第7話:大火とポーランド王選出

カザンとアストラハンを奪回しようと、タタール人は幾度もロシアへ侵攻しました。

1571年、タタールがモスクワの家屋に放火します。たちまち大火となり、首都は黒焦げになります。逃げまどう住人たち。略奪するタタール人でしたが、火にのまれそうになり、逃げ出します。

タタール人はそのまま帰らず、避難していた大勢の人々を捕虜にして連れ去りました。奴隷にして売るためでした。

火事から逃れようと川で溺れ死んだ者や、黒焦げの死体が数え切れないほど散乱していました。


そのなかでゆいいつ無事だったのが、高い城壁に囲まれた宮廷――クレムリンだけでした。逃げる人々が避難しようとしましたが、門は固くとざされたままで、城門を叩きながら大勢が焼死しました。


モスクワの大火時、イヴァンは遠征しており、無事でした。しかしそのままモスクワに帰らず、焼けた町がようやく再建したころ、クレムリンにもどります。


二度目の妻が死んだのち、イヴァンは三番目の妻を探します。若い娘と結婚したものの、わずか10日で病死。

その結婚は無効だとして、さらにべつの花嫁を見つけ、すぐに結婚します。東方正教会は結婚は三度までと決まっていましたが、横暴な君主を留める者はいませんでした。


1572年、ポーランド王ジグムント=アウグストが崩御します。後継ぎの息子がなかったため、玉座を巡って各国の王たちが立候補することになりました。

ポーランドは議会と国会が尊重され、王の選出も議員たちの投票によって決まります。

ポーランド側はイヴァンではなく、息子のフョードルを立候補させてみては、と進言するも、みずからが頂点に立ちたいイヴァンは聞き入れませんでした。

ほかに立候補したのは、神聖ローマ帝国皇子マクシミリアン、スウェーデンのヨハン三世とその息子、フランス国王の弟アンジュー公。


そのころ、イヴァンは悪名高いオプリーチニナを廃止します。外国からの悪評がきっかけでした。

彼のたったひと言で国民は安堵し、皇帝の親衛隊たちは失墜します。絶望を味わう彼らを見て、イヴァンは愉快なあまり笑ったといいます。


オプリーチニクを解散したものの、イヴァンの汚名が返上されることはなく、ポーランド王には選出されませんでした。


子供ができなかった四度目の妻を修道院に送り、五度目の妻はすぐに死に、イヴァンは六度目の妻と結婚します。しかし六度目の妻に不倫され、七度目は処女でなかったと殺してしまいました。


暴飲暴食がたたって肥満したイヴァンは、昔の面影はなく、ただの醜い老人でした。それでも皇帝は絶対であり、どんな暴君だろうとロシアの人々は辛抱強く仕えます。

そんな国民性を外国の人々は不可解に感じていました。


あるとき、イヴァンは臣下のひとりである、マヌケなセミョーンを身代わりの皇帝にしました。一年ものあいだ、偽物皇帝と臣下たちのやりとりを、イヴァンは笑って見物します。

幸運なことに、セミョーンはイヴァンに命を奪われず、無事に替え玉の勤めを終えます。これも皇帝の気まぐれから生まれたできごとでした。


ポーランド国王に選出されたアンジュー公でしたが、もともと乗り気でなく、兄のシャルル九世が崩御すると、フランスに帰国しアンリ三世として戴冠します。二度と、ポーランドに戻る気はなく、新たな国王の座についたのが、ハンガリーのステファン・バートリーでした。


バートリーは軍事に長け、豪胆で正義と権力を愛し、信心深い人物であり、さっそく奪われたリヴォニアを取りもどすべく、ロシアへ宣戦布告します。

戦いはポーランド軍が有利に進み、最終的な和平交渉でロシアはリヴォニアを失いました。1581年のことでした。

その悲しみを癒やすため、イヴァンは8人目の妻と結婚します。


※その他世界史コラムは下記のブログに掲載しています。

偉人たちの素顔~世界史コラム

https://history.ashrose.net/

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