第6話:オプリーチニクとエリザベス女王

クルスプキーの裏切りにより、イヴァンの疑心はさらに強くなります。大貴族たちが陰謀を働いているのではないか、と思うことに耐えられず、突然、モスクワを旅立ちます。宮廷に皇帝が不在になったため、臣下たちは困り、連絡がつくなり早く帰還されるよう、願うのでした。


ようやくモスクワに戻ったイヴァンは、ロシアを二つの所領に分ける、と宣言します。「オプリーチニナ」(皇帝直轄領)と「ゼームシチナ」(貴族所領)です。

ロシアの主要地域を、オプリーチニナにし、その他の辺境はゼームシチナされ、貴族たちは真冬のさなか、遠距離の引っ越しを余儀なくされました。先祖代々の領地を奪い、生意気な貴族たちを辺鄙な土地へ追いやったのです。しかし、異議を唱えるものはいませんでした。


オプリーチニナには皇帝の親衛隊である、俸給貴族が派遣され、統治します。彼らはオプリーチニクと呼ばれ、皇帝の名において行動すれば、何をしても許される権限を持っていました。

初め、1000人の小貴族青年の集団が、やがて6000人に増えます。全国から腕っぷしが強く残忍な男たちが選ばれ、皇帝へ密告する役割を与えられます。俸給生活の彼らは集団で家に住み、ゼームシチナで皇帝の裏切り者を探しては、虐殺しました。といっても、言いがかりにすぎず、農民や女子供をいたぶり、食料を奪って好き放題するだけでした。


そしてオプリーチニナの実施と同時に、裏切り者の大貴族たちをつぎつぎと公開処刑します。斬首はまだいいほうで、肛門から槍を刺す、串刺しの刑はとてもむごいものでした。

カザン攻略で功績があった一家を初め、皇帝の従弟であるウラジミールを、いわれなき罪で命を奪いました。皇帝の料理に毒を入れた、というでっちあげです。イヴァンが病魔におかされたとき、玉座を狙っていたのを許していなかったのでした。


オプリーチニクの暴挙をだれも止めることができず、ロシアは密告と恐怖政治に怯える日々が続きました。もはや教会は皇帝に意見する権限すら失われ、府司教は沈黙するだけでした。

そんな隣国の状況を察知したポーランド王が、「オプリーチニナとはなんぞや?」とロシア大使に問うも、「何のことでしょうか?」と返ってきます。ロシア皇帝の評判を落とすような発言は、死に直結したからでしょう。


そんな粛清の真っ只中、イヴァンは新しく即位したイギリス女王、エリザベス一世に求婚します。二度目の妻マリアにはうんざりしていたから、離婚すればいい。陰謀ばかりのこの国を捨て、亡命をしたい。37歳の自分と34歳のあなただからちょうど良い。そのとき、結婚をしましょう、と。


いっぽうのエリザベスは、あまりにも馬鹿げた求婚の手紙を無視します。

ロシアとの貿易はイギリスに莫大な富をもたらしていたから、皇帝を失望をさせたくはないものの、エリザベス女王には結婚する意志はまったくありませんでした。だから、返事を伸ばしに伸ばして、時間を稼ぐことにしたのです。


なかなか返事をよこさない女王に、イヴァンは苛立ち、ようやく来たイギリスの使者へ八つ当たりします。エリザベスの返信はそっけなく、「共通の敵と戦うときに援助を約束し、イギリスへ亡命するときはご自身の費用で好きなだけ滞在されるがよい」とだけ書かれていました。


結婚の約束どころか、同盟まで反故にされてしまったと、イヴァンは怒りのままに任せて、罵詈雑言めいた手紙を書きます。それを読んだエリザベスは、あまりのおっちょこちょいぶりに失笑したとか。

しかし、イヴァンの怒りが本気であると、悟った女王は、暴君をなだめるために使者をロシアへ送りました。たくさんのお土産を持って。

その後、ロシア国内が荒れたことにより、両者の結婚話は立ち消えしました。


1570年、武装した懲罰部隊がノヴゴロドの町入り、城壁を閉じて僧侶を片っ端から逮捕します。高額な罰金を要求し、用意できなかった者は処刑しました。助かった僧侶たちも集められたあと身ぐるみ剥がされ、牢屋に閉じ込められます。オプリーチニクたちが寺院の宝物を全て奪い取りました。


その後、町人たちを懲罰。まず千人の人々が連行され、弁護も判決もないままに拷問にかけます。舌を切り、四肢を切り、鼻を削ぎ、火で炙り……。夫は妻、妻は子供の眼前で拷問されました。

父である皇帝とともに、遠征した15歳の息子イヴァンも君主そっくりに成長し、残酷な光景を恍惚な眼差しで見ていたといいます。神である自分たちは、人々を懲罰することこそがおのれに与えられた使命だと、信じていました。


泣き叫ぶ声や、内蔵があらわになった死体、流されるおびただしい血。町のそばを流れる川は真っ赤に染まり、死体の山が腐臭を放ちます。

逃げ出そうとした者は、オプリーチニクたちが槍や剣で惨殺し、地獄そのものでした。


犠牲者は1万8千人から6万人ほどといわれ、正確な数字はわかりません。


※その他世界史コラムは下記のブログに掲載しています。

偉人たちの素顔~世界史コラム

https://history.ashrose.net/

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