第8話 逃避行「温泉」

 山裾の少し深い場所、険しい獣道を行った先に目的の温泉は湧いていた。


 日が落ちる前にたどり着くことが出来た俺たちは、そこに荷物を下ろした。


「しかしマーク、お前、こんな場所をよく知ってたな」

「駐屯地で色々と聞いたんですよ。元気かなぁ、あの娘さん達……」

 鼻の下を伸ばしたマークは二枚目が台無しだ。何やらエロいことを思い出し別世界の住民と化した彼をトルンが引きずるようにして茂みの奥、森の中へと連れて行く。


「さて、お前らも、あいつらの後に続け!」

「何でですか?」

「そうですよ! 温泉はそこです!」

「皆で一緒に」

「皆で一緒じゃねぇ! このバカどもが!」

 ぐぐぐっ、こいつらぁー、この後に及んで、あっけらかんと、白々しい〜〜。


「温泉に来て、入らないとか、隊長は意味不明です」

「だぁ、めんどくせぇ、嬢ちゃんが先だから」

「嬢ちゃんじゃありません! ククルです!」

 ん?! チラッと彼女と目があったが、それどころじゃ無い。

「もう一度、言うぞ! 嬢……、クッ……が先だから、離れてろって、言ってんだ!!」

「えーーーー」

 大合唱の最中、「クッって何よ」と言う声も聞こえた……。

 しかし、こいつら、全く動く気が無さそうだ。


「隊長、それは何のつもりですか」

「見て分からねぇか?」

 俺は剣を抜いた。もう、何もかもが面倒臭い!


「隊長が本気で俺たちを斬れる訳がない」

「そうだ! そうだ!」

 剣を振りビューンと音を鳴らす。

 その風は兵士達の頭をかすめ、浮いた頭髪を切断し、彼らの背後、森の木々を切り倒し、彼方へと消えた。


「…………」

 皆、引きつった顔で直立不動だ。


「素振を何度もすると手元が狂うことがあるかもな……」

「…………」

 皆、硬直したまま動かない……てか、動け!


 フンッ!と剣の素振りを見せると、皆がのけぞる!


 フンッ!

 のけぞる!


 フンフン!

 のけぞる、のけぞる!


 フンフンフン!

 のけぞる、のけぞる、のけ……ぞらない……。


「くそーー、お前ら全員、ぶった斬ってやる!」

 半ば本気で剣を振り上げた!


「うわぁー、隊長が本気で怒ったぞ!」

「本気だ、この人、本気だ!」

 兵達は、はしゃぎながら蜘蛛の子を散らす。


「たくっ、しょうもない奴らだ」

 剣を鞘に収めた。


「隊長さんは、残るのですか?」

 背後から聞こえたククルの声に、

「俺は見張りだよ」

 と振り返ると、彼女は胸元をギュッと両手で隠し、俺を睨みつけている。


「おいっ、勘違いするなよ! 俺は、そんなんじゃねぇ」

「そんなって、何ですか?」

「俺は森の方をずっと見てるってことだよ」

「こっち見たらダメですよ」

「そっち見たら見張りにならねぇだろう」

「…………」

「おい、何だよ」

 確かにここで見張る必要もないかと一歩前へ足を踏み出す。


「別に良いですよ。そこに居ても……」

 もう一歩前へ、

「ここで一人は寂しいから、そこに居て下さい!」

「しょうがない、待っててやるよ」

 ドスンと地面に腰を下ろし、そばにあった荷物を引き寄せた。


「絶対、見たらダメですよ! 絶対! 絶対ですからね!」

「分かった、分かった」

 荷物からタオルを取り出し後ろに投げた。


「あ、ありがとう」

 彼女はどうやらタオルを拾ったようだ。


 空が赤く染まり始めている。


 温泉から立ち昇る湯気は大気に溶け、独特の匂いとなって辺りに広がっている。

 そよ風は枝葉を揺らし、新緑の香を運んでいた。


 異なる匂いと香が混じり合いながら作りだす空間。


 どこか懐かしく心を落ち着かせる静寂も、布の擦れるかすかな響きを隠せていなかった。


 一心不乱に荷物を探り、目当ての物を見つけた。


 背後に向かって声を掛けようとした時、

「隊長さんは、帝国のことをどう思いますか?」

 と唐突に質問をされた。


「帝国? そらあ、敵だな」

「そういう事ではありません」

「そう言われてもなぁ、先代の皇帝は穏やかだったらしいが……」

「じゃぁ、今の皇帝は?」

「敵の親玉……、そういえば、皇帝の天職は【神】らしいな、たくっ、恵まれてるな」

「……」

「そうか! 先代の姫君はククルという名前らしいぞ」

「知ってたんですか?」

「こう見えて博学だからな、兵士をやるなら、外交と歴史は知っとかねえと命を落とす」

「じゃなくて」

「そうか、帝国の姫様と嬢ちゃんは一緒の名前っていう、お前の自慢か?」

 ガックンとお湯の跳ねる音。

「嬢ちゃん、大丈夫か?」

 ビックリして思わず振り向きそうになった。


「大丈夫よ、ちょっと気が抜けただけ」

「そうだな、力を抜くのは大切だ」

「そ、そうね……」

 チャポンと湯を切り、彼女は姿勢を変えたようだった。


「それに、彼女はもう姫様じゃないのよ」

「幽閉されてても、姫は、姫だろう」

「戦争を止めれない姫なんて」

「そう責めてやるな、従う家臣もいないじゃ無理だろ」

「彼女は天使を授かってるのよ」

「天使は神の御使だろ、なおさらだ。それに天職、天職って、この世界どうかしてるぜ」

「彼女は何をすべきだった思う?」

「すべきとか馬鹿だろ? それよりも、幽閉されてるなら誰かが助けて、それからだ」

「助けるべきとか、同じじゃない、バカ!」

「バカって、べきは使って無かっただろ」

「なら、隊長さんなら、助けるの?」

「俺は、帝国の人じゃないからな」

「どっち?」

「目の前にいたら助けるかもな」

「なんで?」

「そりゃ、強い奴を倒す方が面白いからだよ」

「ふーーん、バカなんだ」

 彼女が温泉から上がる音がした。

「バカって言うな!」

「一応、褒め言葉よ」

 さっぱり、意味が分からん、これだからガキは!

 しかし、彼女の機嫌は、とても良さそうなので、これ以上、言い返すのはやめた。


 そういえば、

「軍服の余りがあるが着るか?」

 と先程、荷物から取り出した服を掴む。


「持ってきて」

「いいか、投げるぞ」

「タオル巻いてるから大丈夫よ」


 振り返ると彼女はタオルを巻いて立っていた。


 みずみずしい白い肌から湯気が立ち昇る。

 そして、何よりも夕暮れ時の木漏れ日に照らし出された銀髪に目を奪われた。


「な、なによ」

 彼女の言葉に無意識に、

「きれいだ」

 と呟いていた。


「そ、あ、ありがと」

 握っていた着替えを、いきなり奪い取られ我にかえる。

「おい、今、俺、なんて言った」

 頬を赤らめた彼女の顔が、ボンとさらに赤くなる。

「着替えるから、あっち向いてて!」

 パタパタと着替えで叩かれ、しまいには「あっち行け!」と怒鳴られた。


 着替えが終わり、

「隊長さん」

 と彼女が声をかけてきた。


「今度はなんだ?」

 と振り返ると誰もいない。


 その一瞬はゆっくりと時を刻む。


 くるりと彼女は俺の前に回り込み、両手を後ろで組み、前屈みで顔を俺に寄せてきた。


「責任とって下さいね」

 いきなりの事で驚き顔が熱くなる。

「隙だらけよっっ」

 チョンと額を押され、俺は尻餅をついた。


 俺を見下ろす彼女は、とても楽しそうだった。

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