日常の2『花束』

 天童花束(てんどうはなたば)はどこまでも『普通』に憧れている。


 その実、彼女は容姿端麗、眉目秀麗、品行方正、純情可憐でどこからどう見ても完璧少女だった。


 彼女の人生において『普通』でいることは、とても困難なことだった。


 特に家で机に向かわずとも、学業のみならずあらゆる物事を理解することができた。軽い気持ちで高校で受けた大手予備校の大学模試で、全国1位を取ったこともある。


 しかし彼女は『普通』でいたかったので、個人情報を盾に教師に口止めし、以来模試を受けるのをやめた。


 学業を抜きにしても、彼女の人生は普通とは言い難かった。


 両親を突然の交通事故で亡くし、幼かった彼女は母方の祖父母に育てられた。父と母を同時に亡くした悲しみに打ちひしがれていた幼い彼女に、祖父母は根気強く、深い愛情をもって接してくれた。


 だんだんと祖父母との距離が縮まり、いつの間にか家で過ごす時の定位置は祖父の膝の上になった。


 小学校の授業参観には、いつも白髪の祖母が来た。それは他に並ぶ保護者の面々と比べれば『普通』ではなかったけれど、彼女には心底嬉しい思い出のひとつだった。


 ちょっと『普通』とは違うけれど、温かな『普通』の家庭。そんな温かさの中で、彼女は努めて自身の『普通』を装い、成長していった。


 彼女が『普通』の大学に進学が決まった高校三年生の冬に、そんな祖父母は立て続けに他界した。


 もう、彼女には頼れる親戚はいなかった。


 目を泣き腫らしながら、忙しなく二人の葬儀を終えた後、彼女は人生の岐路に立たされる。

 大学進学を辞退して、就職するという選択もあった。


 しかし彼女には『普通』の学校の先生になりたい、という小さい頃からの夢もあった。


 金銭面できっと苦しむだろうという確信的な予見もあった。それでも彼女はアルバイトをしながら一人暮らしをして、大学に通うという道を選んだのだった。


 どうして、こんなにも『普通』に拘ってしまうのだろう、と彼女は何度も考えたことがある。


 こんな事を言うと反感を買いそうだけれど、ないものねだり、という表現が一番近い、と彼女の思索はいつもそこに至る。


 思い至って、その近似表現と自身の感情の違いに困惑する。


 そんな陳腐な言葉で表せるものではない、と。


 もっと自身の根幹。天空へ飛翔せんとする翼をたたみ、圧倒的に蹂躙せんとする爪を隠し、噴出する火炎をそっと押し込め口をつぐむような、そんな感覚。そんな、イメージ。


 正直に言うと分からないのだから仕方がない。無理に自身を納得させないと、この『普通』に対する謎の指向性に対して、今にも飲み込まれてしまいそうな畏れさえ感じてしまっているのだから。


 そんな彼女が、入学式前の新入生への説明会で出会った青年が、由利本荘和平ゆりほんじょうかずひらだった。


 大きな体育館に円形のテーブルがいくつも配置された会場の中で、由利本荘和平は彼女の隣に座っていたようだった。逆の隣には、いや、その時に由利本荘和平の他に誰がいたかなんて、彼女は覚えていない。


 彼女が彼に気が付いたのは説明会が始まってからのことだった。


 というのも、彼女は奨学金の手続きの用紙を書くのに集中していたので、あとから隣に座ってきた彼に声をかけられて、やっと気が付いたのだ。


「同じ教育学部なんですね。よろしくお願いします」


 と話しかけられて隣を見た瞬間、彼女は彼から目が離せなくなった。


 彼はどこまでも『普通』だった。


 会話をしていて感じたのは、その思考速度。『普通』。


 仕草、挙動、佇まい、容姿、服装。その全てが彼女の理想的『普通』。


 特徴がないわけではない。それは気付く者にしか気付くことのできない『普通』さ。


 一般的だが普遍的ではない、言い表すことの難しい、『普通』。


 目が離せなかった。講義選択の方法がアナウンスされていたが、彼女にはそれが一つも耳に入らなかった。


 圧倒的な『普通』の前に、彼女は感動すら覚えていた。

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