日常の12『竜×晩ご飯×昔話』

「お味噌汁とお米………ですか?」


 夕食は?と聞かれたから花束は答えたのだが、なるほど家の中、というか邸内と言う方が正しいだろう、豪邸の中に入って、先程の遠野善喜の困惑した表情に納得した。

 来賓用のダイニング、と言われて案内された部屋は、数メートルはあるであろう赤いクロスのかけられたテーブルと、高い天井から釣り下がる眩しいくらいの大きなシャンデリアがまず目に入る、とんでもないところだった。


「そりゃあ、ここで質素な和食は食べないか」


 と入口で静かに花束が呟いた声は、向こうの壁までは絶対に届かないだろう。

 広い部屋には絨毯が敷かれ、貧乏性、というか、現在進行形で貧乏な彼女には、それを踏むことも憚られ、ドアを開けたまま部屋に入れないでいる。

 もしや、右手に見えるレンガ造りのアレは、暖炉だろうか。


「さて、どうしたものか……」


 途方に暮れる花束の背後から、遠野善喜の気配が近づいてくる。


「花束様。差支えなければ、そちらのテーブルにお掛けください。夕食ができましたので」


「ふむ……」


 はるか昔の威厳ある唸り声を出してみたものの、まず靴を履いたまま家の中に入ったのも初めての花束である。


「善喜おじいちゃん。悪いんだけど、私はとっても貧ぼ…、いや、あまり裕福ではない暮らしをしてきたの」


「は……?」


「とりあえず、外での設定はそのままで。極力、念話も使わず過ごすことにしよう。ただの人間の、祖父と孫の関係だ。言葉づかいも気をつけよ。これは命令だ」


「仰せのまま……、あ。……花束や、おじいちゃん了解じゃ」


 片手に和食の膳のようなものを持ったまま、善喜は右手の親指を立てて片目をつぶった。


 こういう所だ。さっきの由利本荘との蜜月の時間を邪魔しそうになった時もそう。昔から彼は余計なことをする。こちらの世界に転生することになったのも、それが原因だろうに。


「まあ、いいでしょう。おじいちゃん、続きだけれど。……私ね、家族と呼べる人達はみんな死んでしまって、なんて言うか……。違うわね。私は……、とても、慎ましい暮らしをしていたの。だから、こんな靴のまま家の中を歩くような、客間にこんな大きなシャンデリアと暖炉があるような豪邸に入ったのも初めてで、正直混乱してるのね?恥ずかしいというか、なんというか。急な環境の変化に慣れていない、というか、不安というか。本当に、こんなところにいていいのかなって、……私だけ、こんな思いしてもいいのかなって、思ってしまうの」


 少しの間を置いてから、ちょっとごめんよ、と善喜は花束を追い越して部屋に入る。

 大きな長いテーブルに一汁三菜と湯気を放つご飯の乗った膳を置いてから、胸に手を置いて振り返った。まるで優雅なダンスを踊るかのような所作で竜神に向かって、柔らかな表情を向けた。


「……花束や。おじいちゃんはな、もう二度と、わしの敬愛する王に会えることなど、ないと思っていた」


 遠い日々に息を吹き掛けるような言葉。


「この世界に転生してすぐの頃は、前世の尊き竜族の力もそのままじゃったものだから、周りに怖れられたりもしてきた。それでも、おじいちゃんはこの世界で生きていかなければならなかった」


 面を上げよ、と命令しても良かったが、花束は善喜の話に耳を傾けることにした。


「しかし竜神の加護もなく、魔素を使い果たせばこの世界ではただの力持ちの少々頑丈な人間。……そんなただの人間が、生まれて初めて、いや、生まれ変わって初めてじゃな。自分の人生をどのようなものとしていくか決めていかなければならなくなったんじゃ。王の命令に従うだけの人生は、もう戻って来ないからの。……そこで、おじいちゃんはやはり性(さが)だったのじゃろう。他人に仕える仕事をすることに決めた」


 これは人間の感情だ、と花束は思う。憐みでも同情でもない。この数十年を生きた老人に対する畏敬。その思いが、彼女の目頭に熱を帯びさせる。


「様々な人間に仕えた。たくさんの人間の人生に触れてきた。数々の出会いと別れを、この短いようで長かった、一世紀にも及ぶ人生のうちに繰り返した。と言っても元は人間の体躯。足腰が弱くなって仕事もできなくなり、転生したこの国に帰ってきて、皺だらけの名も無き老人として、あとは孤独に死ぬだけだと思っておった。そうしたらどうじゃ。今日、目が覚めたら、はるか昔に失った魔素が戻り、身体も若返り、我が一族の、それも我が主の存在を感じるではないか。久しぶりに地に足を着け、久しぶりに転移魔法を使用した。この世界に生まれてくる以前から、おじいちゃんが本当に、心の底から仕えたいと願ってやまなかった王に、今日、また、出会えたんじゃ」


 今日の朝の隙のない視線とは異なる、優しさと温もりを感じる皺だらけの双眸が、花束を見据える。


 そこに彼女は、底の見えない、はるか昔に離ればなれになってしまった時と変わらぬ、いや、それ以上の深い忠誠心を見た。


「貧富の差?この主従を前にして、そのような物は無価値と断じさせてもらいたい。その上で、たった一つ、わしは花束にお願いしたいことがある。いいかの?」


 他人のこんな表情を見るのは久しぶりだな、と頬を伝う涙を感じながら、花束は頷く。そう。これは、家族の距離。自分が失ってしまった家族の空間。失ってしまったと思っていた、家族との会話だ。


 孤独だけが隣にいた。

 もう戻っては来ないと思っていた。


「………花束や、わしを本当のおじいちゃんだと思って、この家でなんの気兼ねもなく、自由に振る舞っておくれ」


 至上の従者は、主の心の底からの願いを汲み取り、微笑んで、そう家族に伝えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る