第60話 終わりと始まり


 今日は休日。


 弓花と東京へ遊びに出かける予定だったが、その予定は崩れることに。


 何故なら、俺と弓花がファンであるミスリルのライブの当日券を入手したからだ。

 

 俺と弓花は部屋で一緒に音楽を聴いてテンションを上げつつ、駅近くのスーパーアリーナへと向かった。


「弓花はミスリルのライブって初めてか?」


「中学生の時にお父さんと一緒に名古屋ドームへ見に行ったことがあるわ」


「名古屋ってことは愛知か。わざわざ別の県に行ったのか? けっこう実家から遠そうだぞ」


「……岐阜県民はね、人気ミュージシャンのライブは名古屋ドームまで行くのが恒例なのよ。田舎舐めてるの?」


 弓花に怒られた。

 地方に住んでいる人がライブへ行くのは大変のようだ。


「それにしても……」


 俺は手を繋いでいる弓花を見て、胸が弾む。


「楽しみだな」


「楽しみね」


 俺と弓花は同時に楽しみであることを告げる。

 今までは友達もいなければ、家族も特にライブに興味がなかったので一人で楽しんでいた。


 だが、今は好きな人と、さらには同じアーティストが好きな人と一緒に行くことができる。

 一人でも楽しめていたが、今日は格別な気分だ。


 お揃いのライブTシャツを着て、同じ歌を聴いて、一緒に感動して……


 やはり、喜びや感動を分かち合える人がいるのは最高だな。

 弓花がいてくれて本当に良かった。


「私、ライブ中にメンバーの名前を叫んだりする人が好きじゃないのよ」


「安心しろ、それは俺も同じだから」


「ライブ中は変に周りの人とか気になっちゃうのよね」


「俺だけ気にしてろ」


「はーい。ステージと咲矢のことだけ見てるね」


 会場に入り、指定された席を見つけてバンドの登場を待つことに。


 会場にいるみんながバンドの登場を今か今かと待っていて、期待や興奮に包まれている。


 日常では味わうことのできない非日常な空間に、胸は弾む。


「咲矢、私は今凄く幸せよ」


「俺も同じだ。俺の傍にいてくれてありがとう」


 弓花に抱き着かれると、会場が暗くなって音楽が鳴り始める。



 湧き上がる歓声に応えるかのように、ミスリルが登場して歌い出した。


 開幕から怒涛の名曲ラッシュが続き、俺と弓花は感極まった。


 一緒に身体を揺らしながら、一緒に手を上げて、二人で楽しむ。


 会場に駆け付けた人はざっと四万人近いファンがいるのに、ここには俺と弓花とミスリルしかいないような特別な空間ができていた。


『みんな、目を閉じて!』


 MCでヴォーカルの人は観客に要望を伝えるので、俺と弓花もそれに従う。


『そして、大切な人を思い浮かべてください』


 もちろん、瞼の裏に浮かぶのは弓花だ。


『その状態で次の曲を聴いてください』


 洒落た演出で歌い始めるミスリル。

 そのキザさがカッコよくもあって、俺も弓花も好きなのだ。


 好きな音楽とかは人それぞれであり、十人十色の楽しみ方がある。

 同じバンドが好きでも、自分で歌うのが好きだったりバラードだけが好きだったりと、人と完全に一致することは難しい。


 好きな人にオススメして無理やり聴いてもらっても、心から好きになることは難しい。

 一緒のものを好きになるのは簡単そうに見えてけっこう難しいのだ。


 だが、俺と弓花は他人ではない。

 瓜二つの人間なのだ。


 感性も一緒で趣味嗜好も同じ……


 そんな人と一緒にいたら楽しいに決まっているし、好きなものをわかってくれると幸せな気持ちになれる。


 そりゃ好きになっちゃうわなと改めて納得する。


 弓花は双子であって、理想の女性でもあるのだから――



 ライブは終盤になり、アンコールの要望に応えてミスリルが再登場する。


 流れ始めてくる前奏は、俺が一番好きな曲でありテンションが一気に上がる。


「咲矢! 咲矢!」


 どうやら次の曲は弓花も大好きだったのか、飛び跳ねながら俺の名前を呼んでいる。


 まるで自分の感情を映した鏡のような弓花の姿に、俺は嬉しくなる。


 やっぱり俺は弓花のことが大好きで、弓花と共にこれからも生きたいと願う。


 それが、どんな険しい道であっても弓花となら乗り越えられるような気がしたんだ――



     ▲



 ライブが終わっても俺と弓花はすぐに会場を出ることはなかった。


 歩いて帰ることができるので、急いで電車を利用する必要もない。

 ライブ後の出口は混雑しているので、帰宅集団が散るのを待った。


 ライブ後の会場の余韻を楽しむ。

 ただ静かに手を繋いで、人が去っていくアリーナ席と、誰もいなくなったステージを見つめる。


 客がほとんどいなくなってから俺と弓花は立ち上がった。

 ライブの感想は同じ思いだと分かっているので話し合う必要もない。


 弓花は熱い視線で俺を見つめている。

 俺も弓花を見つめ返す。


 音は耳栓をしているかのように、何も聞こえてこない。

 自分の脳に伝わるのは、繋いでいる弓花の手の感触だけ。


 心が浮ついている。足が地につかない。ほんと、空を飛んでいるみたいだった。


 どの道順で帰ったかは定かではないが、俺と弓花は会場を出ていた。



 外はライブの感想や連れ人との会話に盛りあがった人で溢れている。

 俺と弓花は隠れるように、人通りの少ない会場横の通路へと歩いて行く。


 駅前の夜景は綺麗で、高層ビルの光があちこちに刺している。

 人の声は聞こえなくなり、電車や車の過ぎる音だけが止まずに聞こえてくる。


 誰もいなくなった人目のつかない場所で、俺と弓花は立ち止まった。


 そして、見つめ合う。

 弓花の目は何かを求めていて、俺は何かを欲している。


 音楽で救われたという人は世の中に溢れている。

 あの曲を聞いて努力できて夢を実現できたとか、あの歌詞で絶望から救い出されて前を向けたとか。


 音楽は人を幸福にする。

 正しい道へ誘ってくれる。


 だが、実際にはどうなんだろう。

 ある曲に背中を押されて行動したが大失敗したとか、ある歌詞に共感して選択肢を変えたが、その選択肢は間違いだったとか、そんな音楽による失敗談も光を浴びないだけで無数にあるかもしれない。


 俺はどっちだろうか……

 俺は今、音楽に感化されて行動を起こそうとしている。


 背中を押されて、勇気が溢れて、決断する気力に満ちている。

 きっとこのライブに行かなかったら、こうなるのはもっと先だったと思う。



「弓花……」


 俺は弓花の名前を呼ぶと、弓花も名前を呼んでくれる。


「咲矢……」


 俺が今から取る選択肢は、もしかしたら間違いなのかもしれない。

 SNSで取り上げられ多くの他人から客観的に見れられてしまえば、全否定をされるのかもしれない。


 でもこれが自分が進みたいというか、正しいと思う道だ。

 たとえ人から否定されようが、軽蔑されようが、目の前にいる人が受け入れてくれるなら、それでいい。



「弓花、好きだ」


 俺は弓花へキスをした。


 愛する人を自分のものにした。



 柔らかい唇に一瞬満たされるが、それ以上に大きな喪失感が襲ってきた。


 背徳感で興奮するとかあれは嘘だったな。

 実際はやってしまったという不安や迷いに襲われるだけだ……


 きっと弓花も俺と同じ気持ちのはずだ。

 これでもう俺達は終わり、知らない方が良かった気持ちを知ってしまったのだから。


 俺は唇を離し、閉じていた目を開ける。


 そこには「ねぇ、もっと」と恍惚とした表情を見せる弓花がいた。


 あれ、ちょっと待って、ぜんぜん俺と違うんだけど!? 

 めっちゃ興奮してんだけど!?


「……しちゃったね、キス」


「ああ。どうだった?」


「人生で一番、最高の瞬間だった」


 弓花は俺に抱き着いて、俺の胸に顔を預けてくる。


 俺は弓花の気持ちがわからない。

 自分と同じだと思っていた人が、自分の知らない顔を見せていることに焦ってしまう。


「越えちゃったね、一線」


「いや、それはその……」


「責任取ってよね」


 離れようとする俺を弓花は決して放さない。


「もう逃さないから」


 弓花は覚悟を決めた目で俺を見つめる。

 これはヤバいな、やっちったな……


 今ごろ冷静になっても後の祭り。

 俺達は第二ステップへと移行してしまった。


 俺を抱きしめる弓花の力は強い。


 きっと、この先どこか遠くへ逃げても弓花は俺を追ってくるだろう。

 違う街だろうが、別の国だろうが、逃げ場はない。


「私は咲矢と生きていく」


 俺はまんまと落とし穴にはまってしまったようだ。

 だが、そこには弓花がいる。


 周りから見たらきっと間違いを犯した間抜けな奴と思われることだろう。

 でも、俺達はこれで幸せなのだ。この落とし穴には幸せがいっぱい落ちているのだから。



「咲矢、好きよ……」


 弓花は俺にキスをしてきた。

 俺は抵抗もせずにただ受け入れるだけ。


 先ほどとは違って幸福感が異常だ。

 今までの苦悩から解放されるような、もっとその先へ進みたくなるような、味わったことのない思いに満たされる。


 それもそうか、今は自分がキスをしているのではなく、大好きな人にキスをされているのだから。


 それはまるで、自分の罪を弓花が軽くしてくれているようだ。



 さて、道を踏み外した俺達は、この先どう生きて行くのか……


 それは今の自分には見当もつかない――

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