第9話 逃避行「温泉のあとで」
前屈みになった彼女は垂れた前髪を片手で抑えながら、俺の方に腕を伸ばしてきた。
しなやかな指先、その先の彼女が微笑みかける。
柄にもなく照れ臭く躊躇していると「ん?」と催促された。
「たくっ、誰のせいだと思ってんだ」
彼女の手を掴む、想像してたよりも暖かく弾力があり……、耳が熱くなった。
「制服、似合ってるでしょ」
自慢げに、胸元を強調する。慎ましい膨らみ、その布地に縫われている空白の紋章。
俺たちの隊に与えられた紋章だ。
突然、鳥が騒がしく鳴き始め、木々を揺らすと、すっかり暗くなった大空へ羽ばたいた。
「きゃっ」
小さな悲鳴。
舞い上がる木の葉。
銀髪が風に乗り、美しい曲線を描きながら広がった。
彼女が驚いたのは、森の奥から駆け抜けてきた突風が彼女を乱暴に歓迎したからだった。
「もう、せっかく整えたのに……」
ぶつぶつと言いながら口を尖らせ長い髪に手ぐしを入れる。首を傾げ、あらわになったうなじに女を感じた。
様子をじっと見ていると、
「なによっ!」
と彼女は風に髪をぐちゃぐちゃにされ、お冠の様子。
「いや、怪我が治ったんだなと思って」
あれほどあったアザや傷が、すっかり治っているので聞いてみた。
「怖い?」
揶揄うような口調だか、気のせいか彼女が少し寂しそうに見える。
だから、
「怪我の治りなら俺の方が絶対に早いぜ」
と言い、この話を終わらせようとした。
なのに、彼女は話を続ける。
「あの人たちは
「心配するな、俺たちはそういう集まりだ」
「ふーん」
彼女は、また俺の額を指先で突いた。
今度は俺は倒れない。
少し不満そうに、なのに何故か嬉しそうに、
「私は身体が汚れると力がでないの……」
と言ってうつむいた。
出会った時の状態を思い、ひどい想像が頭に浮かび、言葉を失う。
「バーカ、言ったじゃない。帝国の人は私に触れるのが怖いって」
俺の額を指先で弾く、その痛みが優しく広がる。
「隊長さんも、心配しなくていいわ、私の身体はきれいよ」
「?!」
「隊長さんのエッチ!」
彼女は無邪気に笑っている。
汚水を浴びせ、ムチで打たれて出来た傷とでも言いたいのだろうか? そうだとしても、その痛みと苦痛は相当だったに違いない。
「平気なのか?」
「平気よ、だって今、私はここにいる」
「何だよ、それ」
彼女はつま先で俺のすねを蹴って返事した。
風情のない、野郎どもの大合唱!
「隊長のエッチ!」
茂みから一人、二人と飛び出してきた。
お前らみんなぶっ殺してやる!!
だが、剣を抜こうにも手元に無い、とても残念!
「お前らいつから、そこにいやがった!」
「隊長のエッチ、もう、やったのか?」
トルンはタコのような口をしながら俺を揶揄う。
「お前か!」
こいつが皆の気配を消すのに一枚噛んだに違いない。
「隙だらけなんですよ、隊長は」
お前もかマーク、しかし【愚者】にそんな便利なスキルあるのか、てかっ、いつからだよ!
「やっぱり、べっぴんさんじゃないですか、隊長」
「トルン、後で、覚えてろよ」
腹に拳で一発入れてやる。ニカッと笑顔のトルンは平気そうだ。くそっ、この筋肉ゴリラめ!
「そうですよ、隊長にはもったいない!」
マークは、手のひらに唾をかけ、髪をビシッと整えるといきなり駆け出した。
「ククルちゃーん」
そう叫びながら、彼女に抱き着こうとする。
稲光が走る!
「いてぇーー」
マークが絶叫した。
プスプスと焦げるマークを横目に
「だから言ったでしょ、罰が当たるって」
ククルは腰に手を当て自慢げだ。
なんて、恐ろしい女……。
それにしても、
「お前、魔法が使えるのか?」
傷の治りが早く魔法が使える天職って……。
いや、それよりも……。
「ククル、ククルよ、いい加減、名前ぐらい覚えて! あと封印は解けてるから、魔法は使えるわ」
「身体を洗っただけでか?」
「違うわよ、バカ! あの時の……」
魔法を使うと体温が上昇するのか、ククルの顔が赤くなった。
「あの時?」
「隊長さんが抱き寄せて」
彼女は何やらもじもじしだした。
えーい、イライラする!
「あの時って、いつだよ!」
「私の唇に触れた時よ!」
「隊長、もうチューしたんですか!」
コゲコゲのマークをゴツンと殴りつける。
お前、案外、生命力が強いのね。頼むから大人しくしてくれ!
「してないわよ!」
ピカッと落雷が俺に落ちた。
身体がビリビリするが、この程度なら平気だ。
魔法耐性は天下一品!
「隊長、大丈夫っすか?」
「ゴリラは引っ込んでろ! こんなの屁でもねぇ」
足元がふらつき、プスプスと全身から音が聞こえるが、平気だ!
「嬢ちゃん、隊長は勘弁してやってください」
トルンが仲裁をかって出るような位置にたった。
いったい何の仲裁をする気なのだろうか?
「ご、ごめんなさい、つい」
ククルは誤っているが、つい出来心で雷を落とされては全然平気だけど堪ったものじゃない。
彼女は深呼吸をし、何やら決意をしたようだ。
「初めて隊長さんに抱かれて契りを交わした時に私は自由になったんです」
顔を赤らめた彼女は、恥ずかしさを堪えるように告白をした。
おいおい、何を言い出すんだこの娘!
ゴンゴンと皆に頭を叩かれる。
ヤメロ、いて、ヤメロってば!!
しかし、悪魔の契りの制約は、俺にしかないはずだ。
「おい、ばか言うのはよせ、あれに、そんな効果は無いはずだ」
「いいえ、きっと神様に嫌われて、だから、私は自由になっのよ」
「なんだよそれ、お前の天職って?」
「……」
彼女はうつむいてしまった。
この世界は、授かった天職によって人生が定められる残酷な世界だ。
言い淀むのは、そういう事に違いない。
「悪かったな、俺たちはそういう集まりだ。言いたくなきゃ黙ってろ」
「そうですよ、ククルちゃん、隊で天職を明かしてるのは【愚者】の僕と、【大盗賊】のトルン副長、そして【悪魔】の隊長の三人だけなんだから、気にしないで下さい」
「ありがと」
とククルは申し訳なさそうに返事しながら、再び抱きつこうとしたマークへ雷を落とし、ちゃかり黒焦げにした。
この女、中々やるようだ。
「まあ、そういう事だ、気にするな。言いたくなったら言えば良いし、最後まで黙るのも自由だ」
「嬢ちゃんが言った通り、俺たちは自由だからな」
胸元の紋章を指差し、トルンは歯を見せて笑った。
さて、その後もマークはククルに抱きつこうと必死だったが何度も黒焦げにされ近く事すら叶わない。
皆で焚き火を囲みひと段落つく頃には、
「僕だって隊長と同じアルカナの天職を授かってるんですよ、だからきっと」
と言い残し、皆よりかなり早い眠りについた。
安からに眠れトルン、そして、来世は女好きを治して真人間になってくれ……。
騒がしいのが眠り、皆、気の合う者を見つけて談笑を始めた。
「アルカナの天職が二人も居るなんて凄い偶然ですね」
ククルが俺の側に寄ってきた。
「いや嬢ちゃん、本当は三人ですよ」
「大盗賊なんてアルカナの天職にないわ」
「あと一人いるんだよ」
不味いことを思い出し、それを振り払うようにして枯れ枝を火にくべた。
「そういえば隊長、彼女の制服、勝手に嬢ちゃんに渡して大丈夫ですか?」
トルンの言葉を聞いたククルも枝を焚き火へと投げる。
炎が風に煽られ大きくなったように見えた。
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