第21話 グラハム砦「きっと」

 翌日の早朝、奴らを感じて目を覚ました。


 聞こえるはずもない足音と、届くはずもない異形の者達の匂いを感じた気がした。


 背伸びをして欠伸をし、目を擦ると瞳が濡れていた。


 あまり良い目覚めとはいかないが、今日も体調は万全だ!


 支度を整え宿舎を出る。


「隊長、準備は万端すっよ」

 トルンを筆頭に、灰色の面々が続々と揃い始める。


 皆、俺と同じ様子。


 奴らが直ぐそこまで来ている。

 そう感じたに違いない。


 雲が低い、視界は朝とは思えないほど暗く、辺りはひっそりとしている。


「隊長、ククルとライラは置いていくのね」

「ああ、置いていく」

 リズの奴も勘は鈍って無いようで安心した。


 しかし、ライラって誰だ……。


 まじで誰だったけ?

 しかし、そのような些事はどうでもいいので構ってる暇はない。


 名前を覚えてない奴だ、どうでも良いに決まっている……。


「隊長、これは雨が降りそうっすね」

 トルンは空を見上げ呟いた。


「関係ないだろう、俺たちにも奴らにも」

「そうっすね……では、号令を」


 別の声が聞こえた気がする。

 誰かが名前を呼んでいる?


「すまんが先に行ってくれ」

「へいへい、打ち合わせの場所で待機ということで?」


 トルンが表情を緩め、皆も何やらニヤつき始めた。

 この期に及んで不謹慎な奴らだ!


「そうだ、そうしてくれ気は抜くなよ」

「隊長も気合を入れて下さいね」

 マークの声を久しぶりに聞いた。

 元気そうで何よりだ。


 砂塵が舞う。

 生温かい湿った南風が吹いている。


 リズの黒髪が風に踊る。

 彼女はいつの間にか、眼鏡を外していた。


「隊長、私は雨が嫌いだわ」

 いつもは自由にしている黒髪を整えながら紐を使い一本に纏めている。


「そうだったな、今日は我慢してくれ」

 又、風が吹き、否応もなく天気が荒れると感じた。


 彼女の髪は、風でもう踊らない。

 手際良く纏められた髪はただ揺れていた。


「嫌いなものは嫌い、だから、我慢はしないわ」

 彼女は皆を追いかけた。


 リズは雨が嫌いだ。

 何でも、幼い頃、雨に打たれて死ぬ程凍えるような思いをしたそうだ。


 俺も雨は嫌いだった。


 それでも俺たちは皆、生きている……。


 また名前を呼ばれた。


「起きてたのか?」

 ククルがいた。


「壁の外に行かなくても良いと思うわ」

「そのことなら昨晩、説明したはずだ」


 大軍同士がやり合う時、指揮官は何処で戦うべきかを考える。敵の情報を集め、地理と地形の確認を細かくしながら、優位に立てる場所をひたすら探す。


 最後に敵味方が妥協をし合って雌雄を決する場が自然に決まる。


 今日の戦場はグラハム砦と随分前から決まっている。


 なら次は地形的優位をいかに利用するかだ。

 壁の前に敵が良い場所に陣を敷くのを黙って見ている義理はない。


 ククルはじっと曇りなき大きな瞳で、心配そうに俺をじっと見つめている。


「今までみたいに逃げても良いと思うの……」

 彼女の言う通り、国境線から砦までは、敵と遭遇したこともあったが、敵の大軍は避けながら進んできた。


 だがやはり、彼女は間違っている。


「俺たちは此処で戦う為に来たんだ」

「そんなの馬鹿みたい……今度の帝国は今までと違うのよ、無事じゃ済まないわ!」


 ククルも感じたらしい、あの異様な気配を……。

 相変わらずの困ったさんだ。


「馬鹿だな、ククルにも見えただろう、あの力が」

「ライラとの一戦で見たわ」


 ライラって……ライラ、ライラ、ライラ、ライライ!


 思い出した!

 自称古神龍のライムーラ、通称ライラ、あの、のじゃっ娘の役に立たない幼女か!


「それで気づいちゃったの……」

 まじか、あいつが古神龍じゃない、ただの、のじゃっ娘ドラゴンだっていうことか!


「そんな、ことで名前を呼ぶな」

「そんなことって……」


 そんなに重大なの?


「そんなことって、なら泣かないでよ!」

「俺がいつ泣いた!!」

 おいおい、勘弁してくれ!


 この場を直ぐにでも立ち去りたいが動けない。

 だって彼女が泣いている。


 その理由が分からないから動けない。

 それに、逃げるのは嫌いだ。


「隊長さんの名前を想うと悲しくなるの」

「……」


「朝、聞こえたの……あなたの声で、ああ今日は大勢が死ぬな、と嘆いているのを……」

「ククルは俺のことを勘違いをしている……」


 俺はそんな奴じゃない。

 そんな奴は嫌いだ……。


「名前を人に教えないのも多分……同じような理由」

 契りを交わした時、ククルには名前を教えたいと思った。


 彼女が俺に願いを告げた時、俺も彼女に願いをした。


 彼女ならきっと……。


「あなたの名前は忘れない、いつまでも、いつまでも想い続けるわ」

 涙声ではにかむククルが、どうしようもなく愛おしく思える。


 彼女が願いを告げた時、俺の願いは叶っていた。


「ああ、それは知っている。だから、君をきっと幸せにしてみせる」

 幸せの意味を知らない俺だけと、君のだけは叶うまで探し続ける。


「あなたは、優しいから、条件を満たしてあの力を使う度、嘆き悲しむ」

「だから、それは勘違いだと言っている」


 兵士は人殺しを生業とする職業。

 俺にとって真っ当な唯一の仕事。


 知らない人の死を嘆き悲しむ感情など一度も持ったことがない。


「バカね……きっと、そういう人だから神様は、あなたに、力を授けたのよ」

「神様って、ククルースの神々か? ククルには悪いが、俺はあまり好きじゃない」


 ククルース神話のせいで、この様だ。

 好きになれる訳がない。


「ククルースの神は、私も嫌いだわ」

 意外だった。


 なら、それはきっと同じ理由だろう。


 そして、涙を拭いた彼女は微笑んだ。

「じゃあ、気を付けていってらっしゃい」

 言葉とは裏腹に俺の手を両手で優しく包んでくれた。


「なんか、いろいろ心配掛けて済まなかったな」

 包んでくれている彼女の両手を気遣いながら遠ざける。


「はい、気にしないで」

 グスンと明るく笑う。


「……」

「……」

 世界が止まる、彼女の瞳、艶やかな唇……。



「主人様達、いちゃいちゃは終わったかの」

 懐かしい声、はるか昔に聞いたような声、多分、そら耳だろう。


 ククルも返事しないでアワアワと無かったことにする様子。


 さて壁の外、小高い丘の上で、アイツらが待っている。


 次は、壁外で帝国を迎え撃つ!


「これ、主人様、無視するでない!」


 雲の高度が低い、激しい嵐になりそうだ。

 次は嵐の中、帝国の奴らを迎え撃つ!


「あ、主人様、あるじさまぁ、ヒック」

 ヤバイ、のじゃ娘ライラが泣きそうだ。


 もう、面倒くさいなぁーー!

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