5月10日
第15話 119
さわやかな風が吹き抜けるグランドロードオフィス街。目抜き通りから少し外れていて、直線だが狭い道が続く。街路樹の緑が目に嬉しい。が、そんな季節でも惠美の心は凍てついたままだった。授業中でも家にいても眠りについてもいつも思う。多喜のことを。そして槇子のことを。
二週間ほど前にあってすぐ別れた槇子のあの姿を思い出す。槇子が突然取り乱したのは、多喜の事を思い出したからに違いない。自分と同じように。惠美はそう考えていた。自分で槇子の助けになれる事はないだろうか。でも本当は都合のいい理由をつけて槇子に会いたいだけなのではないか。惠美はそんな言い訳を使って多喜に対する裏切り行為をする事はできなかった。許せなかった。槇子の勤務先は分かっていても、自分から連絡を取るのは空恐ろしく感じられた。結局惠美は自分から何もする事が出来ず、一人気を揉むばかりだった。
学校帰り、惠美は親の言いつけで買い物を任されてこのオフィス街にまで来ていた。
(味噌なんてどこのでも同じだって…本当にもう変な所にこだわって面倒くさいな。これ結構重いんだしさ…)
20mほど前方に槇子がいるのに気が付く。相変わらずパンツスタイルの槇子もブレザー姿の惠美に気が付き、棒立ちになっている。二人とも突然の、そして四度目となる偶然の出会いに呆然としている。惠美もどうした良いのか分からない。笑えばいいのか、泣けばいいのか、駆けよればいいのか、逃げ出せばいいのか。
硬直して立ち止まり何をどうすればいいのか分からないまま立ちつくす二人。
そして、二人のちょうど中間あたりで年老いた女性がゆっくりと膝から崩れ落ちた。
二人とも何が起きたのかはっきり理解できなかった。それでも数瞬後には二人ともその老婆に全速で駆け寄り声を掛ける。
「どうしましたか!」
「どっ、どこか具合が悪いんですか?」
返事がない。顔面蒼白な老婆は恐らく呼吸をしていない。
槇子の穏やかな声色が緊張感に満ちる
「惠美ちゃんは119番して! あと電話しながらAEDも探、あ!そこ! そこに赤に白で、AEDって! あそこから持ってきて! 119番もね!
もしもーし!! もしもーし!! 聞こえますかー! 聞こえてますかーっ!! 大 丈 夫 で す か ー !」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10 自発呼吸なし!AED使います!! 惠美ちゃん、それ!」
「はあはあはあ、はい、持ってきました。 あ、開けます!」
「大丈夫開けなくていいよ! 119番お願い!」
「あ!はい! ………………えと、あと、……あの救急の方です。スマホからかけてて、お婆さんが目の前で倒れてます。えーと七十歳過ぎくらいに見えます…… 今AED使うそうです! 住所は……何丁目まで分からない… えと目の前にビルが……あ、あります。あります……ええ、ビルの名前」
惠美の困った声を聞いていたのか槇子が指示を出す。
「住所なら電柱にあるかも! ビル名だと入口左右にプレートがあること多いから探してみるといいよ! あ、あとコンビニとその店名もいいよ! AED使うから離れてね お婆さん、上衣脱がせますねー!」
《心電図を計測しています。身体に触らないでください》
「身体に触らないでね! なるべく近寄らないように!」
「あ、は、はい…」
身体を遠ざける惠美。できれば槇子のそばにいて何か手伝えれば、と思うのだが逆に足手まといになりそうで怖い。なんか救急隊の人の様に手際が良くて感心する。いや、感心している場合ではなかった。
「電柱の住所だと○○4-25となってて、コンビニの◎▽□店から10mくらいです! 方角? あ、えっと北かな…10m北!」
《電気ショックが必要です。》
やけに人間味のある人工音声が流れる。
《準備中です。》
《身体から離れて除細動ボタンを押して下さい》
「電気ショックを与えますね!」
「あ、電気ショックをかけるそうです!」
ピッピッピッピッ
ピー
《……胸骨圧迫と人工呼吸を再開してください》
「ダメだったみたい…… もう少しやってみるね。胸骨圧迫と人工呼吸もやってみます!」
「今の電気ショックだけではダメだったみたいで…… きょうこつあっぱくと人工呼吸もするそうです」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10……」
「今やってる胸骨圧迫、惠美ちゃんにも手伝ってもらうかもしれないから見ててね。大体5~6cm押し下げる感じ。結構力いるよ。」
「……えっ」
そう言う槇子の顔には玉の汗が浮かんでいる。身体的にかなりつらいのがよくわかる。
「もう、もう誰かに死んでほしくないの」
真剣な面持ちで蘇生術を行使している槇子とその言葉に惠美はガツンと頭に衝撃を受けた。
誰かに死んでほしくない。
私は多喜に死んでほしくなかった。それしか考えていない。
私にとっては多喜以外の誰かが死んでも、死にそうになってもどうでもよかった。がんになった芸能人のインタビューを見ても。ニュースで大きな事故が報じられても。
でも槇子さんは違った。多喜の死に接し、これ以上の死を減らそうと思い、そして今行動している。それはきっと私や槇子さんの様な苦しみを少しでも減らす為。
「うっ…… はいっ」
「115,116,117,118,119,120……
ふーっ、ふーっ、ふーっ… もう一回AEDやるから離れてね!」
「はいっ!」
《心電図を計測しています。身体に触らないでください》
《電気ショックが必要です。》
《準備中です。》
《身体から離れて除細動ボタンを押して下さい》
ピー
《…胸骨圧迫と人工呼吸を再開してください》
何度も電気ショックを与えるが成功する気配がない。胸骨圧迫はかなりの重労働で、槇子もそろそろ限界が来ていた。
「だめか… 私の真横に来て。そうそう。私が圧迫やるから『はいっ!』って言ったら割り込むみたいにして交代してね。人工呼吸は私がやるから。じゃあ、いくよ! 50回目で交代するからね!」
「えっ? はっ、はいっ!」
言われることは何とはなしにわかっても、実際に出来るとは到底思えなかった。未経験者なのにいきなりこんな事をやらせようという槇子が少し恨めしい。私が失敗したら取り返しがつかないことになるんじゃないかという不安が頭をもたげる。
【次回】
第16話 壁
5月5日 21:00 公開予定
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます