第10話 逃避行「出発」

 夢の中で肌寒さを感じ、意識が現実に引き戻される。重いまぶたを開け、白くぼやけた視界の中、鳥たちの囀りだけが鮮明に聞こえていた。


「隊長、出発しますか?」

 寝起きの良いトルンの大きな影が霧の中に浮かび上がる。


 緩めていた制服を整え、装備を支度しながら、

「ああ、皆を叩き起こせ」

 と返事した。


「おらっ、野郎ども、出発だ!」

「うわっ、蹴るなんて、酷いじゃないですか!」

 バタバタと騒がしい。


 霧の濃淡はゆっくりと動いている。目を凝らして見ると、穏やかに上昇しているのが見て取れた。


「副長、飯ぐらい食ってから動きましょう」

「そんなもん、歩きながらだ」

 兵達の声。


 毎朝、毎朝、繰り返される、決まったやり取りは、朝の挨拶のようになっていた。


 それにしても、ここまで濃い霧は久し振りだ。

 いつ以来だ?


「あとは、嬢ちゃんだけですぜ」

 トルンが催促してきた。

「ちょっと時間をくれ」

 一言言うと、彼は素直に引き下がった。


 声を掛け、起こそうとするのが躊躇われ「無防備な奴……」と隣に寝ていた彼女に無意識に呼び掛けた。


 安心しきった寝顔、微かに聞こえる整った寝息。


 それに同調するように毛布に浮かび上がった艶かしい曲線が上下に動く。


 このまま放っておく……、訳にもいくまい。


 あれやこれやと考えている内に、毛布は大きな動きを見せた。


「隊長さん、おはようございます」 

 上半身を起こした彼女は背筋を伸ばし深呼吸。


 その後すぐに、軍服の胸元を……。


「どこ見てるのっ!」

 キッと睨まれ、ハッとした。


 こいつ、勘違いしてやがる!

 俺は制服が大きいと思っただけだ!

 とは言えまい……。


「おい、急いで準備しろ」

「あっ、はぐらかした」

 だって、言っても信じ無いだろう!


「隊長、準備は良いですか?」

 痺れを切らしたトルンが呼びにきた。

「ああ、あと少しだ」

 ククルをチラッと見ると、彼女は口を尖らせご不満な様子。

 それでも、それ以上、何も語らず髪をまとめて支度を急ぐ。


 朝霧が全て覆い隠してくれている。

 兵達が先程のやり取りで騒ぎ始めることはない。


 さて、今日も一日が始まる。


 朝日が届かぬ森の中、隊列を組み、木々の間を縫うように山道を下りはじめた。


 ふもとに出て、しばらくは街道を進む。

 脇道にそれ、敵を避けながらの移動になるのは、まだちょっと先だ。


「平気か?」

「大丈夫よ」

 彼女は意外に元気そうだ。

 纏めた長い銀髪が左右に揺れる。綺麗に結ばれたガーゼは可愛らしいリボンになっていた。


 器用だなと素直に感心だ。


 だが着ている制服はピッタリサイズとはいかなかった。


 一応、女性用なんだけどな……。


 彼女が標準より小柄なのか持ち主のせいなのか、少しだぶついている。


 だからといって、女性らしさを隠せていない。


 長いからだろう、ズボンと上着の裾を巻いて調整している。

 そこから覗く細い手足がか弱さを、ズボンのベルトが腰のくびれを強調して女らしさを主張する。


 小さな身体の女の子が背伸びして着た軍服という表現がピッタリだ。


「ねぇ、朝、どこ見てたんですか?」

 彼女の問いは良く聞こえなかったが、その覗き見るような姿勢が胸の辺りを強調する。


 制服の生地が大きすぎてブカブカだ。


「お前、小さいんだな」

 身体がだ。


「なっ、どこ見て言ってるのよ!」

「とこって、そらあ……」

 胸の辺りを見ながら「制服だよ」と言葉を繋ぐ前に、なぜか、大興奮の彼女は、

「小さいって何よ!」

 と凄い剣幕で迫りくる。


 あれか? 身体が小さいことを馬鹿にされたと思ったのか?


「小さいのに頑張るやつは好きだぜ」

「す、す、好きって、何よっ! ヘンタイ!」

「ヘンタイって何だよ! それにお前、休憩しなくて大丈夫か? 顔が赤いぞ!」

 こっちは本気で心配しているのに、ククルはスタスタと急ぎ足で距離を取る。


「隊長、俺はてっりき大きいのが好みかと思ってましたよ」

 知らぬ間に先頭を歩いているはずのトルンが後方まで下がっていた。


「大きい奴は、放っておいて大丈夫だろ」

「取られるとか考えないんですか? どこから来るんですか! その自信は?」

 これはビックリという顔て、トルンは感心しているようだ。


 この身体の大きいゴリラが何に驚き感心しているか謎だ……いや、取られる何だよ?


「お前の言ってる意味がさっぱり分からん」


「はぁ、もういいすっよ、それよりも、どうします? このまま行くと味方と合流ですよ」

「前線が崩壊して三日経つのに間抜けな奴らだ」

「だったら道を外れますか?」

「いや、このままだ」

 先を歩くククルを見ながらそう答えた。


「この辺りの脇道は、まだ険しいっすからね……あと、兵隊以外も一緒に行軍している様子ですが」

「どちらでも一緒だろ?」

「そうすっね」

 呆気なく納得したトルンは先頭に直ぐに戻っていった。


 さて、味方は敵より苦手だが、それは、それで何とかなるだろう。

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