第4話 さよなら3Kこんにちは厄介事2

「♪~」


 無事、奴隷紋を返却したメリルは上機嫌に貰った袋の内の一つを握り、じゃらじゃらと鳴る硬貨が擦れ合う音と感触を楽しんだ。


 中に詰まっているのは金貨。


「これで一生、とは言えないけど、遊んで暮らせるだけのお金も貯まったし、明日から何をしようかしら」


 報酬を受取り、帰ろうとするメリルをカルロッテは引き止め、馬車で送ると申し出てくれたがそれは丁重に断った。普段は見せない厳しい素振りに多少引っかかりを覚えたものの、メリルの家は都市から外れた小さな村、その近くにある森の中にある。今は朝日も昇り、昼に差し掛かる手前。歩いて一時間程度の距離であれば、夜道ならともかく、明るく人通りのあるこの時間帯に危険は特にない。そう言って最後ににこり、と笑って見せれば「くれぐれも気を付けるように」と教会製の護符を持たされた。


 今回の相手が相手なので用心に越した事はないと言ったところだろうか。

 魔法使いの女に付けられた呪いマーカーもカルロッテ商会でも腕利きの術士に剥がして貰った。剥がした呪いは呪紙へと転写し、あちらで保管してもらっているので、彼らが逃げおおせて追いかけてきたところでカルロッテ商会まで追う事は出来てもメリルに辿り着く事はない。むしろ、この手の事には慣れているカルロッテ商会に取り押さえられるのが関の山だろう。それでもそこそこ長い付き合いでもあるメリルを心配してくれている。


 そんな訳で丈夫な鞄に金貨の詰まった袋と好意でもらった美味しいお菓子と昼食を詰め、意気揚々と歩いている最中である。


 人通りのない道に差し掛かったところで袋の一つを取り出し、感触を確かめ、袋の口を緩めてちらりと見えた金色に満足した処でもあった。メリルは頬を緩め、改めて周囲に人の気配がない事を確認し終えると、金貨の詰まった袋を鞄に詰め直した。


 しばらく歩き、村の姿が見えだした辺りで一人の農婦が向かいからやってくるのが見えたので軽く手を振ってみる。

 向こうもこちらに気が付くと、表情をぱっと明るいものへと変え、手を振り返してくれた。


「おや、メリルちゃんじゃないか」

「こんにちは」


 メリルも愛想よい笑顔で農婦へと挨拶をする。


「出稼ぎの帰りかい?」

「はい、丁度お暇してきたところです」

「ほんと、まだ若いってのに、メリルちゃんは偉いねぇ」


 農婦は頬に手をあて、しみじみと呟いた。


「天涯孤独の身ですから、自分の食いぶちと蓄えは自分で稼がないと」

「だからって、ウチの村で薬師やってるだけじゃなく、わざわざ都市に出稼ぎにまで行って、なんだったら、村の空き家を自由に使ってくれてもいいんだよ、村長さんもそう言ってる」

「ありがとうございます。でも、あの家は婆様との大事な思い出の場所ですし、薬草の栽培にも丁度いいんです」


 農婦の心からの言葉にメリルは苦笑を浮かべて答えた。


「あの偏屈な婆さんでも、孫は可愛かったとみえるねぇ」


 農婦は小さく笑った。

 

 外れの森には魔女がいる。その姿はおとぎ話で語られる老婆の姿をした魔女そのもの。

 大変に気難しく、人嫌い。魔女の棲む森もそれほど大きな森ではないはずなのに、中に踏み入るのは容易ではない。


 魔女の気性が森にうつったのか、それともあの森だからこそ魔女が棲み付いたのか。そんな軽口じみた論議が酒の席に出る程度には魔女は村人に愛されていたのだろう。滅多に森から出る事はなく、時折村長に呼ばれ、姿を見せればそれほど大きくない村で様々な噂が流れた。その大半が悪い魔女を連想させる不気味なものであったが。


 大人たちは面白おかしく、子供たちは恐怖と好奇心をもって。それでも魔女は困った時には助けてくれたし、助言もくれた。魔法が使えたかは定かではないが、ものは使えたらしい。それが何かはわからない。

 対価はきっちり取り立てていったし、子供が悪さをすれば容赦なく叱った。


 そんな魔女の姿を村で見かけなくなってしばらく経った頃に一人の少女がやってきた。少女はメリルと名乗った。


 見た目はほんの12歳程度。黒い髪に黒い瞳という珍しい組み合わせであり、旅をしてきたせいか、見た目の年より受け応えがはっきりしていた。


 そんな異質な少女を村人たちは訝しんだが、村長から魔女の孫だと説明され、村人達は納得した。それからしばらくは魔女の名代としてメリルが村に顔を見せるようになり、徐々に村にも受け入れられていった。そうして一年ほど経った頃、魔女が亡くなったことをメリルの口から聞かされたのだ。静かに、眠るように息を引き取ったと。


 あれから3年。人嫌いだった魔女とは違ってメリルはちょくちょく顔を出し、村の人間ともよく話す。特に拗れた事もなく、何より薬の知識をもっている人間が村の中に居てくれると安心感もあるものだが、彼女は迷ってしまうあの森から離れる気はないらしい。


 そこでふと、何かを思い出したらしい農婦は表情を少し真面目なものに変え、メリルに近づいた。


「そうそう、メリルちゃん、昨日来た行商人が言ってたんだけど、厄介な魔物を見たって噂、都市あっちで聞かなかったかい?」

「厄介な、魔物、ですか?特にそういった噂は聞きませんでしたが」


 メリルは首を傾げる。


「なんでもね、鎧の魔物がこっち方面に向かってるって話でねぇ、ほら、ああいった商人さん達って連絡を取り合って安全な道を選んでるって話じゃないか、その話の中にちらほらとその魔物を見たって人たちがいるらしくてね、その見つけた場所と時間を繋げたら、ちょうどこっちの方角だって」

「鎧の、魔物……」

「そう、名前は確か……踊る……でもなくて、歩くでもなくて、なんだったかねぇ」


 思い出そうと悩む農婦を前にメリルの脳裏に一つの名前が思い浮かんだ。


「もしかして、彷徨う鎧……?」

「そう、それ!」


 ぱっと表情を明るくさせた農婦に対し、メリルの笑顔がわずかに引きつった。


「それ、ただの噂ですよね?」

「それがねぇ、そうでもないかもって話なんだよ。行商人さんが言うには、情報が確かなら、このままだと2,3日中にはこの近辺までくるんじゃないかって。勿論、国の騎士団には通報してあるから大ごとにはならないだろうって村長さんは言ってたけどね」


 なんたって、オルランドの騎士様たちはその辺の国の騎士よりよっぽど優秀だからね!と胸を張って見せた農婦に、ソウデスネ、とメリルは当たり障りなく答えてた。若干、棒読み気味だったかは定かではない。


 それが確かな話であれば、今日、明日中には警戒令が発布されるだろう。いや、もうすでに発布された後かもしれない。


 そういった状況なので、今の内に都市へ行き、買い物に行くついでに情報の出回り具合を確認しに行く事になったらしい。農婦がどこか浮かれて見えるのはきっと対価として村長からお小遣いでももらったのだろう。そして農婦の本題と建前が逆になっている事には突っ込まない。小さな集落において、どんな些細な事が藪蛇にならないとも限らない。


 そこには敢えて触れず、当たり障りない挨拶を交わし、農婦は都市へ向かって歩いて行った。


 農婦の背中が小さくなるまでぼんやりと見送ったあと、メリルは深い溜息を吐いた。


彷徨う鎧ワンダリングアーマーか、そりゃぁ、カルロッテさんも大盤振る舞いなワケだわ」


 その鞄から取り出した教会製の護符を眺め、メリルは乾いた笑いを漏らした。




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