日常の14『弱い者いじめ、なのか?』

「いっててて……、ごめん、ミハルさん。え?なにっ!?」


 ミハルの背中に向かって俺は激しく転んだ。


 俺は彼女にぶつかってはいけないとは咄嗟に思った。しかし、残念ながらあの一瞬では、どんくさい俺にはそれを行動に移すことはできなかった。


 彼女を下敷きに、俺は短い間ミハルに覆いかぶさっていたように思う。ふわふわした翼の感触が、まだ掌に残っている。


 で、今。俺はというと、宙に浮いているわけである。


「………なんで!?」


 はあー、と大きなため息が向こうから聞こえる。そこには、今日の午後に一緒に帰って、はにかみながら連絡先を交換した美女、天童花束がこちらに手を伸ばして立っていた。


「なぜ、と聞きたいのはこっち。……だけど、理解したわ。まさか貴方が選ばれし者だとはね、ユーリ君。なんていうか、本当に久しぶりに予想外の出来事、ということかしらね。……少し、驚いているわ」


 花束さんは先刻別れた時に来ていたスーツから着替えて、Tシャツにカーディガンを羽織って、下は七分のタイトジーンズというラフな格好で、空いた方の手で頭を抱えていた。


 彼女がゆっくりと手を降ろすのに合わせて、俺の身体が下降し、地に足が着く。


「あ、あの、花束さん、これって……?」


「ちょっと、ユーリ君は静かにしていて?私は――――と、いや、ユーリ君にはミハルと名乗ったんだっけ?彼女と、そっちの獣人と話をしなければいけないから」


 そっちの獣人、と言われたライガに花束さんが目を向けると、すでにライガの変身魔法は解け、軽鎧を身につけた狐耳の生えた彼が抜剣している。


 ……はずだった。


 するり、と黒い影がライガの背後から前に抜けた、と思ったら、ライガの剣はすでにその手の中から消えていた。


「………物騒な真似は、この家の主として許すことは出来ませんな」


 いつの間にか、テーブルの前にいたはずの老人が花束さんの隣にいて、その手には先程ライガが手に持っていたであろう剣が収まっている。


 くっ、と悔しそうなライガの呻きが部屋に響く。


「おじいちゃん、ご苦労さま。さて、ミハル。偉そうにしゃべるのが面倒くさいと思っていたので丁度いい。聞いての通り、私はこちらで、天童花束と名乗っています。覚えているか分かりませんが、――――は、遠野善喜と名乗っていて、数十年前にこちらの世界に、記憶を有したまま転生しました。戦中、と言って伝わるか分かりませんが、そんな時代に転生させるなんて、まったく罪作りな魔法でしたね」


「そんな……、やっぱり師匠の禁呪は未完成だったの………?」


「悔しがるフリをしながら魔力を練るのをおやめなさい。どうせ勝ち目がないのは、貴方が一番よく理解しているでしょう?そちらの獣人は初めましてかしら?お名前は?」


 静かに流れる清流のように、花束さんは目をライガに移す。


「……ザオウ・ムンバ・ライガン」


「ああ、ライガ騎士団か。以前、団長にはとてもお世話になりましたが、血縁でしょうか?……そう敵意を向けないで下さい。ユーリ君が出てきた時点で、こちらから貴方達をどうこうしようという気はすでにありません」


 花束さんの言葉に、ミハルが意を決したように口を開いた。


「そっちにその気がなくても、こっちは自分の世界に戻らなければならないのよっ!」


 立ち上がったミハルがそう言うと、辺りの空気が渦巻き、ミハルの目の前に蜃気楼のような歪みが発生する。その歪みに向かって彼女が手を伸ばした時だった。


「だから無駄だって言ったでしょう?」


 そう、花束さんが呟いた。それだけだ。


 それだけで、熱を帯び始めていたミハルの眼前の歪みが小さく収束して消えてしまった。


「いくら愚かなプラテア族でも、この戦力差を理解できないほど愚かではないと思いたかったのですが……」


「さっきから……、一族を侮辱するなっ!」


 吠えるように叫びながら、再度ミハルが両手を挙げた瞬間だった。


「では侮られないよう立ち回りなさい。ただ飛べるだけの無能が。頭も回らないようね。死にたいの?」


 俺は目で追うことが出来なかった。


 偉そうに話さなくて済む、と言っていたけれど、先ほどにも増して偉そうになってミハルにお説教をしていたはずの花束さんが、俺の視界から消えたのだ。

 そして静かに、柔らかそうな唇から放たれた恐ろしい言葉は、ミハルの背後から囁かれていた。


 その手には、ライガが持っていた剣。ミハルの背後から彼女の首元に、それはあてられていた。


 なんて酷い状況。なんて無力。そしてなんて可哀想な魔法使い。俺だったら耐えられない。


 いや、耐えられないのはミハルも同じだった。


「……う、うぅ。ぐすっ……」


「え?なに……?」


 あーあ、泣ーかした。


「嘘でしょう?……仮にも私に禁呪を放った大魔法使い様ともあろう者が、これくらいで泣かないでよ」


 大魔法使いだか何だか知らないが、見た目は幼い女の子だ。泣いているミハルの方が、見た目年齢から勘案しても俺には自然に見える。


 まあきっと、そうじゃない事情が異世界人の間にはあるのだろうけど。


「うぅうう……、ふぇえええ………」


「ちょっと、泣かないでってば。まるで私が貴方をイジメてるみたいじゃない。………ねえ、ユーリ君もいるんだからやめてよ。ちょっとってば……」


 ミハルは泣き止まない。


 すでに花束さんが持っていた剣は降ろされ、ライガに向かって放り投げられていた。

 ライガはそれを上手くキャッチして、懐の鞘にそれを収める。


 花束さんは泣いているミハルを見てオロオロ取り乱していた。


 もう誰にも戦意はないのだろう。


 ついに、花束さんが嘆息しながら遠野善喜と紹介された老人に、


「おじいちゃん」


 と声を掛けた。


「なんじゃ花束?わしはてっきり全員、殺してしまうのかと思っていたが……?」


 静かにしていると思ったら、急にこんな不穏なことを言いだす。なんか物騒だな、このじいさん。


「それは貴方の願望?……禁止です。命令」


「ではどうする?」


 花束さんは周囲を見回した。


 グーにした手を涙袋にあて泣きじゃくる、翼の生えた少女。


 鎧を身に着けていながら、もう抜剣する意思もなく立ち尽くす獣人。


 ただ指示を待つ老人。


 そしてボーっとしている俺。


 俺を見て、彼女が微かに浮かべた笑みを俺は見逃さなかった。


「興が削がれました。……夕飯にしましょう。全員分、すぐに用意してちょうだい」


「はいよ。おじいちゃん、了解じゃ」

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