春川桜子は妹だ
朝のHR時から春川をチラチラと伺ってはいるのだけど目すら合わせて貰えず近づけば離れられなんとか距離を詰めれば友人と腕を組んで楽し気にバカ話に花を咲かせつつ警戒心がビンビンに伝わる背中を向けてくる鉄壁のディフェンスの前に成すすべもなく途方に暮れた俺が打開策を考えているうちに昼を過ぎ日は暮れ時計が10時を指し目の前には公園。そしてベンチには春川。
なんだよそれすげーな春川マジかよ失ったプライドは失った場所でしか取り戻せないというのを分かっていてきっちり傷付いた場所に帰ってきてんのかよしかも昨日の今日っていうタイミングって中々できることじゃねーぞ辛かっただろうごめんな今日はきちんと全部話すわと決意し座ったベンチの隣の春川は全然俺の方を見ずまっすぐ前を見つめたままぎゅっとスカートを掴んでいるだけなので俺も前を見つめたまま話を始める。春川が涙を堪えていられるうちに。
「春川、昨日はすまない。急に『無理だろ』とか言ってしまって」
「……いえ。私も帰っちゃってすみませんでした。先生の言う通りです。やっぱ私じゃお姉ちゃんに追いつくなんて、無理なんですよね。私なんて――」
「そうじゃない」
「え」
思わず春川の言葉を遮ってしまった俺に教師の俺が良くない対応だぞとガンガン警鐘を鳴らしてくるのを完全に無視した俺は構わず言葉を続ける。
「春川がどうこうじゃない。葉桜が問題なんだ。葉桜は今のお前と同じ歳で死んだ事もあって比べられやすいんだろう。だけど思い出してみろ。葉桜はそもそもやべー奴なんだ。いいか春川、葉桜をゴリラだと思ってみろ」
「ゴリ……ラ?」
「そうだ。お前は『ゴリラは腕相撲強かったのにねー』と比べられて傷つくか? 『ゴリラに腕相撲勝てるように頑張らなくちゃいけない。頑張れない自分は駄目な奴なんだ』って悲観するか?」
「い……いえ」
「だろ。比べてくる方がどうかしてるだろ。だから気にする必要は無い。笑って流せばいいんだ。それくらい葉桜はやべー奴だ。だが、そうは言っても春川は葉桜とは家族だから完全に離れる事はできないだろう。そんな時は葉桜を姉じゃなくて雨だと思っておけ」
「雨……ですか」
「ああ。雨だ。葉桜は人間とか幽霊とかいう枠を軽々飛び越えてもはやひとつの現象だ。勝つとか負けるとかじゃない。そこに在るものなんだ。春川、お前は雨が降ってきたときどうする」
「えと、傘をさします」
「そうだ。傘をさすだろ。あるいは屋根のある場所へ行くだろ。間違っても『降ってくる雨を全部避けて濡れなかったら勝ち』みたいな勝負を挑まないだろう。俺は中学の時に挑んだが負けた。無理なんだ。それと一緒だ。葉桜は適切に防げ。あいつは避けきれるものじゃない。だが傘があれば濡れない。正しく葉桜を知って適切な距離と対処を取るんだ。勝負する必要も、過剰に恐れる必要も、憎む必要も無い。ずっと俺達の傍にあるものなんだ。憧れるのは止めはしないがレベルがゴリラっていう事は忘れるな。振り回されて疲弊するのは損だからな」
「は……はい」
「だから、お前が自分を卑下することは無い。今の自分じゃ物足りないと感じるのなら、お前のできる事をひとつひとつ積み上げていけばいい。でも、その時には葉桜のやり方を真似するのは危ないからやめとけ。天才のルーティーンを前提にしたやり方ってのは普通の奴にとってキツすぎる。どこか無理が生まれてまず長続きしないで潰れてしまうんだ。ましてやお手本が葉桜なら猶更だ。自分の現状をちゃんと知って、末永く取り組むというか、共存するというか、いい感じでやっていく方法を探すんだ。きっと長い付き合いになる。昨日『無理だろ』って言ったのは、葉桜と勝ち負けを争うとかいう考え自体が無理って事なんだ。お前がどうこうじゃないって事を言いたかったんだ。実際、俺が見る限り春川はよくやってる。言葉が足りなくてすまなかった。ゴリラとか雨とか変な話と思うだろうがこれが葉桜の事を少しは知ってる俺の本音だ」
そこまでまくし立ててやっと春川の目を見るとちょっと何言ってるかわかんないんですけど状態の瞳にぶつかった。
「国語の先生と思えないくらいメチャクチャ」
「そう言われると返す言葉が無いわ」
口元を押さえて肩を震わせていた春川がやがて盛大に噴き出しついには声を上げて笑い出したのを見て俺もおかしくなって2人でしばらく夜の公園のベンチで笑った。桜の木に見つめられながら。
「あー笑った。でも、はい。お姉ちゃんはゴリラとします」
「おう」
「世界一素敵なゴリラってことで」
ニコっと笑った春川の笑顔はなんだそれ準優勝じゃんと思うほど素敵で俺はちょっと動揺してしまう素振りを隠し平静を取り繕って差し出した手でがっちりと握手を交わした春川が手を振って帰っていくのを見送りながら春川将来すげーいい女になるのかもな10年後くらいが楽しみだと考えているうちに手にはスト缶。10年経った。
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