第9話

 大きな宿場町しゆくばまちのど真ん中に、腹の鳴る音が響き渡った。

 栗毛の痩せ馬だけが、その音に気づいて長いまつげをしばたかせる。なんて様だ、みっともない。無垢むくな丸い目にそう言われた気がして、ツチは馬の首を撫でてやった。

 馬喰ばくろうかれていく尻を見送ってから、ツチは嘆き続ける腹を押さえた。

 宿場町の名を、ろくつじという。味も素っ気もない名に反し、近隣では一番、往来の激しい宿場だ。飯屋に馬場に妓楼に問屋場、小汚い入れ込み宿から国司が泊まる陣屋まで、無数の看板が提灯に照らされていた。

 ツチは、人の多い場所が好きだ。

 善人も悪人も雑多に呑み込み、良いも悪いも吐き出してゆく。見知らぬ人々、これまでもこれからもツチの生になんら関わりなく一生を過ごすであろう人々の中に紛れていると、砂の一粒になったような感覚に襲われる。その感傷は、好もしかった。

 だから、六の辻にやってきたツチは、本当ならもう少し嬉しげにしていてもいいようなものだが――どうも、そんな風ではない。

 洞窟を出立して、丸二日がたとうとしている。

 力が出ぬのは腹が減っているせいだが、気力が湧かぬのは自身の心のせいだ。

 霜霄そうしようは、あの賽子さいころを持っていてくれるだろうか。

 すぐに捨ててしまったかもしれないな。

 そう思うと、少し悲しくなる。

 呼応するように、腹がまた泣いた。

 おおよしよし、まずはお前を満たしてやらないとな。

 腹をさすっていると、声がかかった。

「坊主!」

 軽い足音を立てて駆け寄ってきた髭面ひげづらには見覚えがあった。先般、世話になった宿の親父だ。山の化け物について警告してくれた、あの。

「やっぱりそうだ。さっき飯屋でその目立つ髪を見かけたから、追っかけてきたんだ」

「親父さん、こんなとこでなにやってんだ。自分の店ほっぽり出して物見遊山ものみゆさんか」

「なわけねえだろぉ。六の辻にも俺がやってる宿があんのさ。支店ってとこだぁね」

 人なつこそうな外見に反し、この親父はなかなかのやり手のようだ。

「第一、なにやってんだは俺の台詞せりふだよぉ。おめえ東に行くっつってたのに、まぁだこんなとこウロついてたのか」

「人生ってままならないよね」

 はあ、と肩を落とすと、またまた腹が鳴った。

 親父が目を丸くして訊く。

「なんだ、腹ぁ減ってんのか。……おい待て、おめぇ、ついさっき山盛りかっ込んでたじゃねえか。あんだけ食って足りねえのか」

「足りないよう、ちっとも。だってあの店、ひどいんだ。お代わり出してくれないんだよ。酒だって、酸っぱい、水みたいな奴だったし」

「ああ、そいつは――」

 そこで親父は、幾度いくどか眼をしばたかせた。

「そうだそうだ、おめえを追っかけた理由を思い出した。坊主、悪いことは言わねえから、今夜はうちの宿に泊まりな」

 なんだよ客引きかい、と問うと、親父が口をへの字に曲げた。

ちげえよ。おめえのためだ。見な」

 しょぼしょぼしたひげに包まれたあごがしゃくった先、大通りの反対側には異様な集団があった。あまり人相も雰囲気も良くない男たちだ。腰や背に携えた業物わざものは、飾りではあるまい。五、六人はいるだろうか。

 ぐるりと通りを見渡せば、同じようなかたまりがいくつも目についた。

「ありゃなんだ。熊みたいなのだの大猿みたいなのだの。見世物小屋でもたつのか」

「こ、声がでけえよ!」

 泡を食った親父は、建物と建物の間の細い通りにツチを引っ張り込む。狭く薄暗い路地から提灯の灯る通りを恐ろしげに見やって、親父が口を開いた。

「今、六の辻はちっとやべえんだ。あいつら見ただろう。タチの悪い連中さ。金さえもらえりゃ何でもやるような奴らだ。そんなのが山ほど、集まって来てやがる。数と力を頼んで好き放題やりやがるもんで、ここらの店は今、商売あがったりさ。因縁ふっかけられた運のねえ奴が袋叩きにされたなんて、もう珍しくもねえ」

 昨夜は酌婦が顔を切りつけられたとよ、と親父は暗い声で言った。

 板塀に寄りかかって、ツチはゆるく腕を組んだ。

「へえ。この六の辻に奴らが食らいつくような美味うまい話が転がってるとは思えないけど。押し込みでもやる気かな。いや、それにしちゃ数が多すぎるか。一人頭で割ったんじゃ、子どもの駄賃だちんにもなりゃしない」

「山狩りだとさ」

 と、親父は顔をしかめた。

「山狩り?」

 白い眉が僅かに跳ねた。背が板塀から離れる。

「なんでもな、ここらのお山におたずね者が逃げ込んだんだと。詳しくは知らねえが、盗人らしい。受領ずりようの御殿に忍び込んで、金銀財宝を残らずかっさらって行ったとさ。やられた側にしてみりゃ腹の煮える話だ。面子もある。だから金にあかせて――」

 布令ふれが、出されたのだという。

 山に隠れた盗人をとらまえた者には、思いのままの褒美ほうびを与える。

 奴めが奪った財宝も、ひとつ残らずくれてやる。

 生死は、問わぬ。

「布令を出したのは誰だ」

 声に含まれた鋭さに気づかず、親父はううん、と首をかしげた。

「どこの受領かまでは知らねえよ。ああ、直接、布令をしたつかいの者の姿は遠目でちらっと見たがね。男と女の二人組でさ。女の方はふるいつきたくなるような美人だったっけね」

 にんまり頬を緩めた親父が、「そうそう」とツチの頭を指さした。

「二人ともあんたと同じ、真っ白な髪をしてたよ」

 都じゃあ髪を赤だの黄だのに染めるのが流行はやってるんだっけね、と親父が呟くのを、ツチはもう聞いてはいない。

 白い髪。自分と同じ。

 己と、己のきょうだいたちしか持ちぬはずの。


 ――


 兄姉にとっても、痛い選択だったはずだ。ひとを、これほど大勢のひとを頼んでまで自分を狩りたてようとするのは。手段は選んでいられないということか。

 ツチは己の失敗を悟る。予想の甘さに歯ぎしりする。

 彼らは追い詰められている。自分が思っている以上に。


 ついでに、鬼退治もしてくれりゃあいいんだけどねえ――。


「――なに?」

 顔を上げたツチに、親父はなんでもないことのように言う。

「だから鬼だよお。言ったろ、身の丈三丈の鬼が出るって。何人も食い殺されたって」

 馬鹿な。

 彼は、鬼ではない。ひとを食ったりしない。鳥獣の肉すら避ける有様だ。

 食い殺された人がいる? どうせ噂話が面白おかしく尾ひれ背びれをつけただけだ。

 あれは優しい生き物だ。切ないだけの生き物だ。

霜霄そうしよう――」

 背筋を悪寒おかんが駆け下りた。耳の奥に膜が張ったように音という音が遠ざかる。

「戻らないと」

 真っ青な顔でふらりと一歩踏み出したツチに仰天し、親父が慌てて肩をつかんだ。

「なに言ってんだ。戻るってどこに」

 あの洞窟までの道筋は覚えている。

 駆けに駆けて、数刻。万全の状態ならばだ。今は腹も減っている。力が出ない。駆け続けることなどできようか。

「坊主、俺の店はこっちだ、ついて来な。今の六の辻じゃ珍しい、破落戸ごろつきどもが泊まってねえ宿だから安心しなよ。――おい、震えてるじゃねえか。疲れが出たか。しょうがねえ、肩貸しな」

 親父の首が、腕の下にもぐり込んできた。どっこいしょ、と大儀たいぎそうな声。久方ぶりに感じるひとの体温だった。呼気が近い。

「親父さん」

 なんだあ、と答える頬にまつげが触れそうだった。中年を過ぎたその肉体は、少しばかり緩み、柔らかい。

「――ごめんよ」




 宿場町の光から、影が一つ飛び出していく。

 ましらのような身のこなしで、燕のように夜を滑る。

 元々一つのものであったので、影はあっという間に闇に溶けた。

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