甘くないけど

 藤花ちゃんに初めて出会ったあの日から、もう二週間程経つけど、その日から彼女は一度も来店していない。俺のシフトが入ってない日に来たのかも知れない。もしかしたら、本気で嫌がられてしまったのかも知れない。もしも、彼女がもう店に来ないつもりだったら……?


 もしも、二度と彼女に会えなかったら、俺は……。


 カフェの閉店後、箒で掃き掃除をしながら、ゆっくり外を眺める。外はもうとっくに暗く、街灯がぼんやり道を照らす。オフィス街は昼とは打って変わって閑散としていて、雲行きが怪しく、寒空は今にも雨が降り出しそうに濁っていた。


 会いたい。


「マコちゃん?どうしたの、ぼうっとして。あ、まさか、藤花ちゃんのことでも考えてたのかしら?」


「は!さ、佐野さん!……別にそんなんじゃ無いです……。ってか、マコちゃん呼びやめてください!」


 あらあらごめんなさいね、なんて言いながら、佐野さんはテーブル拭きに戻った。藤花ちゃんのことは、まあ、考えてたけど、早く掃除をしなくては。カフェを閉店したら、深夜までこの店はバーとして開店するのだ。


 俺はまだ19歳未成年だからバーの時間帯でのバイトはしてない。


 今日もいつも通り、この時間に帰る。掃除を終えると加山さんに挨拶して、コートを羽織って店のドアを開ける。冷たい風がむき出しの頬に刺さる。暫く歩くと、本当に雨が降ってきた。小雨は段々強くなって、無視していられなくなったので折り畳み傘を開いた。バッという無機質な音で雨を遮る。寒いせいか雨のせいなのか、人肌恋しくなってくる。もしかしたら、なんて思って、適当に帰路を外れる。


 藤花ちゃんに、会えるかも、なんて。


 もう暫く歩いた。そう自覚して、馬鹿馬鹿しくなった。俺、何夢見てんだろ。踵を返して帰路に着いた途端、ピシャピシャという急ぎ足の足音が聞こえた。振り返った。期待なんか、今更してなかった。


 けど、雨の中走っていたのは、今一番会いたい君だった。


「藤花ちゃん!」


 濡れ髪の少女に駆け寄って傘をかざす。藤花ちゃんは驚いたような顔をしていた。そんな顔も可愛いと思うなんて、俺はもう駄目なのかもしれない。


「あ……マコちゃんじゃん……」


「それ誰から移ったんだよ……。ってか藤花ちゃん傘忘れたの?しかもこんな時間にほっつき歩いて、危ないでしょ?藤花ちゃん可愛いんだからもっと気をつけて……って何無視して帰ろうとしてんの!?」


「うっさい、アンタはあたしの母親か」


 藤花ちゃんは早歩きでずんずん進んでいってしまう。俺も傘を持って着いていくけど、この前の様子からしても、この娘は俺に送られてなんてくれないだろう。


「待って、藤花ちゃん」


「……」


 藤花ちゃんの細い腕を掴んだ。


「ちょっと、離してよ……は?」


「俺になんか、送らせてくれないだろ」


 目を丸くする彼女の小さな白い手に傘の丸いプラスチックの柄を握らせて、俺は走って家に帰った。


 家に帰って気分が落ち着いてから、何をあんなに感情的になったんだ、って落ち込みまくった。


 話したいこと、積もってたのにな。


 俺は夜飯も食べずに布団に潜り込んで、そのまま眠ってしまった。


 ***


「なんで傘なんか……あたし、突き放したのに。……あいつ馬鹿じゃないの」


 あんな煩悩男に優しくされて嬉しい訳無いのに。


 何も考えたく無くて、思考を掻き消すみたいにわざと早歩きをした。


 傘を打つ雨の音が、なんだか優しい気がする夜だった。

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