日常の②-7『撮影準備』

 やっとイエヤスの部屋に辿り着くことができた。エレベーターの中であった無言が、俺にはとても長く、険しい時間に感じた。


 隣の花束さんから、マンガで言うならドドドドド、ゴゴゴゴゴという音、もしくは、ざわ……ざわ……という胸騒ぎを禁じえない圧倒的なプレッシャーを感じて、俺はいつ彼女が世界を滅ぼす系の魔法を唱えだすか、気が気でなかった。


 本当に、いつもはおしとやかで上品を女性にしたような、特級の麗女だというのに、俺がちょっと女の子と仲良くしたくらいで、あっさりと魔力と心を取り乱すのだから、竜神であることさえ疑ってしまう。


あの後、しっかりと三人がただの友達であることを表明すると、俺はイエヤスに「よろしくねっ!」とTシャツからだらしなく伸ばしていた手を握られた。

 彼女の男性との距離感がそうなのだろうから不可抗力だというのに、花束さんにはそれも気に障ったようだった。


 いや、俺も拒否はしなかったけれども。


 彼女はまだ怒りを静めていない。俺は確信している。


「徳ちゃん、ってアヲちゃんが言ってましたけど、もしかしてそれが本名なんですか?」


 と俺は挨拶を済ませてから聞いた。


「まあ、そんな感じかなっ!ネットで検索すれば分かることだから言っちゃうけどね、『戦国時代』はねえ、メンバーの苗字からハンドルネームをとったの!私の苗字が徳川だからあ、アヲちゃんは徳ちゃんって呼んでくれてるのね?で、ノブナガは織田、ミツヒデは明智って苗字なんだよっ」


 死んだヒデヨシのことを、イエヤス……、いや、徳川は紹介しなかった。きっと羽柴……じゃねえ、豊臣だったのだろう。


 そんな話をしながらエレベーターに向かってマンションの入り口を通り過ぎる途中のことだった。このマンションを所有している男性、と徳川にそう聞いたのだが、マネージャーと呼ばれたスーツ姿の壮年の男性と挨拶を交わした。

 だけれど、部屋に着いた今、ほとんど彼のことは頭に残っていない。たしか、上杉、という名前だったか。


 俺は彼に親近感を得た。きっとお互いそうなんだろうが、何たってもう容姿を覚えていないぐらい、なんの特徴もないスーツの男性だった。


 どちらかというと俺は、


「マネージャぁあ!もう動画撮ってアップしていいよね?ほら、あのスポンサーの化粧品会社の商品紹介動画っ!ねー、……いいよねえ!?」


 と、一週間前にメンバーが死んだというのに、動画撮影を再開しようとするイエヤスに驚いた。


 答えを渋る上杉に、徳川が口をへの字にして、


「じゃあ、アップしないで保存しておくけどさあっ!違約金発生しても知らないかんねっ!」


 と吐き捨て、ぷいっとエレベーターに乗り込む彼女は、無邪気というか、とても幼い印象を俺たちに与えた。


 これで年齢が二十二で、俺たちよりも四歳も年上だというのだから、配信者とは恐ろしいものである。


 まあ、彼女の動画を観るのが若年層であることも関係しているのだろう。


 彼女がこの仕事をいつまで続けるのかは分からないが、こう有名になってはいつの日か、こんな歳になっても配信続けて、とか、まだやってたんだ、とか、ローガイ、なんていう心ない誹謗中傷を受けることもあるかもしれない。


 テレビの中で、大御所、と呼ばれる人々がそうであるように。


 その時に、彼女はどうするのだろう。やめるのか、しがみつくのか。それこそ芸能人みたいに、副業に手を出すのもいいかもしれないな、なんて、俺はそんなことを気にしていた。


「汚くてごめんねえっ!この階の部屋、二部屋使っていいって言われてるからさ。終わったら、案内するからねっ」


 そんな俺の余計なお世話なぞ当然知らず、徳川はずっとテンションが高い。最上階でエレベーターを降りてすぐの部屋の玄関の扉に掌をあてる。機械音がピッと短く響き、彼女はドアノブを、がちゃり、と回す。


 指紋認証なのだろうか。

 これでいよいよ、俺のヒデヨシ拉致説はしっかりと否定されたな、と場違いながらも思ってしまった。


 そして中に入ってちょっと広めの廊下を進んだら、それ以上に場違いな場所に俺たちは案内されたのだった。


 5LDKという、初めて耳にする間取り。

 そのリビングに徳川を先頭に案内されたのだが、吹き抜けになったダイニングも合わせて二十畳ほどはありそうな洋室には、カメラ数台や照明、音響機器やマイクなどの撮影機材がドヤ顔でもしてそうな勢いで、仁王立ちしている。


 いったいこの部屋の玄関から、どうやってこの機材を搬入したのだろうか。そんな疑問すら、ビックリし過ぎて浮かんでこなかった。


 廊下は遠慮でもしていたかのように比較的普通だったのに、高層マンションだとは思っていたが、部屋の天井も高く、あいだの空間にもう二部屋ぐらい造れそう。


 俺のアパートがすっぽり納まるんじゃないだろうか、これ。


「え?……徳ちゃん。これから、なに、するの?」


 青いシャツを神経質そうに両手で触りながら、アヲちゃんが尋ねる。


「え?そりゃ、さっきマネージャーに言った通りだよ?アヲちゃんをゲストに、お化粧実践動画に決まってるじゃんっ!」


 当たり前じゃない、とでも言うように平然と、振り返った徳川が告げる。


「……え?」


「そっちの美人さんも、どう?」


 驚き絶句するアヲちゃんをよそに、すでに徳川のターゲットは移っていた。


「丁重にお断りさせていただきます」


 花束さん、即答にもほどがある。美人、ぐらいで断ったぞ。

 その答えに、徳川は銀髪を震えさせて、本当に惜しそうに


「んー、残念っ!再生数が稼げると思ったんだけどなぁあー……。花ちゃんをサムネイルにしたら、軽く200はいくよ、絶対。ねえー、だめえー?」


 と、諦めない。


 ちなみにサムネイル、とは観たい動画を選ぶ際に視聴者が選びやすいよう、写真のように紹介されている画像のことで、そこをクリックすると動画が始まるようになっている。

 200というのは多分、再生数のことだろう。相手は有名配信者だ。200回ではもちろんない。200万回である。


 ひとつの動画に広告を二つ挟むとして、その広告が一回再生されるごとに0.3円の収入になるとする。

 え?200万回再生されたら、単純計算でいくらの収入?広告をもっと挟んだとしたら?


 配信者って……、美人ってすごい。


「ダメです」


 竜神は頑固だった。さすが一族の長。日本人とはいえ、イエスマンではなかった。いや、イエスウーマンか?

 少しずつだが、魔力の高まりが収まっている気配。

 これは良い傾向では?


「あの……、私、も、ダ……、だめ」


「アヲちゃんに拒否権はありませぇえーん」


「そん、な……。わ、私……、顔なんて、出したこと……」


 無慈悲に出演が決定したアヲちゃんは、顔を全部真っ赤にしてなんだか可愛らしかった。メガネまで紅潮させているんじゃないだろうか。ショートの黒髪が、いや、全身が震えている。

 チワワみてえだな。


 徳川と目が合った。


「え?お、俺も出ていいの!?」


 瞬間、彼女は俺を指差す。


「君はカメラと、機材のチェーック!」


「ですよね」

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