ハンナは空の眼の下
尾見怜
第1話
フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏が、ちょうど百歳の誕生日をむかえた日のことであった。
東京都渋谷区上空の黒雲から、本日最初の雨粒が乾いた渋谷川にぽつ、とおちた。それを受けた人口の河川である渋谷川は、赤土でにごった雨水をちょろちょろ流し始めた。雨はすこしずつ強くなっていった。
渋谷のビル群は、今にもくずれおちそうな古いものがおおい。四十年以上前に建てた建築だらけで、ところどころ塗装がひびわれていた。この町でいちばん年をとっているのは人ではなく道路やビルである。目地のひびは老人の肌のようであった。外国人投資家と優秀な日本人はこの国からみな撤退してしまったから、のこされた優秀じゃない大量の老人とちょびっとの若者は、みな貧乏をしている。国自体が老人そのものであった。
きょうの雨はそれらのひびをすこしずつ侵食していった。繁華街がおおい渋谷区とはいえけして裕福ではないため、道路のアスファルトは経年劣化している。ところどころに亀裂がはしり、その部分は次第にへこんでいく。そのため雨になるとひび割れを中心におおきな水たまりができる。若者たちはその水たまりをよけつつ任意の目的地へむかう。彼らは巨大な水たまりに慣れており、指向されるがまま歩いているようにみえる。
また若者たちは広告に囲まれている。日本で最も大きな広告は渋谷スクランブル交差点上空に立体動画で投影されている。新発売のチューハイの商品名を連呼する極めて性的な身体をした女性が交差点をわたる人の頭上にあらわれる。指向性音響技術が発達したおかげで、広告に目をむけた者にだけ音声が聞こえてくる。立体動画はセンサーで顔の向きを判別し、視線方向に音をはなつ。この広告は脳を震わすようなドロップから始まるメタル風のダブステップを採用している。大衆の脳を重低音でぶんなぐり酩酊させ広告の文句をうけいれやすいように変える。
つぎのAR広告は中国の制作会社がつくった恋愛映画のコマーシャルである。ペナペナしたギターのアシッドジャズと、美しい男女が喧嘩をしている立体動画が流れる。次のカットでは、ストリングスを使った感動してくださいって感じの音楽に変わり、動画の男女は仲直りする経緯をすっとばして互いをむさぼるようなえぐい接吻をする。恋愛のいいところを摂取するために作られた映画だ。この種の映画は各エンタメ企業のAIによって無限に作られる。月額五百円払ってネット環境さえあれば誰でも観られる。都民税が払えない若者でも、それぐらいは払える。
広告をスルーするのに慣れたおとなたちは、交差点を横切って別のことを考えている。眼を向けなければ音楽も耳に入らないのだが、ちらりと目の端に映ってしまえば、映画のタイトルや商品名を連呼する声が容赦なく耳からはいってくるし、強烈な光はしばらく目の端に像を残す。どんな情報も誰かの頭の中に生き残ろうと必死である。広告から目を切ると音は消える。
キャンセリングされていた雨音が強くなる。交差点上空にはひどい雨にもまけず、一際巨大で翼竜に似た形状をしたNHKのドローンが、交差点上空で人の群れを撮影、各種データを収集している。「しぶやをきれいに」なんつって抽象的で何も言っていないに等しい文言が書いてある垂れ幕をぶら下げているやつもいる。静音技術の極みであるそれはプロペラの回転音がまったくきこえないため、飛んでいるというよりさも当たり前のように空中に浮かんでいて存在している。若者たちはそんなドローンを鳥や虫と同じく風景として受容している。ただ鳥や虫とドローンのちがうところは、高感度カメラアレイを備えていることで、周囲の風景をどこか企業のサーバに送信、保存し続ける機能を持っている。この程度の雨で墜落はしないだろうが、これ以上雨が強くなったら自分で判断してNHKに戻るだろう。天候情報を鑑みて適当な軒先を借りて雨宿りをする賢いドローンもあり、その様子はなんだかかわいらしい。
雨脚がさらに速くなってきた。
雨音はぽつぽつみたいな単音から、ざぁぁぁっと重層的な音にかわった。
今日の渋谷で特別に目立っているのは、コギャル風と呼ばれる一昔前の女子高校生風ファッションをする女性の集団である。もっとも豊かだった二十世紀末の文化を様々なアーカイブから発掘するリバイバルブームがずっと続いているためだ。そのうちの二人は手をつないで、いたずらっぽく笑みを交わしている。恋人同士なのかもしれない。男たちの視線を浴びて得意気であったし自意識は青天井。彼女らを見ている男たちの大半があの娘らと一発といわず何発もやりまくりたいなぁ、とおもっている。彼らの性欲も青天井だ。
雨の音と若者たちのおしゃべりは止む気配がない。聞こえてくる言語は日本語が半分、英語が三割、そのほかは北京語、ネパール語、ヒンドゥー語、タガログ語など。ネパール人っぽい人が、「この国って台風とか地震とか経済とかいろいろやばいよね。貧乏くさいし。来るんじゃなかったっすわー」みたいな会話をしている。
「東京消防庁」と書かれた古びた救急車が道の脇に停まっているが、難民が住んでいるようだ。中のベッドは堅そうだが、雨に打たれるよりましなので皆救急車の中に避難している。その中には警察官の制服を着ている者もいる。もともと警察官だったのか、それとも盗んだのだろうかは定かではない。
その救急車のすぐそばでは、政治団体が演説をしている。彼らはもれなく雨の中演説する自分に酔っている。ヒップホップのトラックのようなBGMを流してイケてる雰囲気を演出している。行政の怠慢とインフラの崩壊を空中に立体グラフを投影させてプレゼンしている。「民主主義を取り戻そう」と書かれたびしょびしょになった横断幕がはためいている。最終的にはアジテーションを目的としたスローガンの連呼。
さらにその横ではヘルメット付きHMDをつけたインフラ工事の作業員が、都市OSにつながったAIの指示を受けながら、虚無的な表情で道路工事をしている。道路に穿たれた穴の中には様々な規格のケーブルが飛び出ている。長時間の作業によって脳が疲労しているのかなにかミスをしたらしく、ヘルメットからアラートが鳴り響いている。
あたりが暗くなってきて、センター街の各種LEDが点きはじめる。若者たちはなにやら常にそわそわしていてたのしそうだ。飲み屋やファッションビルの電飾、立体映像広告の明かりは、巨大な水たまりに反射してゆらめいている。人々が広告に目をやるたびに聞こえてくる音楽や見える映像はめまぐるしく変わる。天候以外のあらゆる情報が秒単位でシームレスに変わる。そのすべてを把握するのは不可能で、情報は暴力的なまでに我々を包みこんでいる。
降る雨はさらに強さを増し、さながら滝落としの様相である。
分厚い雨雲のおかげで、今日は「空の眼」が見えない。
翌日の渋谷・スクランブル交差点付近は小躍りしたくなるような晴天であるが、蒔岡ハンナがここで凄惨な事件を起こすのは日没後のことであった。
その夜は「空の眼」がくっきりと見えていた。
若く健康な成人四十八名が彼女の手によって死亡した。
からだがまっぷたつになった者もあったという。
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