日常の②-8『撮影開始』

「みなさーん、こんにちはっ!『戦国時代』のイエヤスでーす。久しぶりぃー!前回の動画の通り、いろんなことがありまして、毎日更新が途絶えてしまいましたが、頑張っていきたいと、思い、まぁーすっ」


 俺は、俺より少しばかり小ぶりな、それでもアヲちゃんや花束さんぐらいは背丈のある、三脚に備え付けられたカメラの隣に座りながら、パソコンに表示されている音声の波を眺めている。


 そもそも、一人で撮影できる環境が揃っているのだ。俺の仕事は実のところ、特にはない。


「今日は、お化粧回です。でもね、いつもと違うのだぁーっ!いつまでも私が試すだけじゃね。変わり映えしないし、みんな飽きちゃうからね」


 座っている徳川の前には、白いテーブルがあり、化粧品が並んでいる。その中のいくつかを、彼女は順に手に取ってテーブルからカメラの前に移動させた。

 黒い手の平サイズのボトルと、それより一回り大きな緑のボトル、白い十センチ平方くらいの、薄く四角い小さな箱のようなもの。


 化粧には疎いので、俺には何か分からない。


「今日は、来月六月からカナボウさんから販売される、リキッドの化粧下地とファンデーションね。これは、いいものなのだぁっ!……何がいいのかというとね、まずこの下地なんだけど、カナボウさんの開発した新成分が入っているのっ!これ一つで、ファンデーションの乗りが良くなるのは当然として、メイク崩れの防止・毛穴カバー・肌の保護保湿・紫外線予防・年齢のいった人なら小皺の改善などのアンチエイジング効果があるのね。そして何よりお伝えしたいことがあるの。コレね?びっくりするくらいメイク崩れを防止してくれるのに、この緑のやつ。メイク落としなんだけれどね?コレを使うと、そんなしっかりメイクがあっさり落ちちゃうわけなのね?びぃーっくりでしょっ?私はびっくりしたんだよぅ!」


 徳川は台本やカンペもなしに、大袈裟なくらい身振り手振りを加えてカメラに向かって話し続けている。


「もちろんっ!こっちの化粧落としにも、さっき言った新成分が入ってんのね?値段もお手頃で……」


 急に徳川が数秒黙る。


「こんだけっ!これは買いじゃないか!?」


 多分、編集ではここに化粧品の値段が画面に表示されるのだろう。それこそ、深夜の通販番組みたいに。


「分かってる。……分かってるよぉ!なかなか、言葉だけじゃ伝わらないよね?ね?さぁあーて。じゃあ、ここからが本番です。実際に、試してみよう!……というわけで、ゲストの方の登場ですっ!私のお友達で、昔からゲーム実況をHais intoに上げている、知る人ぞ知る有名実況者っ!ブルーさん、でーすっ!」


 紹介はされたものの、アヲちゃんは動かない。耳から鼻の辺りまで真っ赤にさせて、眼鏡を臥せて目を閉じている。

 徳川は画面外のアヲちゃんに向けていた手を降ろした。


「はい、編集点いちー。……お願いっ!ブルーさん!出てきてっ!」


 両手を合わせて、彼女はアヲちゃんに向けて頼み込んだ。


「む……、りで……、す」


 真一文字に結ばれたのアヲちゃんの口から、そんな言葉が出てくる。


「そこを何とかっ!じゃあ、そうだねえ。うーん、……配信者として紹介しないからっ!…………ダメ?」


 上目使い。巷の男たちだったら二つ返事になるだろう。


「……………………」


 アヲちゃんは返事が出来ずにいる。悩んでいるのだろうか。それとも、困っているのだろうか。判断がつかない。


「アヲちゃん、出なさい。そうしないと、私が出ることになりそうじゃない。そういうの、私、面倒だから。貴女が出なさい。……貴女の、ためよ」


 びくり、と花束さんの厳しい声でアヲちゃんは身体を揺らす。

 それにしても、アヲちゃんのことになると花束さんは厳しい。怖いくらいだ。ここは、俺は助け舟を……


「ユーリ君は黙っていなさい」


 船は錨を上げることすら許されなかった。俺が口を開く前に、花束さんはこちらも見ずに俺を制止する。

 アヲちゃん万事窮す。俺は恐怖に震える君を、残念ながら助けることはできない。


「で、でも……、顔……、わた、し……、出した、こと、な、なくて……」


 今にも泣き出しそうな声で、アヲちゃんは断りの言葉を少しずつ紡ぐ。


「じゃあ、良い機会じゃない?素人の私に、友達の私に、そんな辛いことをさせるの?」


 ひどい言葉だ。脅迫ですらある。

 そんな花束さんの声にまた、アヲちゃんの身体が震えた。すぐさま、彼女は首を細かく横に往復させる。


「じゃあ出なさい」


 温度も感じない花束さんの追撃。


 アヲちゃんがゆっくりと、首を縦に降ろした。


「いいのっ!?やったぁあー!じゃあ、紹介からもう一回?それとも、そのままでもいい?」


「そ、そのまま……、で、い、……いいから」


 花束さんの隣にいたアヲちゃんが、ゆっくりとカメラの前に現れる。


「ありがとうっ!さすが私の友達ぃ!私、泣きそうなくらい嬉しいよ。じゃあ、ここに座ってね?私が、ハイッて言ったら、撮影再開の合図ね?じゃあいくよ?……ハイッ!みなさーん!こちらがブルーさんでーす!パチパチパチぃー!」


 ちょこん、と徳川の隣に座ったアヲちゃんが、ぺこり!とエクスクラメーションマークが付きそうなくらいの勢いで、頭を下げた。ゴンッと鈍い音。テーブルの上の化粧品が少し揺れた。


「~~~~~~ッ!」


 面を上げたアヲちゃんが、両手で額を押さえる。顔を赤らめて、眼鏡の奥は涙目になっていた。

 テーブルに頭をぶつけた彼女を、ちょっと可愛い、と俺は思ってしまう。


 コホンッ、と花束さんから俺を注意するような咳払いがあがった。


「……やり直しぃー。ブルーさん、大丈夫だからね?緊張しないでね?」


 頷くアヲちゃん。居住まいを正して、彼女は膝に手を置いた。


「……か、カット、……して、ね?」


「うんうん、大丈夫だよぉ。ケガはない?」


 コクリ、とアヲちゃん。


「じゃあ、またハイッからね?……ハイッ!みなさん、お待ちかねっ!こちらが私の大親友の、ブルーさん、でぇえーすっ!」

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