The Rain Leaves a Scar

「近頃よく寝てる?」


と彼は俺に訊ねた。

 あまり寝てない、と答えると彼は少しだけ怒った様な顔をした。最も何も考えていないような時でも怒っているように見えるくらいの整った顔であるのではあるので、実は何にも考えていないのではないかとも思われるのだが。


「努力はしているんだけどね」

「ならいいけどさ」


 彼は目を伏せる。


「**ちゃんは僕と逆じゃない。考えすぎると眠れなくなる」

「あれ、そうだった?」

「そうだよ」


 断言した。

 そう言えば彼はよく眠る。一日一回、必ずある程度の睡眠をとらないと調子悪いのだと言う。

つい最近までのレコーディングの時にも、眠すぎて足に力が入らなくて結局眠ってしまったことがある。ツアーで風邪をひいたのも不規則な生活のせいだろう。

 あまり俺にはない部分ではある。何だか彼に睡眠のことで心配されるというのも不思議な気分ではある。


「俺はまあね、それでもいずれ何とかなるよ。そういう***さんこそ最近はどお?」

「僕?」


 アルカイック・スマイルで彼はよく眠れるよ、と言った。


「***さんの場合はよく眠れるから心配ってのもあるんだけどね」

「そおかな?」

「そうだよ」


 そういうものかな、と彼は首をひねる。

 前のアルバムの中で、いくつかの曲に引っかかるところがあった。

 無論彼は歌詞の内容については深くは話さない。

 話してしまうと世界が限定されるから避けているのではないか、と俺は解釈している。

 書いてあることが全てでしょ。

 彼はそう言うのだが。



 その日は朝から雨だった。

 正確には、朝から雨だったと思う。

 夜眠れない俺は、明け方になってようやく眠りにつく。明かりを消して真っ暗になってしまうのが嫌いだ。どうでもいいことが勝手に思い出されて、堂々巡りの考えに陥ってしまうことが多い。

 だから次に目が覚めた時には午後になっていることが多い。

 時計は正午を少し過ぎていた。

 夏も終わったとは言え、まだ雨だからと言って急に冷え込むことはない。車があればこういう日でも外へ出ていけるのに、と思うとやや口惜しい。

 雨降りの海岸というのもなかなかいいものだ。海と空の境界線が白くかすんで、区別ができなくなるような光景が。

 だけど結局は窓を少し開けて、雨が入り込まない程度に東向きの風を入れながら、雨音を聞くくらいのことしかできない。

 そう言えば、今度のアルバムの曲に雨が一つあった。最後の曲だ。あの中の彼はどうだったろう。そう思った時、俺は出かける気になった。車ではないから、でかい傘をさして。

 どういう訳か、うちのメンバーはオフの日に出かけると街中でよく出会う。そしてこの日も例外ではなかった。

 楽器屋でベースを見ようと思ったら、ギターのコーナーに既に一人いた。


「赤い髪がいると思ったら」

「高い声の野郎が喋ってると思ったら」


 お互いまたか、と言いたげに苦笑する。


「この分だと」

「きっとな」


 奴もまだ食事をしていないということで、ついでだ、と俺たちは近くの適当なレストランに入った。適当に選んだ割にはさほど混んでもいなく、俺達を知っているようなよくはしゃぐ女の子の姿もない。

 ランチタイムぎりぎりだったので、二人ともそれを注文した。


「あれえ何でまたあ」


 黒っぽい服を着たドラマーが、スキンヘッドのドラム仲間と一緒にいた。入った時ちょうど空いていた席は六人用だったので、二人は荷物置きになっている椅子を一つ開けて俺たちの隣に座った。


「何だかなあ」


と誰ともなくつぶやく。


「確か今日はオフのはずなんだけど」

「うーむ」


 そしてむさくるしい野郎四人で食事と相成る。

 俺のとなりにはスキンヘッドが座った。彼はうちのドラム野郎と楽器が縁で友達になっている。最近落ち込んでいた、というか、何処か切れていた奴を上向き加減にした功労者でもある。


「これで俺の席にそっちのヴォーカルが座ったら爆笑もんだな」


 確かに、とヴォーカル以外のメンバーは揃ってうなづいた。


「今日は…… は?」

「さあ。別に連絡取り合ってる訳でもないし…」

「こういう偶然の方がおかしいぜっ」


 料理が来るとドラマーズの行動は速かった。

 時間つぶしにゲーセンでしばらく遊んだ。

 こういう所にくると俺たちは完全に子供になってしまう。もう少しで勝てる所だった3Dリアルのゲームを、誰かが当たった拍子で負けたとか、そんな他愛ないことでつかみ合いになりかかったりして。

 そしてそのまま夕方になって、呑みに行こう、というのが割合うちのまわりのバンドでは多いのだが、うちはあいにくそういうバンドではなかった。

 唯一例外な男は友人と共に再び街へと消えていった。俺と、昔なじみのギタリストが残される。


「とうとう***さんには会いませんでしたな」

「結構あいつも人混みには紛れるからなあ」

「あんまりショッピングとか好きじゃないし」

「そおそお」


 既に周囲は暗くなりかけていた。雨降りだから暗くなるのは早い。

 ふと俺は明るい一角に目を移した。大きなウィンドウの本屋だった。

 あれ。

 見覚えのある後ろ姿。


「どした?」


 訊ねられる。何でもない、と俺は言ってギタリストとそこで別れた。

 本屋の中へ入っていくと、居た筈のあの後ろ姿はなかなか見つからない。

 もしもあれが彼だったら。

 そう考えて俺は美術関係のコーナーへ回った。



 あの雨の曲は、最後「僕が今何処に居るのか教えてくれ」と終わっている。

 タイトルは「雨さえも僕の傷を消すことはできない」、と音専誌で「解説」していた。

 別に「癒せない」という意味の曲がある。そっちは本人は「ハッピーエンドのつもりだけど」と言っていた。

 確かにそれは俺も思った。多少俺とは幸せの定義は違うが、それでもまだ救いがある。

 だが雨の曲はそうではない。

 やっぱり彼だった。無造作に後ろの下の方で三つ編みにしている。後れ毛がところどころにあったが、気にしてはいないようだ。

 ひどく大きくて厚い、モノクロームの写真集を抱えるようにして見ている。買うのだろうか、と思っていたが、やがてぱたん、と音がするくらいの勢いで閉じると、そのまま書棚へ返した。

 その拍子に俺は気付かれた。


「**ちゃん」

「また会ったね」


 妙な言いぐさだが。


「さっき**と***にも会った」

「へえ」


 彼は薄い笑いを浮かべる。


「こんな雨の日に」

「暇なんだよみんな」

「だろうね」


 自分だってそうなんだから、と彼はつぶやく。

 でも考えてみれば、妙なものではある。


「最近はよく眠れる?」


と彼は前に言ったのと同じ質問をした。


「まあ夜の夜中でなければね」

「じゃあ結構進歩あったよね」

「進歩って言う?」

「言うんでしょ」


 ぶらぶらと駅までのアーケードの下を歩く。さすがに車の通りはいつもより少なかった。


「そういう***さんはどうなの?」

「どうって?」

「また眠りすぎってことはない?」

「別に僕は眠り猫じゃあないって」


 でも最近はやや眠いかな、と彼は付け足した。


「あのなあ…… 一度聞いてみたかったんだけど」

「ん?」

「眠るの好きだよな? 眠ってしまいたいって思う?」

「眠ければね」

「ま、確かにそうだけど」

「言いたいことは判るよ」


 俺は足を止めた。やや遅れて彼も止めた。表情は変わらない。振り向く時、三つ編みが揺れた。


「でもこんな所で言う話題でもない」

 確かにそうだ。先日のTV以来、特に彼の顔は知られている。こういう所でする話題ではない。

「家来る?」


 俺は切り出してみた。断られ半分覚悟だった。


「そうだね」


 彼は言った。そして小声で何やらつぶやく。上手く聞き取れなかったが、彼はこう言ったような気がした。


「所在がはっきりしているし……」



「悲しい経験が多い人だなあ、と」


 インタビュアが訊ねた時、俺は(笑)付きでそう応えた。真面目な顔をして言ってはいけない、とつ思うあたり、俺もまたややひずんでいるんだろうが。

 だって。

 俺は心中考える。

 慣れてしまったんだろうか?だとしたら悲しすぎる。


「別に誰かと別れたとかそういうんじゃなくて」


 切り出したら珍しくそう答えた。


「そういう暗いことあれこれ考えるのもそう好きではないんだけど」

「その割には詞は結構辛いじゃない」

「辛いかなあ」

「辛いね」


 そうだろうなあ、と彼はつぶやく。


「別に作っている自分じゃないから……」


 その方がよっぽど辛い気がするが。


「そういう風に書ける自分はいいと思うけど…そういう風に暗く重く考える自分は好きじゃない」

「うん」

「だからいつもその日あった嫌なことは翌日に持ち越さないようにはしているんだけど」

「だからよく眠るんだ」

「かもね」


 俺が彼の書いた中で一番不安を感じたのはどちらかというと前回のアルバムの方だった。

 それも俺の曲ではない方だった。

 彼は俺の曲にはメロディがつけやすいと言う。今度のアルバムの二曲でも、「せめて明るく」だの「ハッピーエンドのつもり」だの、そういうムードが見て取れる。

 前回の曲の中で、今回の曲に一番近いな、と思ったのは一曲だけで――― それも俺の曲だった。

 今回と前回の違いを一口で言えば、「止まっている風景」か「動いている風景」だと思う。

 前回の俺の曲はその「止まっている」中で唯一「動いている」風景だったと思う。

 内容は――― と言えば、自分で自分を責めるというものだったが―――「内心の葛藤」と当時彼は言っていた。

 彼に一体どういうことがこれまであって、何を考えてきたか、どれだけ傷ついてきたのか、そして彼自身がそれに拍車をかけて自分を責めたりしているのか、それは俺には判らない。

 結局曲につける詞はその断片に過ぎない。

 必要以上に詮索はしない。するべきではないと思う。少なくとも彼は普通の顔でそれは言いたくないのだから。

 そして彼は少なくともそんな自分を詞の中で否定はしていないのだ。

 どれだけ自分のしてきたことが良かろうと悪かろうと、それを数える夜が全てだろうと、その夜を踊り続ける、と。



 俺たちはそれからしばらく他愛のない話をした。だがずいぶんとりとめなく広がってしまったので、気がつくと時計の針が一つになっていた。


「あれもうこんな時間」


 雨の音に、気がついたのは俺の方だった。


「泊まってく?」

「この時間じゃね」

「眠くなったら適当に寝てくれよ、俺はどーせ明け方まで起きてるから」


 ところが彼はこう言った。


「一緒に寝ない?」

「は?」


 俺はさすがに聞き返した。


「あ、変な意味じゃなくてさ、**ちゃん眠れない人だし、僕は眠り病だから、もしかしたらいい具合に眠れるかもしれないし」

「はあ」


 だがなあ。反論したい気分に襲われる。だって俺は。


「あのなあ***」

「何」

「ちょっと冗談でもきついよそりゃ」

「何で」

「俺はあんたのこと好きなのよ?」

「知ってるよ」


 雨の音が妙に大きくはっきり聞こえる。

 しばらく俺は次の言葉を捜した。だがこういう時に限って、頭の中の辞書は開こうとはしない。ようやく絞り出したと思ったらこんな言葉しか出てこない。


「何かあった?」

「何もないよ」


 あっさりと言う。

 彼は表情を崩さない。だけど普段こんな態度に出る人間でもない。だけど絶対に彼は口には出さないだろう。

 さあどうする?と彼はじっとこちらを見る。TVの画面にアップになっても綺麗な綺麗なその目。

 逆らえる者が何処にいる?だけどその中は誰にも判らない。


「来るなら来なよ」


 彼は言った。

 俺はうなづいた。



 明け方近くまで雨は降り続いていた。

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