、彼はそんな場合ではなく、自身が公務員になるための勉強で精いっぱいといった様子であった。寝ているか勉強しているか、と言う生活なので、彼にハンナと遊ぶ暇なぞ無い。エリクは自分の勉強と父の暗黙のプレッシャーに耐える事だけに若いエネルギーを全注入していたので、いつも抜け殻のようであった。一方ハンナは暇しか無かったので、かまってもらえずに不満たらたらだった。母も大変そうなエリクに対してはなにか出来るわけでも無く、おべんきょう頑張ってね、とかぬるい事言ってその辺にあったお菓子とかを渡すだけの、運動部における女子マネ的なコミュニケーションしかできなかった。

 ハンナは義兄が構ってくれないと分かると、わざわざ階段の下などのエリクが通りそうなところで不貞寝をする。

 エリクは一顧一瞥もせずにハンナをまたぐ。

 ハンナの機嫌がさらにわるくなり、不満に満ちた顔貌でサッカー選手のようにあの人ひどくありませんか、と必死に周囲にアピールする。

 母はそれを見て、何とも子供らしく、愛すべき所作だ、とおもった。


 母と夫である蒔岡リュウゾウはハンナのかわいらしさについて話したり、エリクの体調について心配したり、ジョルジの顔がおもしろすぎることについて議論したりなど、コミュニケーションは万全であった。ことあるごとに母は夫に対して、「あなた、ハンナにやさしくしてやってくださいね」と言うのだった。

 そういうのはいけないと母はおもいつつも、つい、前の夫と比較してみたりしたくなる。やさしさ、コミュニケーションの頻度、ユーモア等々。

 その結果は前の夫の惨敗で、今の夫の方がいい。超いい。という結論になるのだった。

 超いい。という結論が出ているにもかかわらず、母は何回もその比較を頭の中で繰り返した。辛い時代を思い出しても、ほんのちょっとの楽しかった事だけが少女漫画の決めゴマのごとく背景に花を散りばめて思い出され胸を衝くからであった。

 前夫の最後の思い出。住んでいたマンションから歩いて十分ほどにある海岸だった。


 神奈川県平塚市と大磯町のあいだにある高麗山という名の山、一般的には湘南平という愛称で呼ばれている低い山の麓、そこにハンナと母とハンナの実父が暮らしたマンションがあった。

 道の近くの土地を自治体が買い取って無理矢理作った貧困世帯用の集合住宅であり、日がすぐ山の後ろに隠れてしまうので洗濯物を干すには早起きしなければいけない。周囲のゴミ捨て場に収集車が来るのは二週間に一回で、道の脇に電柱が大量に倒れており、道はところどころ穴が空いていた。

 ハンナの母はなぜかそんなかつて住んでいた街のディティールをふと思い出した。今はごみを捨てるどころか、蒔岡邸内から出ることがほとんどないので、ごみの捨て方さえ忘れてしまった。

 彼女はあらゆる知的能力が劣っていたので優秀な主婦とは言えなかったが、性格が明るくさっぱりした美人であったので皆から好かれた。観葉植物をたくさん育てすぎるのと、死ぬほど頭が悪いという欠点があったが、ハンナは基本的に美しく爽やかな母が大好きだった。

 また当時十二歳であったハンナは、凡庸な顔で性格は虚無そのものって感じの実父に対して親しみを感じていた。自分と性格的に近いのは実父の方である。彼の仕事は歌手であった。とはいえハンナは仕事に出かけるのをほとんど見たことがない。ときどき銀座の友人の店でプロコル・ハルムの「青い影」とかを歌っていたが、家族を養うには心もとない。ハンナにとって実父のイメージは、小説と恫喝であった。本に関しては、彼が所蔵している昭和期の私小説、ダメな男の経済的困窮とか酒と女におぼれて身を持ち崩すとか、そういった痴態をだらだらと書き綴ったものが主だった。ハンナは父の小説を隠れて読んだ。母も知らないハンナの秘密だった。

 実父の内に秘めた怒りと暴力性はその私小説群と通じるものがあった。ハンナの母は実父との結婚生活中、常に恫喝と強姦の恐怖にさらされていた。

 ことがおきるのは大抵深夜のことである。ハンナと両親はドアを隔てた別々の部屋で寝ていた。母はアホなので毎日なにがしかのミスをする。加湿器の水を入れ忘れているとかそんなしょうもないミスであるが、実父はどういうわけかハイテンションで怒鳴りくさるのであった。彼の喉は職業柄強靭で、近くにいるとからだがこわばってしまう声量である。もちろん隣の部屋で寝たふりをしているハンナにも聞こえる。ハンナは不安になり、ドアを少し開けてその折檻の様子をのぞいていた。最悪の場合、通報するためである。母はごめんなさい、ごめんなさい、わすれちゃって、と怯えながら言うが、かえって彼の嗜虐趣味を刺激してしまい、結果実父はさらに怒鳴る。なんで水を変えないんだ、なんで水を変えないんだ、何回言えばわかるんだ、おい、何回言えばわかるんだ。

 やめて、おっきい声出さないで、と母は耳を塞いで目をつぶる。実父は何が悲しいのか知らぬが、泣きながら母に馬乗りになって三発ほど平手うちを浴びせ、母の体からこわばりが無くなったのを確認すると、乳を吸ったり、母の股を拡げ舐めたり、歳のわりには勃ちのいい陰茎を挿入したりする。母が怯えて体に緊張が戻ると、再び平手打ちを浴びせる。母は恐怖と諦観を行ったり来たりしながら、行為が終わるのを待った。泣くと更に長引くので、泣くのを我慢していた。かならず正常位で、実父は母の表情のうつろいを見おろしつつ腰をうごかしていた。その運動は、父が歌手だからだろうか、母の尻の皮がいずれ破けんばかりに強く腰を打ち付けるパンッパンッパンッパンッ、という音がエイトビートを刻み、時折母の右頬を平手で打つぱしん、という音がリズムの裏に妙に心地よく入る。リズミカルでグルーヴがあり、ハンナはいつしかリズムと性的好奇心に惹かれ、その行為を星飛雄馬の姉のごとく隠れて見ていた。最初はただ父が恐ろしかったが、人間不思議なもので毎日性行為を見せつけられているうちに次第に慣れ、最終的には正常位ばっかりの父にバリエーションの無いつまらない奴だという感想を抱いた。当初父親の怒鳴り声を聴くと心臓が割れんばかりに脈打ち心拍数も爆上がりだったのだが、慣れていくと別にドキドキしなくなった。いつも正常位じゃなくて、もっと体位を変えたりしてほしい。エンタメ業界人としてはだめじゃないか、とかおもったりした。毎回しばく場所も一緒の右頬。母の青あざの位置はいつも一緒だった。見おろす父の眼が、いつ自分にむけられるかおそろしかった。

 ことが終わると実父は煙草を吸いに外へ出ていく。母は一息つき、乱れた髪を手ぐしで整えた後、かならずとなりの部屋に居るハンナに話しかけてくる。強姦された女が直後にぽつりと吐く最初の一言と言うのは、内容はどうあれすさまじい悲壮感を帯びる。「あしたのごはん何にしよっか?」や「つかれた……」や「きょう夜空の星がすっげぇあざやかだよねー」等々、ハンナはその一言がいつも怖かった。声色が明るければ明るいほど、辛かった。おなかの中心に居座っている恐怖とか嫌悪感とか寂しさを、ハンナは無視しないと耐えられなかった。

 行為は春夏秋冬、まったく同じ行為を週に三回ほど、彼ら夫婦は飽きもせずに繰り返していた。ハンナにとって眠れない夜が続いた。


 その頃のハンナは、母と精神的に同化していた。ハンナが母が犯されているのを見るのは、自分が犯されているのと同義だった。しかし、父の蔵書を読んでいたハンナは、父が母を殴らなければいけない理由をなんとなく理解できる、とおもっていた。実父の本棚にあった昭和の私小説群を好んで読んでいるうちに、ハンナの中に昭和を生きた私小説家の人格が現れて、彼らとともに自我が発達していった。ハンナ的には田中英光や葛西善蔵はほんとにダメな人間だし、たいして小説もおもしろくないのだが、それぞれ固有のクズ人間振りを自覚しつつの自虐を織り交ぜて、悲惨な日常を正直に書き上げていることが気に入っている。彼らの決して軽くない人生は、相対的にハンナの人生を軽くしてくれた。彼らの全集を母に隠れて読むのは一番の楽しみだった。ハンナの中身のいくぶんかはダメな男で、実父と私小説群から由来していた。どんくさい女というのはむかつく、殴りたくなる。実際は女であるハンナには暴力を振るう男の心情など理解できる訳が無かったが、彼女は理解していると思い込むために父の本を読んでいた。ポジティブで明るくてバカな母は少女漫画の主人公みたいな存在だったが、その明るさに対して言いようのない嫉妬にさいなまれる事がちょくちょくあったのである。苛立ち母に馬乗りになって彼女を見下ろす怒鳴る実父、彼の表情をうかがいながら性交と暴力の二択に怯える母、ハンナはその日のバイオリズムによって、どちらかに同化していた。そうしないと自身の存在が保てないほどの恐怖に押しつぶされそうになるからであった。大半が母に感情移入していたが、小説を読み過ぎた次の日は父になる事が多かった。小説の主人公たちは酒を飲み、バッドな心境のまま破滅的な行為を繰り返していく。ハンナはそんな主人公に父を経由して自分を重ねるのが癖になった。

 日々の強姦により尊厳を奪われぽんこつになってる母の代わりに家事をしなければいけないし、学校に行っても同輩は能天気なアホか暗いブスばかりだし、貧乏で生計はたたぬし、で散々な精神状態であった。父はどこかのタイミングでもう私は二度と働かない、と決心したらしく、経済的な困窮は行くところまで行っていた。

 ハンナは逃げ出したい、しんどい、だるい、と常におもっていた。しんどい状況というのはたいてい他人のせいで、他人はすべてにおいて過剰なのだ。いっぱいしゃべってくるしいっぱい見てくるのがいやだ。他人はあたしを圧迫する存在で、いっつもなにがしかの干渉をしてくるんだけども、しょうもなかったり、いやなことをやらせたり、追い詰める類のものであることがほとんどだ。だからなにもかもやる気が出ない。それはきっと、自分に開いている形而上的な穴から、やる気とか根性とかが日々常に漏れ出しているからだ。処理しなければならないことが多すぎるからぶっ壊れて穴が空いている。だから他人に対しては、処理する情報量を少なくするために逃げるのである。逆に言えば、他人がいなければあたしはゆで卵のむいたやつみたいにつるんとした無傷であり、できるかぎり人と関わらないほうがいいよねー。ということだ。でもいずれ、現代日本において株式会社の働き奴人として働かなければならない。働く、ということは大体の場合他人と過ごすことである。出来る気がしない。あたし的には他人と過ごすなんて、肉体的死、世間的死はまぬがれているものの、形而上的にご臨終です、みたいな感じである。だって他人は過剰なんだから。ぜったいに働きたくない。人がきらいだ。どうすればいいのか。答えは無い。とかくこの世は複雑で大量で雑多だ。考えるべきことが多い。めんどい。眠い。

 そんな価値観が、ひきこもることさえ許されない不健康かつ非文化的な生活の中で育まれ、結果ハンナは逃げるという行為そのものが目的となった。ハンナは面倒な宿題や、いやな学校行事、果ては友達との遊ぶ約束などからも逃げてばかりいた。逃げた後は自分の美貌を利用してなんとなくごまかした。父親が機嫌の悪い日は、近所の公園に逃げた。公園に吠えまくる駄犬がきたらべつの公園に逃げた。逃げると恐怖が遠のいていく感覚がきもちよかった。逃げた先がどうであれ、自分の直感に従って逃げるのだ。逃げきったあとのなんというか、物事に真正面から立ち向かっていないという罪悪感と、集中からの虚脱状態への移行がすきだった。なんてったって逃げていれば安心安全、極楽、涅槃。悪に立ち向かうのは仮面ライダーとかがやってくれるので、わたしは逃げる民衆役でおねがいしますね、ってスタンスだった。


「おかあさんをよろしくな」

 そんな無責任な言葉を実父から聞いたのは、砂と潮風でもわもわしている平塚市南部に位置する海岸であった。夏も終わりで海にクラゲがちらほら現れるときのことだった。母が海で遊びたいと言い出したので家族で出かけたのだった。ハンナがブルーシートを海岸に敷いて実父と並んで座り、放心しながら海をながめていたときに、彼はなんの気無しに言ったのだった。その時母は自分の子であるハンナよりも波打ち際で狂気的なまでにはしゃいでいた。何がそんなにうれしいのかわからないがきゃあきゃあ声をあげて波と戯れている。たしかに波と戯れるのはおもしろい。正直ハンナ的にも面白いとはおもう。でもそんな長時間波だけで楽しめるか? という疑問が湧くほど母は長いことはしゃいでいた。ハンナがそれを見てケラケラ笑いつつ、持参した麦茶を飲んでいた最中のことばだった。

「生きていたくない。全部だるい。ハンナもそうだろう」と実父はつぶやいた。波の音で聞こえるか聞こえないかぐらいの声量だった。

 ハンナは幼くてよくわかっていない感じを出してその言葉を無視した。実際はそのとおりでござい、と共感していた。でもそんなん言うてくれるな。言ってもしょうがないでしょう、おとうさん。

 白いワンピースを着た母は波に濡れてブラが透けるのも構いなく、びしょびしょになってハンナたちの元に戻ってきた。

 母にタオルを渡しながら、クラゲに刺されてないか? と父が気遣った。

 それを受けて母も、だいじょぶ、と言って、にへ、と笑った。三十路後半のおばんなのに、まるで好きな菓子を貰った少女のような屈託のなさであった。母のかわいらしさとびしょ濡れっぷりにごまかされ、実父のネガティブな言葉はうやむやになった。

 帰り道、実父はハンナと手をつないで歌った。彼は機嫌のよいときだけに昔の歌をうたう。決まって「さよならの夏」という古い歌謡曲だった。女性ボーカルの原曲キーそのままに、普段の恫喝とは程遠い遠慮がちな声量だったが、声質はどこか哀しげで爽やかだった。


きのうの愛 それは涙

やがてかわき消えるの

あしたの愛 それはルフラン

おわりのない言葉

夕陽のなか めぐり逢えば

あなたはわたしを 抱くかしら


 実父は強姦とか恫喝とかひどいこともするし、けして働かない酷い男だが、彼の歌声とこの曲の歌詞はなぜか母娘をフラットな気持ちにする効果があった。よく考えたらすげえおかしいのだが、その場の空気が父親の歌にごまかされるような感じをハンナはよく覚えていた。深夜に聞く威圧的な怒鳴り声と女性のような歌声のギャップは、ふたりに刺激と心地よさを与えた。ハンナも母も結局だめな実父がなぐられたりどなられたりして傷つく部分とは、別の部分で彼が大好きだったのだ。


 その日以来、ハンナと母は父のへんに高くて澄んだ声を聞くことも、おっさんらしからぬ豊かな表情の変化も、二度と見ることがなかった。

 次の日から、実父が家を出てかえってこなくなったのである。

 彼のSNS上のすべてのアカウントは抹消されていた。

 ハンナも母も、呆然とするばかりであった。

 なんじゃそりゃ、とおもった。

 経済的には対して困らない。むしろぜんぜん働かずに浪費しかしない父だったので助かるぐらいだったのだが、確実にふたりの生活に変化が訪れたのは間違いなく、それは結果的に良かったのかもしれないが、とりあえずふたりはそれぞれのタイミングと場所ですこし泣いた。かなしかった。うるさくていやになっていた蝉がもうすぐ死にはじめる季節のことであった。蝉共が死に絶えるとともに、かなしい気持ちは怒りにも似たどこか名状しがたい感情へと変貌していった。ふたりとも父のことを忘れたかったが、時折おもいだしてしまうのが癪だった。

 誰よりも逃げたかったハンナから、実父は先に逃げ出したのであった。


 実父が居なくなったあと、ハンナは「あれ」を初めて体験した。

 最初は空中に浮かぶ白いアメーバ状のものなどを幻視するだけだった。次第にエスカレートし、人間はのっぺらぼうにみえた。周囲の風景は安いポリゴンみたいな、現実感の無いとろけるチーズ的不思議空間へと変化し、「あれ」のたびに精神が不安定になった。ハンナは「あれ」にあらゆるモチベーションを奪われた。幻視中、ハンナはどこか自分の体に穴が空いていて、そこから脳や内臓など大事なものが毎秒漏れ出しているように感じた。母に相談しても、なにそれ、と言って対処してくれなかった。


 父が家から消えて、母はあたらしく仕事を見つけた。

 最下流のプログラマである。

 母はハンナに言った。

「ハンナちゃん、お母さんやりました。おしごとみっかったよ。わたし、国のシステムをつくります。すごいでしょう」

「ふーん。やったじゃん」

「がんばるからねー」

「うん」

 ふーん。やったじゃん、とハンナは言ったが、実際は、ほんとか? と言う気持ちであった。母にそんな大層なことができるとは到底おもえなかった。

 実際その仕事は国から与えられる社会保障に近かった。AIがやれば一秒とかからずに終わるプログラミングを、仕事のない老人やシングルマザーに与えて給料を払う、という生活保護に似た制度であった。もともと退職した老人の痴呆症予防と自殺防止が目的の政策である。

 母はそれになにも気づかず、なんのプログラムを作っているのかわからん、といって笑っていた。毎日AIから指示された設定通り、設定書に書かれたコマンドを適当なライブラリから持ってきてペーストする。設定書さえ読めれば、コピペだけで終わる仕事だ。それを時間内に送信して、システムがうまく動けば、おわり。正直、当時十一歳のハンナの能力でもできる簡単なおしごとだった。だが、機械音痴かつアホである母にとってはなかなか難しいものであった。母はアマゾンで「はじめてのpython5」とか「大人の算数学びなおし」みたいな本を何冊か買ってよく読んでいた。クーラーが壊れてしまった蒸し暑い部屋で、中古の小型端末に向かい汗だくになりうんうんうなりながらコマンドを打つ中年女性の姿はけなげで悲しかった。ハンナは自然とおざなりになった家事を担当するようになり、貧しいながら口に糊することはできた。だがハンナの「あれ」はいつでも不意に始まって、のっぺらぼうやとろけるチーズの様な世界はハンナの目の前に突如現れるのだけれども我慢するしか対処法がないので、誰に相談することもなく日を消していた。ハンナはみんなそうなのか、と思い込んでいたのだけど、学校の友達に訊いて回ったら同じ体験をしている子はひとりもいなかった。ハンナは「あれ」について他人に打ち明けることは生涯やめよう、と自閉的に固く誓った。ハンナはやがて不眠症にもなった。不眠解消のため、ハンナは酒を飲むことにした。かなり水で薄めて、実父の真似をして飲んだのである。最初は飲めたものではなかった。舌が拒否し、あたまががんがんした。ふつうの子供であればそこでやめるものの、ハンナは飲み続けた。モチベーションの源は実父の小説に書いてあったからである。酒とは生活の憂さをすべて解決する甘露であり、唯一のソリューションであり、ストレスをやっつけてくれるダークヒーローであると認識していた。そのためハンナは母にばれないように少しずつであるが、飲酒を続けた。酔っている時は、「あれ」がやってこないのも嬉しかった。だがハンナの不眠の夜は続いた。酒により入眠はスムーズであったが、熟睡することはなく、常に半覚醒状態が続いた。考えることは現実と「あれ」とアルコールが混じり合ったハンナ特有の世界で、ひとり楽しんだり怖がったり忙しかった。そのため朝起きて、「ああ疲れた」などとつぶやくなど本末転倒なことになっていた。

 そんなハンナの変化に一切気付かず、経済的な問題を解決すべく、ちょっとネットに詳しくなった母はいかがわしいマッチングサイトに登録した。どうにもならないので、再婚するつもりであった。ネットにアップする写真はハンナが撮った。無加工で気取った表情でもないのに、なんだかいやらしいほど美人に撮れたのを覚えている。

 バツイチ。十二歳の娘一人。三十八歳。神奈川県在住。身長百六十センチ。体重はヒミツです、ごめんね。趣味はガーデニングです。よろしくおねがいしまっす。で登録。

 そして大した時間もかからずに、日本で最も偉くて賢い人間と再婚した。

 そんな母をハンナは深層心理下で軽蔑していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る