初めて

 綺麗な花畑の俺はその花畑よりも百倍綺麗な藤花ちゃんを前に、質問や世間話を絶え間なく投げていた。藤花ちゃんは絶対に無視しない。優しい言葉じゃなくていい。毒でいいから、言葉が返ってくるのがただただ嬉しかった。


 話しかけても返ってこないのが、帰って来ないのが一番悲しいんだから。


 俺は神に愛されしラッキーボーイだ。生まれてこの方、俺自身は容姿に恵まれ、健康に恵まれて、大体順風満帆な人生を送ってきた。大きな怪我や病気を患ったこともないし、周りはいい奴ばかりだった。一回車に轢かれかけたことがあるくらいで、受験も部活も努力した分着いてきた。


 藤花ちゃんへの初恋は、人生初の挫折なのかもしれない。俺は彼女に罵られているだけで楽しい(?)けど、この恋が叶う可能性なんてしょっぱいことこの上無いのだ。


 俺、虚しいことしてるのかな。


「……何アンタ、急にため息とか。何かあった訳?」


「え」


「何あほヅラしてんの?だぁから、目の前でため息とかヤメロって言ってんの。いっつもどうでもいいことあたしに聞いてくるみたいにアンタの話すればいいじゃん」


 この娘、今俺に話しかけてるのか?


 初めてだ。藤花ちゃんから俺に話しかけてきたのは。嬉しかった。目頭が熱い。嬉し過ぎて、唇を痛くなるほど噛んでしまう。涙が出そうだ。


 あぁ、藤花ちゃんは……優しいんだな。


「ちょっと、何泣きそうになってんのよ?」


「馬鹿言うな、泣いてない!……ありがとう藤花ちゃん。俺なんかの話、聞こうとしてくれたの?」


 藤花ちゃんはバツが悪そうな顔をして、少し顔を赤らめて、左手で口元を隠しながらそっぽを巻く。2、3秒後、恥ずかしさがキャパオーバーしたのか、


「うっさいな!大体いっつも勝手にベラベラ喋ってくる癖にこんなときばっか遠慮してバカじゃないの!?面と向かってため息なんかつかれたら気になるし、幸せ逃げるっての!バーカ!」


 と、照れてるのなんかバレバレなのに、それを隠すみたいに大声で捲し立てた。そんな仕草のひとつひとつが愛らしくて、笑みが溢れる。


「ありがと、藤花ちゃん、……」


 可愛い、という言葉が、喉に突っかかって出て来なかった。女の子を褒めることを、初めて恥ずかしく感じてしまって、その言葉は結局言えず終いだった。


 その後藤花ちゃんは何か話しかけても


「……ん」

 とか

「……あー……」

 とか素っ気なかった。


 恥ずかしがる彼女が可愛かったけれど、「可愛いよ」とは言えなかった。


 もっと話して(一方的に)いたかったけど、彼女はまた急に立ち上がって、いそいそとコートを着て精算に行ってしまった。


 仕事に戻るか、と、カウンターに戻ると、精算を丁度終えた藤花ちゃんがこちらをちらと見て、


「誠。……ん」


「えっ?あ、これこの前の傘?」


「じゃあ」


「あ、うん。……またね!」


 彼女は俺に、この前貸した折り畳み傘を押しつけるように渡して、逃げるようにすたすた帰ってしまった。


 よく見ると、傘には紫の、可愛らしい柄の付箋フセンが貼ってあって、


『誠  ありがとう  藤花』


 と、整った素っ気ない文字で、素っ気なく書いてあった。家に帰った後、付箋は手帳に大事に挟んで、死んでも失くさないようにしておいた。


 俺はきっと、君と恋人になれなくてもいい。今はただ、優しくて律儀で、可愛い君との恋に溺れていたい。


 ***


 To.マコト

 From.父

 件名久しぶりに

 京都に帰って来ないか?

 母さんも待ってる。


 父さんから久しぶりにメールが来ていた。クリスマスやお正月は、バイトをしていればもしかしたら藤花ちゃんに会えるかもしれないから……一月の下旬か2月の上旬に行く、とメールを返しておいた。

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