第82話 彼がいない世界なんて


 井戸から綺麗な水を汲み、みんなの待つ家へ入る。


 キッチンではユミカが料理の下準備をしていた。


「カナは?」


「ちょっと冒険に行くと言っていたわ。十日ほどで戻ると言っていたから、その内お土産を持って帰ってきてくれるんじゃないかしら?」


「そっか」


 相変わらずマイペースなカナと、俺と一緒に居ないと気が済まないユミカ。


「……でもいいのかな? 本当に魔王を倒さなくて?」


 俺は異世界へ来た時に、女神から魔王を倒す力を授かった。

 だが、今の俺は山奥の家で静かにユミカとカナと暮らしている。


「別にいいじゃない、魔王に好き勝手やらせておけば」


 俺を抱きしめて、温かい胸に包んでくれるユミカ。


「魔王が世界を支配すれば、魔王の支配下による平和が訪れる。そして、勝者の魔王は正義となり、ただの王となる。その世界にまた魔王が現れて……その繰り返しで、世界というのは歴史を刻んでいくものよ」


「そうかなぁ」


「むしろ異界から来た私達が好き勝手してはいけないのよ。この世界は争いによって人が住める環境を生み出しているかもしれない。魔王を倒して世界が平和になれば、人口が爆発的に溢れて世界が飢餓に見舞われるかもしれない。人類の更なる開拓で自然が壊されていき、新たな争いが生まれるかもしれない。魔王を倒しても新たな危機が訪れるだけよ」


 地球にいた頃と変わらず、妙に納得感のある屁理屈を述べ続けるユミカ。


「もしかしたら魔王という存在はこの世界にとって必要悪なのかもしれないわね。明確な悪がいない世界になれば、味方に悪意を向けられてしまうことになる。領土争いや、種族の争いを引き起こす引き金になってしまうかもしれないわ」


「じゃあ魔王を倒すなんてやーめた」


「そうよ。あなたはここで私やカナちゃんと一緒にスローライフをしていればいいの」


 俺は腰にぶら下げていた剣を棚に置いて身軽になる。


「この異世界には日本とは違う倫理観がある。私と子作りしても何も問題ではないみたいだし、その子供とも子作りしても不思議じゃないらしいわ」


「おいおい、フジガヤコミュニティの誕生だな」


「そうよ。魔王なんか放っておいて、好き勝手に生きましょう。もう私達を縛るものは何のないわ」


 そう言いながら服を脱ぎ始めるユミカ。

 別に全裸で暮らそうが、この場所に人目など無い。


「じゃあ、私と一緒に楽しくて気持ちの良いスローライフを味わいましょうか」


 おいおい、異世界最高かよ。


 このままユミカと幸せに生きていこう――




 ―――――――




 ―――――




 ―――




「ごめんユミカ……」


「あなたは何も悪くないわ」


「おわっ!?」


 目が覚めたら弓花の顔が目の前にあった。

 どうやら夢を見ていたみたいだな……


 何かを顔にかけたらユミカに怒られたので謝ったのはうっすらと覚えている。


「痛っ」


「こら、あまり激しく動かないの」


 身体に痛みを感じたので驚いてしまった。

 自分の身体を見ると、服は着替えられていて腕には包帯が巻かれており、腰もベッドに固定されている。


「あれ? ここは?」


「病院よ。あなたはトラックに轢かれて今まで気を失っていたの」


「あっー……思い出した」


 そうだ、俺は杉山先輩に突き飛ばされてトラックに轢かれたんだ。


 どうやら俺は生きているようだな。

 そのまま死んで異世界へ飛ばされても不思議ではない状況だったが……


「お兄ちゃん~」


 華菜が泣きながら優しく抱き着いてくる。


「生きてて良かった」


 華菜の頭を撫でながら、命があることにホッとする。


「当たりどころは良かったみたいよ。命に別状はないみたいだし、入院生活も少しで済むかもしれないって。腰をちょっと強打したみたいで、そこが少し心配だけど」


「逃げ切れなくてギリギリ当たった感じだったからな。最後の頑張りが軽症に繋がったのかも」


「そう、まぁ何より無事でよかったわ」


「うん。心配かけてごめん」


「……本当に、心配かけ過ぎよ」


 そう言って、後ろを向いて病室から出て行ってしまう弓花。


「お、おい、弓花」


 起き上がろうとするが、腰が痛いしベッドと繋がれていて立てなかった。


「弓花お姉ちゃん、お兄ちゃんが事故って救急車運ばれたって聞いて、悲しんでたし苦しんでたし本当に辛そうだった。きっと外で泣いてると思う」


「弓花……」


 弓花は俺に泣き顔を見られたくなかったのか、一旦外へ出て行ったみたいだ。


 俺の前では平静を装っていたが、きっと内心はぐちゃぐちゃになっていたはずだ。

 俺も弓花が事故に遭ったなんて聞いたら、取り乱してしまうだろうからな……


「そ、そういえば杉山先輩はどうなったんだ?」


「事故現場で蹲ってたよ。通行人が多かったから、通報も早かったし目撃者もたくさんいたから逃げても無駄な状況だったしね」


 あの人、普通に殺人未遂だよな……

 今後も何をしでかすかわからないから、ちゃんと捕まってくれればいいけど。


「警察やあたしが近づいたら、何を血迷ったか道路へ飛び出そうとしたからあたしが捕まえて地面に押さえつけてた。お兄ちゃんを殺そうとして、現実逃避して許されようなんてさ……あの時が、人生で一番怒ったかも。それぐらいキレて怒りをぶつけちゃった」


 華菜は何をしたのかは話さなかったが、相当杉山先輩に対して怒っていたことが伝わってくる。



「……こほん。さて、これからの入院生活について考えていきましょうか」


 部屋に戻ってきた弓花は目を真っ赤にさせている。

 華菜の言う通り、外で涙を流していたみたいだ。


「毎日見舞いに来てくれそうだな」


「当たり前じゃない。安静にしてなければならず、腰が固定されているあなたには何でも抵抗されずにできそうだしね」


「おいおい、お手柔らかに頼むぞ」


「ええ。最高の入院生活にさせてあげるわ」


 杉山先輩のせいで最悪な事態にはなったが、弓花が本当に俺を想ってくれているのが実感できて、俺はこの人と一生一緒に生きていこうという決断を心の中ですることができた。


 人はいつ死んでもおかしくはないし、今度は弓花が危険な目に遭うかもしれない。

 そう考えると一度きりの人生を、一番好きな人と過ごさないなんて馬鹿げている話だ。


 周りの目とか、誰かが決めたルールとか、社会の秩序とか、そんなものに縛られる必要はない。


 自分が生きていなければ、世界は存在しない。

 なら、生きている限り世界の中心は自分自身だよな。


 異世界の人から見たら、地球だって異世界だ。

 なら、異世界みたいに好き勝手してやろうじゃないか。


 もうきっと、俺は何も迷うことはないだろう――

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