日常の11『帰宅』

 天童花束さんの家には驚いた。


 たしか入学式前に初めて会った時には、小さなアパートで独り暮らし、と言っていたように記憶していたのだが、帰路の先にあった家は市内でも有数の一等地にあって、その中でも飛びぬけて大きな豪邸だった。


 俺の記憶違いだったのだろうか。花束さんに聞くと、


「あのあと、色々あったの……」


 とだけ困ったような表情をしながら言われたので、それ以上は深くは追及しなかった。というか、ヘタレな俺には深くその話題を掘り下げて聞く事なんて出来なかった。


 さっき入学式の会場にいた彼女のお祖父ちゃんが、門から遠くに見える広そうな豪奢な玄関にポツンと立っているのがかろうじて見えていた。


 俺は明日から始まる予定の午前の講義が彼女と一緒だったので、努めて自然に、とは言ったものの初めての経験だったものだから、かなり緊張しながら、


「あ、明日から、さ。い、一緒の講義だから、色々と、お、教えてもらえたらいいなあー、なんて、あの……、えっと、だから………」


 あえて言わせてもらえば、努めて自然、とは自身の評価であって、凡人である俺が絶世の麗女に対して、何も意識せずいつも通り振る舞えるはずなどないのである。


 そう、ただの言い訳だ。


 ド緊張している俺から何か察してか、花束さんが急に俯いて頬を微かに染めながら、


「そ、そうね。いろいろと事件もあったようだし、もしユーリ君が迷惑じゃなかったら………、待ち合わせしたりとか、迎えに来てくれたりとか、あるかもしれないし……、だから……、連絡先を、教えとく」


「お、おぅ……」


 教えとく、の惑星すら破壊できるんじゃないかってくらいの可愛さに、思わず出た俺の返事はまるで呻き声のようだった。


 彼女が言った『ユーリ君』だが、俺の昔からのニックネームだ。


 帰りの道中に二人でそんな話題になったわけだが、繁華街の人混みの中で彼女に「じゃあ、私もユーリ君って呼んでいい?」と上目使いに聞かれた時は、そのまま心臓発作で死んでしまっても本望だと俺は思った。


 そして誰かが救急車を呼んで、花束さんがAEDを持って来て心肺蘇生してくれる妄想までするくらいには、意識がお花畑に連れ去られた。


 いや、まあ実際に今日、死にかけてはいるのだけれども。


 とにかくこうして、俺は彼女の連絡先をそつなく手に入れて、自分のアパートへの帰路についた。


 いや、そつなく、は嘘だけれど。いいじゃないか、少し強がっても。


 で、心を浮つかせながら帰っていた俺の足取りは、家まで着く頃には、トレーニング器具でも脚部に装着しているんじゃないかってくらい重くなっていた。


「ミハルさんとライガさん、急に留守番させちゃったな……」


 急いでいたとはいえ、非常識なことをしてしまった。相手は放浪の異世界人なのだ。こちらの世界のことなど何も知らないだろうし、そんな困っている二人をこともあろうに俺は放置してしまった。


 自宅の前まで来る。住宅街のどこかから、夕飯の香りが鼻孔をくすぐった。


 意を決して、俺はドアノブに手を掛けたその時だった。


「ああ、勇者様。おかえりなさい」


「イヤァオッ!?」


 背後からイケメンに声をかけられて俺はクネクネと後ずさるほど驚いた。


「申し訳ありません。そんなに驚くとは……」


 すまなそうに、イケメンが頭を掻いている。


「あ、いえいえ。俺もオーバーリアクションでした。すみません。……ところで、ライガさんはどうして外に?」


 俺の問いに、ライガは手に持っていたビニール袋をがさりと持ち上げる。


「ミハル様が、ここに住まわせていただくためには、勇者様の胃袋を掴むしかありません!と、その……お料理を急に始められまして。何でもカレーライスを作るそうで。カレー粉と、その他もろもろ買ってきました」


「ああ、そうだったんですか……」


 この時点で俺はツッコミが三点ほど浮かんだ。


 一、なぜカレーライスを異世界人が知っているのか


 二、どうやってカレー粉その他もろもろを入手する方法を知ったのか


 三、金銭はどうやって入手したのか


 ここでそれを聞いても良かったが、異世界の天使がよりにもよって料理をしていると聞いたものだから、俺は速やかに部屋に入らなければならないと判断した。

 イケメンに勇者様、と呼ばれるのも誰かが見ていたらと思うと気恥ずかしいのもある。


 ドアを開ける。住み始めたばかりだが記憶は確かだ。玄関先が台所になっているはずだ、俺のアパートは。


「あ、勇者様。おかえりなさいませ」


 幼気な黒髪少女がエプロン姿で振り返り微笑む。それだけで、俺は異世界人たちに聞かなければならないことがあることを一瞬、忘れてしまった。


 偏見があるわけではないが、俺に小児性愛の趣味はない。しかし、それをしっかりと再確認しなければならないくらい、台所で浮かびながら鍋と向かい合っている彼女には、ほっこりと気持ちを優しくさせるような、それでいて後ろからぎゅっと抱きしめてあげたくなるような柔らかな雰囲気が発せられていた。


「ミハル様、無邪気が過ぎます。勇者様が帰って来られるのは魔力探知で分かっておいででしたでしょう?魔法を使用していては、勇者様も驚きますし、ドアの外から誰かに見られたらどうするのです?」


 ガチャンッ、と慌てたようなドアの音を後ろでさせながら、ライガが彼女をたしなめた。


「あ、そっか。あ、……いや、そ、そうですね。迂闊でした。つい、夢中になってしまって……」


 言いながら、彼女の気持ちを表すようにミハルがゆっくりと下降する。

 やっぱ動くんだ、あの白い翼。


「つ、次から気をつけてもらえれば、だ、大丈夫ですよ……?」


 何が大丈夫なのか分からないが、俺は明らかに落ち込んでしまったミハルをフォローするために言った。

 とりあえず、三人で食卓を囲んでから、いろいろと聞くことにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る