第2話

 寝起きのハンナは全身汗でだくだくであった。彼女の眠りはいつも浅く短かった。

 室温の表示は二十九度。カーテンもなにも取っ払っているから、目を閉じていても窓から入る日光がピャーっとまぶたを貫通してくる。まぶしっ。

 あついよクソが、とつぶやきつつ起床すると、ハンナは厚手の毛布を掛けて寝ていた。ハンナが寝た後に、ハンナの母がいい親を気取って、我が子よ寒かろう、とかけてくれたのだろうが、その気遣いはすこしずれているよな、とおもった。いまは六月である。体温の高い齢十三の子供が毛布を掛ける季節ではない。

 隣で無様に愚眠中の母を難儀しつつ起こし、まだ二ヶ月しか袖を通していない中学校の制服、紺色のブレザーとスカートを着た。ヒビのはいった姿見に自らを映しポーズをキメつつおもった。

 我ながらよく似合うわ。背が高くて体のシルエットが細いのがあたしの自慢です。きょうはえらい人に会うのだ、ちゃんとした格好をしなければいけないわ。

 母も同じくぶつぶつ言いながら身作りをしているのだが、あわてているのかその動作はせわしないわりに効率が悪く、部屋の電気をつけるにしても点けてまた消してまた点ける、というように無駄なアクションが多い。各動作に力が入りすぎている。緊張しているのだ。

 保護者がこんな有様でハンナは不安であった。急がなければならないのに、母はひゃー、とか、あぁあぁ、とか、こりゃこりゃ、などの無意味な言説を吐きハンナを苛立たせた。


 なんとか目標の時間で家を出ることに成功した。液晶が割れっぱなしの母の情報端末で電車の時間を調べ、マンションを出た。外に出ると湿気がものすごいが、強い風がハンナの汗をすこしだけ乾かし、長さがまちまちなミディアムボブの黒髪を揺らした。ハンナはマンションの外観を目に焼き付けようと振り返った。このマンションを見るのは最後になるからだ。全体的に腐ったような茶色である。よくもまあこのボロボロのマンションに長いこと住んだものだ、とおもった。ちょっと切なくなって涙ぐんだ。しかし感傷に浸るには時間が無かった。

 三千円で昨日買ったばかりの慣れないパンプスをはいているので頻繁につまずく母をせかしながら、最寄りのバス停でバスを待った。バス停でながい時間待つのはいやだった。近くにゴミ捨て場があるからだ。もう二ヶ月も収集車が来ていないので、ゴミの量も匂いもえげつなかった。ハンナが数週間前にたべたおべんとうのゴミが入った袋も健在である。カラスのおかげでごみ袋がびりびりでマジくさい。

 臭みに耐えながらバスを待っていると、ぽつぽつと雨がパサパサな頭に落ちて来て髪に若干の湿気を与えた。こりゃ東京についた時には大雨かもねぇ、いやだなぁ、みたいな内容の会話を母としようかな、なんてハンナはおもっていたが、となりにいる母の顔を一見してやめた。母の心ここにあらず、なにを考えているのか知らないが、緊張して目がうつろで、しきりにハンナの数倍パサついた自分の髪の毛をこねくりまわしていた。彼女を知らぬ人が見たらちょっと不気味なしぐさである。娘であるハンナにはわかっている。母は東京に行くのが不安なのだ。十三歳の女児であるハンナから見ても、母はだっさーい服装をしている。ぜんぜんショッキングじゃないくすんだピンク色で安っぽい生地のワンピースを着て、子供用のおもちゃを思わせる彩度の高い赤のパンプスを履いていた。上京してきて初めて大学に登校したやつのみたいな恥ずかしい気負いが感じられた。それだけならましかもしれないが、母は右手にフェイクレザーのボストンバックひとつ、左手にハンナのパンツ等衣類がぎゅうぎゅうに入った駅前百貨店の紙袋ふたつと、転がすとガラガラうるさい漆黒のキャリーバックを持っており、なにより致命的なのが彼女のお気に入りである水色のウエストポーチを腰に巻いていた。手荷物がおおい。貧乏くさい。視覚的にうるさい。ダサい。それらがかもす生活感は見た者のモチベーションをかき消してダウナーな気分にさせる効果があった。ハンナはそのウエストポーチを母が身に着ける事がいやだったが、母は家のカギや情報端末をよく失くすため、しかたなく許容しているのだった。彼女は細かい持ち物すべてに鈴をつけているのに、ちりんちりんうるさいだけで意味は無く、それでも失くすことが多々ある。きょうはその忌むべきウエストポーチの中に、ハンナが把握しているかぎり十四枚の未払い請求書がはいっている。これから行く先で、その支払いを肩代わりしてもらえまいか、と母はこれから頼まねばならないのだ。それも含め、ハンナはこのウエストポーチの全存在を憎悪していた。これらの大量の荷物とダサいファッションが、本来の母の美しさをみすぼらしい、どんくさい感じに変換していた。

 バスが来たので、母は必要以上に急いでいる風でどかどかと足音をたてて乗りこんだ。あーやっときたバスきた、のるよーのるよのるよーん、なんて言う余裕のない感じがハンナはなんだか恥ずかしかった。


 一時間後、ハンナと母は、JR平塚駅のホームを経て湘南新宿ライン特別快速籠原行きの座席に座っていた。

 ハンナはあわただしい今朝のことを電車の座席でおもいかえし、やれやれくたびれた、と婆さまのようなことを言い、さっき買ってもらった缶コーヒーを一口のんだ。買ってもらった時、お金は大丈夫なのだろうか、と心配になったが、母はさらにお菓子も買ってくれた。お菓子を食べるのは久しぶりなのでマジうれしかった。電車の中でコーヒーを飲むという行為がオトナ、って感じで愉快であった。マックスコーヒーはあまいのでこどもの舌でもおいしい。出発時から一転して上機嫌であった。申し訳程度の量であるが、カフェインを摂取したからかもしれない。十三歳の未発達な身体のなかで少量のカフェインはぎゅんぎゅんに作用した。ぎゅんぎゅんだ。

 車窓からの風景は目的地である渋谷に近づくにつれ、たんぼの茶色からコンクリートの灰色とけばけばしい原色の広告の割合を増していき、なんだかきたないな、とおもい外をながめるのをやめた。あまりにも情報量が多いと、ハンナは無意識的に目をそらす。電車内もおなじようなもので、大量の広告が貼られたり、つりさげられたりしている。電車の中は文字だらけだった。視界の中にある文字は、車内のどこを見ても百文字を超える。ひらがな、カタカナ、漢字、数字。アルファベット。車内に吊ってある紳士服広告は、絶対に会社で働いたことがないであろう美しい顔とスタイルをした男性モデルが、ハンナに微笑みかけてくる。AR広告は、ハンナの視線をセンサーで感知すると目を合わせてくるのだ。蓋し気味のわるい機能である。

 電車内の大量の情報がハンナを包んでいた。

 週刊現代、移民大流入でどうなるニッポン、イタリアンな感じの女性ファッション誌、ダイドーの缶コーヒー、新発売の伊藤園のジャスミン茶、ASUSの新型携帯端末、不細工なアイドルのライブ、つまんなそうな新作刑事ドラマ、なにが髪にいいのかは知らぬがイメージはいい感じのシャンプー、東京ドームシティのイベント、「激安!」と巨乳の萌えキャラが叫んでいる画付きの大船の分譲マンション、大磯の分譲マンション。ハンナは全部の広告の漢字が読めて、意味もおおむね理解できたことに満足した。

 ハンナが車中の広告を読み終わるぐらいに、ふたりの乗った電車が戸塚駅に到着した。

 ハンナの体内ではカフェインの効果が薄れつつあった。脳が疲れて文字を読む気力がなくなっていく。

 ハンナはこれからのことを考えた。母曰く、とりあえず渋谷に行かなきゃいけないらしい。あとのことはしらない。この電車は、あたしにとって退屈な糞田舎から愉快な東京へ運ぶための乗り物だ。この電車のおかげでクソ田舎からはなれられてうれしいなあ。これから良家のお嬢さまなのだからちゃんとしないといけない。だがちゃんとしようにも、良家のお嬢さまについて、あたしはなにも知らないというのが問題だ。具体的に良家のお嬢さまとはどんなひとなのだろうか。平塚にはもちろんそんなひとはおらず、見たことがないからとんと見当がつかぬ。わらうときも、あはははは、じゃなくて、うふふふふふ、にしないといかんのかもしれないわね。マンガとかラノベのイメージだけど。うふふふふ、なんて笑い方するやつ本当にいるのかしらん。焼肉とかケーキとかたべられるだろうか。

 とにかく、きたない景色と大量の広告に辟易しながらも、なんとなく愉快な気持ちであった。老人だらけで終わってる感のある平塚から、できうる限りの高速ではなれているからだった。広告の把握が終わったので、車両内の乗客の顔を丁寧に観察していった。やはり老人が多かった。八割くらいは簡単なプログラミングさえ出来なさそうな老人ばかり。注目すべきいい感じの人間や危なそうな人間は居ない、と結論づけ安心した。

 となりに座っているハンナの母は、電車に乗っている間、グリコのポッキーを食ったり、化粧を直したり、身体をくねくねさせたり、外を眺めて喜んだり、せっかく化粧を直したのにまたグリコのポッキーを食ってきれいに塗った口紅を台無しにしたり、と今朝と同様にせわしなかったが、横浜駅や大崎駅で乗客が増えてからは緊張しちょっと気取った面持ちになった。とはいえ常に首を神経質に動かし、物音や人が動くたびに視線を送る様は、警戒心の強い小動物の様でみているだけでかわいそうな気持ちになる。

 母は人混みが苦手で、周囲に人が増えれば増えるほどダメ人間へと漸近する。もともとあらゆる能力の低い人だがさらにダメになる。ポッキーの袋をウエストポーチに突っ込んで、背筋を伸ばして歯を食いしばって人混みがもたらす苦痛に耐えている。

 ハンナはそんな母を横目に、お化粧はへたくそで、表情も余裕が無くて、不器用でどんくさいけど、この人って顔だけは本当にきれいだなぁ、とつくづくおもった。その証拠に、入ってきた男性社畜リーマンは必ずハンナの母の顔を見る。若い女性も年取った女性も嫉妬と羨望の感情をこめて見る。みなついでにハンナも見る。二度見、三度見は当たり前で、とある農奴のような恰好をした醜いおじさんなどはぼうっと自失した表情で母を見つめ続け、しまいには降りるはずの駅を忘れてしまう、なんてこともあった。

 つまりハンナの母は類稀な容姿の持ち主であった。ハンナが広告や乗客の顔を見て遊んでいる時、シャンプー広告の女優も含めて車内で一番美しい顔だとおもったのが隣に居る母だった。誰もが母を見た。視線に母は既に慣れていたが、ハンナはまだ慣れず、どぎまぎしていた。二番目に美しいとおもったのが、窓に映った自分だった。自分もかなりえげつない美人であることを自覚していたが、母はなんというか顔の出来の次元が違い、華厳の滝の隣にナイアガラの滝があるようなもんで、ハンナは目立たなかった。ハンナは美しい母とふたりで出かけるのがちょっと誇らしかった。


 電車のドアがプシュッと小気味良い音をたて開き、老朽化してひび割れたコンクリのホームめがけて足を踏み出した。

 午前十時の渋谷駅は人がすっげぇ多い。到着と同時に母の緊張が頂点に達したのを隣で感じた。表情に余裕がない。

 白髪の男がホームに立っていた。

 母はその男に対して、「すいません、ごぶさたです」と声をかけ頭を下げた。

 「ああ、どうも」と男はこちらに気付くと小さく手を振って、いきなりキショいことをハンナに吐いた。

「はじめましてハンナさん、いいお名前ですね。音はヘァ・ナでいいのかな、それとも日本語っぽくハ・ン・ナかな、ヨーロッパではハナって発音する場合もあるよねー」

 白髪男は、渋谷駅3番線のホームでハンナと母を待っていた。雨はまだふっていなかったが、彼はビニール傘を三本もっていた。傘をひとりでいっぱい持っているのが荷物いっぱいの母と相まってなんかみすぼらしい感じで、彼に卑屈な親近感をおぼえた。

「わたしはハンナです。ハナって呼ばれるのはいやっすね」とこたえた。義父との最初の会話を行うにあたってどちらかと言えばネガティブな印象をいだかせてしまったか、とハンナは軽く後悔した。生意気なこどもだとおもわれちゃったか。

 その次に年齢を聞かれたのでハンナは正直に、十三歳です、と答えた。

 男は、かしこそうな子だね、エリクと気が合うといいが、と言って、ハンナの話題を切り上げ母と話し続けた。

 ハンナはすこしいやな気持ちになった。自分に関するトークがほんの十秒くらいなのが気に食わない。存在が希薄な感じで非常に不愉快だった。打ち合わせで一度も発言できなかった新入社員のような淡い敗北感を覚えた。

 白髪の男は背がたかく、まっしろで量の多い髪の下に大きな目、その周りに大量のしわとクマ、最も印象的な白くたっぷりとしたヒゲをたくわえていた。顔は平凡であるが、不健康な荒れた肌に、ぼろぼろなグレーのスウェット上下、ゴム製のサンダルに裸足である。きたない無惨なじじいであった。解雇され食い詰めたサンタクロースのよう。きもちわるい。

 右記が彼との初対面におけるハンナの感想だったが、現時刻をもって彼はハンナの新しい父親になるらしかった。人を外見で判断するしか基準の持たないハンナは、まじまじと目の前の男をねめつけ、こりゃいかんな、とおもった。明るい未来が閉ざされたような気がしていた。

 となりにいる母はいつもより身ぎれいにして目の前の白髪男にへらへらの媚び媚びしている。中年のひきこもりと年増デリヘル嬢というようなふたりである。母が身に着けている忌むべきウェストポーチの中に請求書が入っている事実を知っているのもまた全体的なもの悲しさに拍車をかける。ハンナからしたら双方共にファッション感性が絶滅って感じで、全裸よりかはマシというだけであった。ハンナは母の媚態に失望し、ハンナの脳内では「なんかいやだ」ということばが光ファイバー内部のごとく反射し高速で跳ね回っていた。最大限の努力をもってしてでも、ひきつった笑みしかみせられないのだった。なぜだか不機嫌な自分を客観視し、この先毎日顔を合わせるのに、このままじゃまずいよなあとおもいつつも、かわいくて素直な十三歳の連れ子の演技を始める気になれなかった。

 母は終始今年で芸者歴二十年です、みたいな笑顔で数分彼と話していた。誰も起伏の激しいハンナの心情など、どうでもいいのだ。この世は複雑で膨大だから、かまってられん。

 母は駅のホームに突っ立ったままで男と会話をし、徐々に緊張を解き始めたようだった。単純な女である。男は母の緊張を解こうとわざとくだらない話をして、気を使ってくれている。最近木綿豆腐が好きになってきて一日三丁は必ず食うようになった、必ず三丁なんだよ、昔は別に好きじゃなかったんだけどね、不思議ですよねー、みたいなほんとうにどうでもいい話であったが、母は帰属意識の高いOLの様にそれわかるー、と共感し、両の指を銃のようにする大げさなジェスチャーとともに嬉々として話し続けた。なんじゃそらダサいな、とハンナはおもった。木綿豆腐はうまいよ、あたりまえやんけ。

 母の声色は完全にリラックスして心を許している時のものだった。もっと緊張している時は声が一オクターブ高くなるのだが、いまの声は、低くておばさんくさいとハンナはおもった。つまりそのダメな方の声色を目の前の男に対して出すということは、男が既に緊張する必要のない関係、つまり家族であるという事を意味していた。その事実はハンナを落ち込ませた。なぜ美しい母がこんなおっさんに媚びを売らなければいけないのか。それはわかりきっている。貧乏だからである。かなしい。

 母とこの男はネットで出会ったらしいが、ハンナはそこら辺の事情がきもちわるいので詳しくない。母はこの男のことが好きなのだろうか。とおもった。たぶん好きではないだろう。勘だけど。実の娘による直感である。

 

 男が先導し、ハンナと母は手をつないで渋谷駅構内を出た。男の周囲には警備員だろうか、SP風の格好をした人が数名おり、全員が男とハンナたちの周囲をそれとなく警戒していた。

 駅を出ると開けた広場があり、ハチ公の像があった。

 さらに奥のスクランブル交差点近くの道脇にはハンナの貧弱なデータベースには存在しない高級っぽい車が止まっていた。ベンツである。この独国製車の外装は全く光沢のないくすんだような黒でフルスモーク、大きくも小さくもなかった。

 当たり前のように周囲を取り囲んでいる警備員がこの車に急いで乗れ、とジェスチャーで誘導する。義父は小走りで車の方へと向かったが、渋谷に初めて来たハンナと母はそれぞれ別なものに夢中になっていた。

 母は車には目もくれず、ハチ公像に駆け寄って、「ほんとだぁ、やっぱ犬じゃあん」などとひとりごちていた。なにがほんとでやっぱなのか、ハチ公を犬かどうかさえ疑っていたのか、因果が分断されたわけのわからない発言であったので、義父もハンナも無視した。

 ハンナにとって母のバカ発言はどうでもよく、興味の対象は車の向こう側にある渋谷のスクランブル交差点だった。

 交差点の風景は衝撃だった。人が海のようであった。

 情報量は湘南新宿ラインの中どころでは無かった。電車内のようにすべての人の顔を把握する、というのは不可能である。ハンナは初めて鏡を見た赤ちゃんみたいな顔をしてその交差点をぼうっと眺め、おお、マジか、と低くつぶやいた。人がおもいおもいの方向へぶつからないようにすいすいと泳ぐようにあるいている。東京の人はすごいなぁ、とおもった。彼ら全員に、なにか明確な目的があって、最終的な目標があるのだろうか、と考えた。ちなみにハンナにはまったく無い。母の再婚相手に生活のすべてを委ねる我が身が頼りなかった。自分が汚い海に揺蕩うわけのわからぬ海藻のような気がしていた。空中には所狭しと立体広告が貼りつけられており、ちょっと目線を変えるたびに違う広告が飛び出してきて、聞こえてくる音楽も変わる。ここはずっと七夕祭りみたいな状態がデフォルトなのだ。平塚や湘南新宿ラインの中とは違い、量産型のしけた老人たちはひとりもいなかった。ハンナは日本は老人の国、なんてネットに書いてあったけど、ここ渋谷は若者しかいないではないか、とおもった。若者だらけだ。途方もない。行きかう人は波であり魚のようだった。各々がセンサーと集積回路の塊である情報端末を持ち、たくさんの人たちがそれぞれ勝手な方向へ進んでいる様が愉快で、ハンナはスクランブル交差点のスクランブルぶりを一度高いところからながめてみたい、とおもった。空にはNHKのドローンが五機飛んで交差点の様子を観測していた。ドローンは交差点の中に蠢く人たちにでこぼこの巨大な影を落としながらゆっくりと旋回していた。ハンナはそのドローンをうらやましくおもった。この風景の中には、自分の居場所などありえない、とおもった。

 ハンナは後に、この交差点上空をこのドローンよりもはるか高く飛ぶこととなる。


 大量の荷物を手分けして持っていた母と男は、重さに苦笑しつつも共同作業で車のトランクに荷物を詰めた。周囲に居る警備員風の男たちが手伝おうとしたが、男は制止した。いい年したおとながはしゃいでいる姿はきもちわるいなぁとおもったが、母が楽しそうにしているならそれもまた是なり、と考え直した。

 ハンナは家から持ってきた小説がはいった小さなリュックを車内まで持ち込んだ。男はトランクにいれるかい、と訊いてきたのでことわった。

 初めて自動運転ではない車をみたのでハンナは驚いた。自動運転ではなく人間が運転する乗り物に乗るのはすこしこわかった。

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