第14話 悪い夢
槇子の車についているカーナビは以前から調子が悪く、住所を入れてもルート検索が出来なくなっていた。仕方がないので惠美でもわかりやすいよう、まずは最寄りの駅に向かい、そこからまた惠美の案内で、目的地である家に向かおうとしていた。
「ごめんなさいね、何だか今カーナビおかしくて」
「へえ、うちの車のカーナビも良く壊れるんですよね」
「ふふ、私のはただ安物なだけ」
「そうなんですか?」
「そうよ」
何気ない会話が嬉しい。
「それで、どうしたのそれ?」
「え、ええ、お豆腐。母が買って来いって言うので……」
「この間もお醤油? 大変よね。重かったでしょ」
「いや、ほんと慣れてますんで。なんか大豆製品にこだわりがあるみたいで、うちの母」
母への非難が入り混じった調子の槇子をなだめるようにして話す惠美。
「か弱い子にこんなことをさせて」
「……ぷっ」
惠美は思わず吹き出す。まるで過保護な親みたいだ。
「ご、ごめんなさい、子ども扱いしちゃったかしら」
「あ、いえ、その全然です でも私、そんなか弱くみえます?」
「そういえばとっても
「逞しいは言い過ぎかなあ……」
「ふふ、ごめんなさい」
「いえ、いいんです。それっぽい事よく言われますし」
最近整備された幹線道路を滑るように車は走る。二人は言葉を選びながら探りながら慎重に会話を進める。惠美はこの間のことに触れられないように、槇子はまた惠美が逃げ出したくならないように。
それでも二人にとっては仄かな温もりを得たような気持ちになる。桜のつぼみはまだ硬いけれど、二人の心の中には小さな花がほころんだ。
第一目標の駅へはもうすぐで、そこから惠美のマンションへ向かう。短いドライブももう終わろうとしていた。
フロントガラスにさあっと小さな水滴が吹き付けられる。
「あ、雨」
惠美は寺カフェから逃げ出した帰り、にわか雨に振られた事を思い出して胃に重たいものを感じた。
槇子は惠美とはまた違ったものを思い描いていた。小さな雨粒がほんの一瞬雪のように感じられた。
その錯覚が一昨日の夢を思い起こさせる。海鳴りのする曇った公園。鈍色の雲。さっきの雨のような小雪がさらさら勢いよく降っていた。立ちつくす槇子。その目の前にはやはり立ちつくす多喜。表情のない多喜がじっとこっちを凝視している。何? 何が言いたいの多喜ちゃん? 多喜は何も答えない。何か言いたい事があるの? 私に言いたい事があるの? 私じゃ、私じゃだめだって、そう言いたいの多喜ちゃん? ねえ教えて。私じゃだめだってはっきり言ってよ多喜ちゃん。大好きなのに。大好きなのに! 愛してるの!
駅のロータリーに入る手前あたりで、槇子は急ブレーキをかけた。前のめりになる二人。シートに背中を預けると、驚いた惠美が声をかける。
「どうされたんですか?」
槇子はハンドルを硬く握って俯いたまま声が出ない。ゆっくりかぶりを振る。息が浅く荒く早く、冷や汗もかいているようだ。惠美は自分もよくそうなっていることを思い出した。
「何かあったんですか? 大丈夫ですか? あの、もしよかったら私の持ってる薬で――」
「大丈夫……」
見開いた眼も焦点が合わず、惠美から見ても大丈夫に見えるはずもない。
「あの、でも本当に大変そう――」
「大丈夫だから!」
「!」
思わず大声を出してしまう槇子にびくっとする惠美。目がきっとなって髪も乱れ、いつもの槇子とは全く違う怖さがあった。そんな自分に自分でも気づいたのだろう、メーターパネルのあたりを虚ろな瞳で眺め、乏しい表情でぼそぼそと言う。
「ごめんなさい。え――西塔さん。私やっぱりなんだかおかしいみたいなの。ここで……いいかしら」
「はい、私はもう歩いて帰れる距離なんで全然…… かが――槇子さん本当にお大事にして下さい。良かったら私の行ってるクリニックも紹介しますから」
槇子は気遣わし気な表情の惠美を見て、無理に引きつった笑顔を作る。
「うん、ありがと。優しいのね。……じゃあ、ごめんね」
槇子はかすれる声を絞り出す。惠美にはもう素直に車外へ出るしかできることはなかった。
惠美が車のドアを閉めると、槇子の運転する白いセダンは急発進し対向車線へとUターンする。そのまま猛スピードで惠美の視界から消えていった。
槇子は瞳を
それと同時にこんなことも考えていた。惠美ちゃんに謝るのはその後にしよう、もっと打ち解けたら今回のようなことについて話してみてもいいかも知れない、と。そして惠美ちゃんに助けてもらいたい、救われたい。でも惠美ちゃんはそれを快く受け入れてくれるのだろうか。
そして槇子はまた惠美の連絡先を聞きそこねていた事に気付くのだった。
【次回】
第15話 119
5月4日 21:00 公開予定
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