第26話 マイコン


「ふぅ……」


 華菜の部屋から出て自分の部屋に戻る。


 勉強を教え、他にも華菜の気持ちを聞いたりしたので心身ともに疲れた。


「遅いわよ」


「悪いな」


 俺の部屋のベッドに入って本を読んでいた弓花に怒られたので謝った。


「って何で当たり前のように俺の部屋にいんだよっ!」


「別に双子がもう一人の双子の部屋で本を読んでいようと、そこまで不思議ではないと思うのだけど」


 問答無用で部屋に上がり込んでいる弓花を見て頭を抱えるが、弓花の顔を見て嬉しくなった自分がいるのも事実。


「華菜ちゃんの部屋で華菜ちゃんと何してたの?」


 ベッドから出て俺に詰め寄ってくる弓花。


「勉強を教えてただけだよ。妹にまで嫉妬するな」


「華菜ちゃん、なんか咲矢のこと大好きなオーラで溢れているのよね」


 どうやら華菜の気持ちも弓花には察せられているようだ。

 通りで仲良くなれないわけだな……


「華菜は俺と血は同じではないがちゃんと兄妹だと自覚している。俺達よりも大人だよ」


「私だって自覚しているわ。見くびらないで」


「自覚してたら一線とか越えようとしてこないだろっ!」


「自覚してるからこそよ! こっちは覚悟とか決めているの」


 俺達は語気を高めてしまった。

 

 反論は止めて、互いに冷静になる。


「……大好きな咲矢とあまり言い争いたくないの」


「ごめん、ちょっと意地悪だったな」


「あなたのそのすぐに自分の非を自覚して謝罪してくるとこ、超好きよ。愛してる」


 弓花は抱き着いて愛をぶつけてくる。


「咲矢って今まで何か大きな失敗や間違いを犯したことがあったりするの?」


 弓花の質問を聞いて過去を振り返るが、思い当たる節は無い。


「特にないな。親や先生に説教されたこともないし、誰かを深く傷つけたり、とんでもないミスをしたこともない」


「そうでしょうね、あなたは保守的に暮らしてきたのだから。集団で群れることはせず、尖ることもせずに、ただ空気のように日常に溶け込んできた」


「それは弓花も同じだろ」


「ええ。容姿的な問題で私の場合は尖っていると言われることもあるけど」


 事なかれ主義と言うべきなのか、我関せずの生き方だった。


 もちろん口論での喧嘩や隠れてちょっとした悪い事をしたこともあるが、それで誰かに怒られたりしたことはない。


 だが、決してそれは優等生だったからではない。

 ただ単に目立たなかっただけだ。


 目立つ奴はちょっとした悪いことでも怒られてしまう。

 俺にはそのディスアドバンテージがなかっただけだ。


「人は誰しも間違いを犯す生き物であることはわかる?」


「それはな。人生で一度も失敗や間違いを経験しないやつなんて滅多にいないだろ」


「理解が早くて助かるわ」


 弓花が俺に何を訴えようとしているのかはわからないが、主張したいことがあるみたいだ。


「でも、私達は何の過ちも犯さずに生きてきた。失敗を拒み、道を踏み外すことを避けて綺麗なままに生きている。正規の道だけ歩んできている」


「まともな人生じゃないか。わざわざ泥道に向かわなくてもいいだろ」


「そうね。でも、綺麗な道だけを歩いていても足は鍛えられないし、心も貧弱なまま。そんな状態では、この先道を逸れてしまった時に正規の道に戻る力も無いの」


「なら今後も失敗しないように歩いて行けばいいだけだ」


「それは無理よ。失敗や壁にぶち当たらない人生なんて無い。あなたはそれができるほど自分を天才だと思っているの?」


 俺は弓花の問いに首を横に振る。


 自分は凡人で天才でも秀才でもありはしない。


「なら、失敗や過ちは早めに経験した方が良い。今失敗すれば、将来的に若気の至りなんて形で笑い話にもなる」


「何が言いたい」


「私と咲矢が双子なのに恋に落ちてしまい、人道から逸れて失敗する。それも、将来的には笑い話の一つで処理されてしまうということよ。そして、その経験は自分たちの力にもなる」


「確かに、考え方によってはその道もなくはない」


「でしょ? だから、私を受け入れてもらえないかしら? 今なら大丈夫。別に結婚するとかそういうわけじゃない。間違った恋を高校生の時にしてしまうだけ」


 弓花の言葉は俺が背負っているものを軽くしてくれる。

 それはまるで女神や聖母みたいに、優しく諭すように。


 そして、弓花は目の前で両手を広げる。

 私の元に踏み出しておいでと言わんばかりに――


「咲矢は何も心配しなくていい。人は誰だって間違いを犯してしまうもの。どんなに人気な芸能人だって、ファンを魅了したアーティストだって、険しい道を乗り越えてきた政治家だって、誰だって何かしら間違いをしてきた。だから、こっちにおいで」


 弓花に吸い込まれるように、俺は温かな胸の中に顔を埋める。

 そして、弓花は俺を捕まえるように抱きしめた。


「怖がらなくていい。私はあなたの傍から決して離れていかないもの」


 なんという母性、なんという包容力。

 まるでこの世界を優しく包みこんでしまうかのような、そんな温もりを感じます。


「弓花……」


「咲矢……」


 お互いに名前を呼び合いながら、ベッドに倒れ込む。


 俺のベッドで仰向けになる弓花は、何をしてくれてもいいよと全てを受け入れる表情をしている。


 だが、その弓花の頭の横にある一冊の本に目が行ってしまう。


「弓花、お前もしかして……」


「何か?」


「俺をマインドコントロールしようとしてないか?」


「……バレちゃった?」


 弓花が部屋に俺が来るまで読んでいた本に目を向けると、表紙に誰でも簡単にマインドコントロールできる本と書かれていた。


 どうやら弓花は俺を言葉で諭して導き、マインドコントロールをして一線を越えさせようと考えていたみたいだ。

 いやいや、ガチ過ぎるだろ……


「危うく一線を越えそうになったわ。勘弁してくれよ」


「残念ながら、あなたはもう相当きてるわよ」


「自覚してる。勝ち目が無い」


 弓花はきっとこの先もじわじわと俺を追い込んでくる。

 これは弓花の勝利が確定された、出来レースのようなものだ。


 そして弓花はその過程を楽しんでいる。


 こんな幸せな悩みは、今だけしか味わうことはできないのかもしれない――

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