言えない

 その後、俺は藤花ちゃんと2、30分話した。一方的に話しかけて毒で返されるだけだったような気もするけれど、彼女はスケッチブックに絵を描いたり、コーヒーをもう一杯頼んだりして、のんびり過ごしていた。まるで、俺なんか居ないみたいに扱う彼女だが、俺が話しかけたら必ず毒づいて返すのだ。その様子はさながら大喜利のようで、俺の思い描いていた甘い雰囲気なんて1ミリたりとも実現しなかったけれど、無視されないだけ、俺は嬉しかった。


 俺が何度も話しかけていると、藤花ちゃんは急にぱたっとスケッチブックを閉じてリュックにしまい、すっと席を立った。


 やべ、怒らせた……?


「と、藤花ちゃん?ごめ、邪魔した?」


「え?何今更。別に、そんな顔しなくても、そろそろ帰ろうと思っただけ。じゃあね、ケーキありがと」


「えっ、あぁ……じゃ、じゃあね!」


 い、今藤花ちゃん俺にじゃあね、って言ったぞ、ケーキありがとって言ったぞ。たったそれだけのことで、俺の頭は有頂天だった。頭が熱くて、にやけが止まらなくて、今の俺はさぞ気持ち悪い顔をしているんだろう。だけど、きっと今この瞬間、世界一幸せなのは俺だと思う。


 真っ直ぐ伸びた背筋と歩く度に揺れる猫っ毛をぼんやり眺めて、俺は仕事に戻ることにした。よく考えたら、忙しくない時間帯とは言え、30分もバイト中にナンパに費やすなんて、うっかりしていた。いつもは話すとしても15分とかで切り上げて仕事に戻るのに、彼女と言葉の攻防戦をしていたら時間があっという間に過ぎてしまった。


 加山さん、怒るかな。


 ***


 緊張した面持ちで藤花の座る窓際の席に近付く誠を横目にみて、溜息をつく。誠は少し前に雇ったバイトで、ナンパにうつつを抜かすことを除けば、雑用を文句も言わずに丁寧にできる良い奴だ。しかし、そんな誠だからこそ、あまり藤花には近付くべきではない気がした。小さい頃から人見知りで、知らない人には冷たい態度をとる子だったが、数年前からはより一層、誰も寄せつけたがらなかった。


 いつも独りで生きているような、そんな顔をしていた。藤花の父親で、旧友である太一はそんな藤花を心配していた。一度学校にまで着いて行こうとしていたものだから慌てて止めたが、あの様子なら多分、藤花はクラスメイトに特別仲の良い友達なんて居ないのだろうと思う。おそらく……おそらくだが、藤花がそうなったのは、数年前、癌を発症してからだと思う。


 藤花を小さい頃から知っていて、娘に近い感情を持っていた俺は、


「藤花が、癌になった」


 と青い顔で言う太一の言葉に動揺して詳しいことは覚えてないが、今も藤花は入退院を繰り返している。


 藤花は、自分が死ぬかも知れないから他人を寄せつけないのだと思った。

 俺は本人の意思を尊重してやりたかったから、あの子が話しかけて来るとき以外は、あの子と話さなかった。


 死ぬかも知れないからこそ、もっと誰かと仲良くすれば良いのにと思っても。


「加山さん?どうしたのボーッとして……」


 佐野ちゃんの言葉で我に帰る。


 視線を上げると、絵をスケッチブックに描きつける藤花にちょっかいを出す誠と、少し楽しそうな藤花が目に映る。


 言えねェ。


「なんでも無い。すまんな、佐野ちゃん。俺も年かもな」


 もう、しっかりして下さいよ〜、なんていう佐野ちゃんの声が遠のいて、俺はまた物思いにの海に沈んだ。

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