帰省

 折角の正月も、寝ていたらあっという間に過ぎてしまった。おせちを食べることも、初詣に行くこともなく、ダラダラと寝正月を過ごしてしまった。忘れていたけど、もうすぐ成人式なので、そろそろ帰省の準備を進めておかないとだ。


 お正月、藤花ちゃんに会えなかったな。まあ店も休みだったし当たり前といえば当たり前なのだが、クリスマスに奇跡が起こってしまっただけに淡い期待をしてしまっていた。着物姿の藤花ちゃんと初詣……。


 ふるふると頭を振って妄想を頭から追い出し、ボストンバッグに下着と服を詰める。帰省はかなり久しぶりだ。夏休み以来だろうか。


 ***


「藤花〜?寝てるのか?……た、体調悪いなら病院に……」


 父さんが、私の部屋のドア越しに、心配そうに言っている。あたしは自室の、ベッドの上。


「大丈夫ー。眠いだけー」


 明るめに声を出して、父さんに制止をかける。眠いのは本当のこと。あたしは、病院は嫌い。怠いし、熱いし、体調はあんまり良く無いけど、我慢できない程じゃない。こんな中、動いた方が頭痛くなる。


 あたし、長く無いのかな。


 ちょっとはしゃぐだけでその後は体調が悪くなったり、たまに息がしにくくなったり、胸がドクドクして気持ち悪かったり……。あたしは小さい頃から体が強い方じゃなかったからこんなの慣れっこだけど、煩わしいことに変わりは無い。整った呼吸を持て余す健康体が羨ましい。頭がぼーっとする。思考がほどけていく。意識が揺蕩たゆたって、瞼が落ちてくる。眠い。正月なのに、どこにも行けなかった。誰にも会えなかった。


 ……あたしなんか、生きててもこんなことばっか。


 もう考えたくなくて、あたしは意識を手放した。


 紫のマグカップの、入れたばかりの紅茶が冷め切るまで、静かな寝息だけが部屋を満たした。


 ***


 鈍行列車に乗っかって、小説を片手に暇を潰す。心地よい振動と電車の音、膝の荷物の重みになんとなくくつろいで、小説を読み耽る。


 荷物の準備をしたら、なんだか早く実家に帰りたくなって、次の日すぐ家を出てきてしまった。転寝うたたねをしながら電車に揺られ、やっとのこと故郷の京都に戻ってきた。


 改札の前に見覚えのある人影を確認し、近づいてみると、それは少し小さくなったような俺の父親だった。わざわざ、迎えに来てくれたようだ。軽く再会の挨拶を交わし、古ぼけたデザインのワンボックスカーに乗り込んだ。


「マコト、元気しとったか?お前あんまり連絡寄越さへんやろ」


「ごめん、父さん。忙しかってん……」


「どうせそんなもんや思うとったし、ええけど。せやけど、もう少し帰って来れんの?母さん可哀想やろ、あんま帰って来いひんと」


 父さんの方言を聞いて、俺も訛りが戻ってくる。なんだか懐かしいような気分だ。昔は父さんと母さんと兄さんと姉さんと、この言葉に囲まれて生活していたのだ。

 古風な小路を通り過ぎて、懐かしい家に戻ってくる。兄さんも姉さんもいない実家は、寂しいような、広いような感じがした。


 あぁ……、母さんも、か。


 手を洗って奥の畳敷きの部屋に行き、仏壇のに飾られた母さんに話しかける。


「……ただいま、母さん。帰るの、遅なってごめんね。俺大学で友達出来たんよ。カフェでバイト始めて、そこの人らみんないい人たちやの。楽しくやっとるから心配せんでね」


「マコトはいつも、母さんにちゃんとただいま言うねんな」


 父さんはどこか寂しそうに呟いて、夕飯作るわ、とキッチンに行ってしまった。母さんが死んでしまったのは俺がまだ小学校の低学年の頃だった。交通事故だった。居眠り運転の車に轢かれ、一命は取り止めたものの、打ち所が悪くて脳死状態になってしまった。俺は毎日放課後に病院に会いに行ったけど、1週間後、母さんは息を引き取ってしまった。


 毎日毎日、痛々しい体になった母さんの、力の抜けた手を握って、授業や給食の話をして、何度も何度も話しかけて。けど、母さんは2度と帰っては来なかった。


 明日は駅前の花屋で菊を買って、母さんのお墓に手向けに行こう。


 父さんが作ってくれた煮物を食べながら、俺はやっと帰ってきたような気分になった。少し老けこんでしまった父さんは、煮物を口いっぱい頬張る俺を嬉しそうに見つめていた。

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