異世界人がやって来る!~異世界に行きそびれた凡人の俺(勇者?)と彼女たちの日常~

東北本線

第一話『俺と異世界人』

日常の1『異世界から来ました』

 その日、彼女は幸せだった。


 朝は目覚まし時計なしに起きることが出来たし、彼女の母が朝食に作ってくれたのは、大好きなベーコン入りオムレツだった。


 肌の調子が良い気がするし、もちろん天気は快晴。


 玄関を出てすぐに、同じ高校の気になっている男の子から『今日の1限目ってなんだっけ?』というメールも届いた。


 端末を確認した瞬間に、心地よい鼓動の高鳴りを感じる。ウキウキと歩きながら返事を考えていた。


 小鳥が祝福するかのように鳴いている。


 晴れた日の乾いたアスファルトの匂い。


 軽い足取り。見つめる携帯端末。


 遠くに聞こえる車のエンジン音。


 そう。車が近付いているのに、彼女は気が付かない。いつもの横断歩道の信号が、赤であることさえも。


 浮かれていた、のかもしれない。


「危ないっ!」


 すぐ近く、ほとんど耳元で叫ばれたんじゃないかと思うほど。うるさいなあ、と彼女が思うのと、けたたましい車のクラクションが空気を切り裂くように響き渡ったのはほぼ同時。


 背中に、衝撃。


 無機物ではない。

 人の手だ。


 突き飛ばされた。


 まるでスローモーション。


 向こうに見える桜の木。


 流れる白桃色は美しく。


 慣性で反転。突き飛ばした相手が視認される。


 男の人だった。それともう一人。

 いやいや、そんなわけないだろう。

 彼女は思った。


 白い翼の生えた少女だなんて、そんな…


 お迎え来られちゃってんじゃん、この人、と。


「……天使?」


 それだけ口にして。彼女はしたたか後頭部を歩道のアスファルトにぶつけ、意識を失ったのだった。








 整理しよう。いや、ホント整理させてくれ、頭の中を。


 いや、あえて整理しないで話すと、


 今日は大学の入学式だったのに朝から歩きスマホの女子高生がキュートだったもんで見蕩れてたら彼女が横断歩道を赤信号なのに気が付かないで渡って行ってトラックが突っ込んできて運転手も余所見してたみたいで慌てて俺も駆け出して悪いと思いつつも命には替えられないから女子高生を思いっきり押し退けたんだけど、ニュートン先生もそらそうなるわって言うだろうが今度は俺がトラックの前に来るわけで、ああ死ぬんだって思ったはずなのに気が付いたら純白の翼が生えた黒髪少女と茶色い狐耳の生えた背が高い鎧を身にまとったイケメンと三人で俺のアパートに…、あ、そもそも三人って数え方で合ってるんだろうか。聞くに聞けない。


 という訳の分からない文字の羅列になってしまう。

 まず死にかけたところから詳しく思い出そう。


「死ぬだろ、絶対っ!」


 と、目をつぶって叫んだのを覚えている。トラックを目の前にして、俺は走馬灯のように人生を振り返っていた。


 振り返ってがっかりしたんだ。


 俺ってなんて平凡な人生を歩んできてしまったんだろう。普通の家庭で育って、ありきたりな学校生活を送って。なんとなく大学進学して、一人暮らしを始めて、さあ入学式に行こうかな、なんて朝にこれだ。


 何もしてこなかった。何も残せなかった。

 両親も悲しむだろう。突き飛ばした女の子は無事だったろうか。


 そういや、車に轢かれて異世界に召喚されたり転生したりという話を最近マンガで読んだ。俺もそういう事になったりしないかな。神様みたいなのが出てきたりしてさ。間違っちゃった、とか言ってさ。そして、特別な力を手に入れて異世界に行くわけ。異世界はこっちの世界と比べて、かなり文明が遅れてたりしてさ。そんで、こっちの世界の知識で大成功を収めちゃったりするんだ。なんて言うんだっけ?そうそう、無双無双。


 そんな夢想の最中に、こほん、と女の子の声で咳払いが聞こえた。


「あの……、よろしいでしょうか?」


 そういえば、俺まだ轢かれないのか?あまりに強い衝撃過ぎて、もう死んでしまったのかな。いや、まずは幽体離脱とかしちゃったりして。ぐしゃぐしゃになった見るも無残な自分を客観的に見れたりしてさ。それはそれで、目、開けたくないな……


 待て。頬がちくちくする。俺はいま、どこにいるんだ?


「まずは、目を開けていただきたいのですけど……」


「あ、は、はい」


 俺は言われるがまま、ゆっくりと目を開けた。


 天使。

 マジ天使。


「うわ、かわいぃ……」


 俺は思わず呟く。最後の方は声が上ずっていた。

 すると、言われた当の本人は少し頬を赤らめて俯いてしまった。


 可愛い、の詳細を述べることを許していただきたい。


 彼女は背中まである黒髪ストレート、正座しているから身長は分からないが高くはない。ていうか小さい。伏せられたつぶらな瞳は吸い込まれてしまいそう。汚れのない真っ白な肌。透明感という言葉では片づけられない。白いローブに包まれた小柄で華奢そうな身体は、なんだか守ってあげたくなるような幼い女の子。


 そうか、俺は死んで天使に逢えたんだな。

 焦点が彼女から外れる。


「って、俺ん家じゃん」


 そう。そこはつい先日から一人暮らしを開始した六畳一間の俺ん家の居間だった。昨日買った『ちゃぶ台』と呼ぶことにした小さな丸いテーブルが俺の隣で、浮き足だってんじゃねえよ、と俺を見返している。

 その奥には開けそびれた段ボールが二箱、寂しそうに重なっていた。


 ああ、自分の家で横になっていたのか、俺は。


 いやいや、さっきまで俺はトラックに轢かれるとこだったんだが。


 「――――様、勇者様は混乱しておられるようです」


 その声に目を向けると、イケメンがいた。

 なんだ、ただのイケメンか。そうかそうか。

 獣の耳が生えているイケメンか。


「え?み、耳っ!」


 俺は慌てて起き上がり、後ずさった。

 狐のような耳が彼の銀髪の頭から生えている。

 コスプレ!?コスプレなのか?

 イケメン細マッチョライトアーマーコスプレ男子が、いったい俺に何の用事があるというのか。


 俺の混乱は極地に達した。


「そのようですね、ライガ」


 イケメンの指摘に天使が応じる。再び俺と彼女の目が合った。


「落ち着いて下さい。私たちは、こちらで言うところの異世界からやって来ました」


 こうして、俺の混乱は限界を超えたのだった。

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