4月26日
第13話 引き寄せ合う
惠美と再会し、お気に入りの渋い寺カフェから逃げ出だされて以来、なぜか槇子の心に惠美が住みついてしまった。といっても槇子の心の殆どを占めているのは今は亡き多喜なのには変わりがなかった。
今でも槇子は時折夢を見る。真冬の
しかしそうして心全体が鈍色に染めらても、いつの間にか公園の隅に人知れず生え咲く名前も知らぬ花のように、惠美の少しはにかんだような照れてるような顔が浮かんでくるのだった。
会いたい。ほんのちょっとだけでいい。惠美ちゃんに会うことで私は変われるかも知れない。私の心を温めて欲しい。でも変わりたくない。多喜ちゃんを忘れたくない。
それだけではない。惠美ちゃんに会って苦悩から救ってあげたい。私に何かできることがあれば。でも私にできることなどあるのだろうか。
だが惠美は槇子が手を差し伸べたとしても、それを受け入れてくれるのか。それが槇子にとり一番の不安であった。
4月26日。だいぶ春らしく、花見にはもってこいの季節だ。そういえば今年はまだ桜を見に行っていない。
槇子は仕事を休み、車で母親の手術に立ち会いに市外の病院まで出向いていた。手術自体は簡単なもので無事成功した。術後は他の親戚に任せ槇子は早々に病院を出た。
そして先月惠美を見つけた百貨店のある駅前周辺にさしかかる。
車窓に惠美が映る。
槇子の血流が一気に顔に上昇した。突然心臓が早鐘を打ち始める。
声をかけたい。呼び止めたい。でもこの間のように走っていなくなってしまったら。
◇◇◇◇◇◇
(豆腐なんてどこのでも同じだって。もう、めんどくせぇなあ。ホント重いんだからさこれ)
惠美は学校帰り少し寄り道をして、母からの頼まれ物の絹ごし豆腐と木綿豆腐を三丁ずつ百貨店まで買いに来ていた。そのうち何丁かはお隣の長井さんの奥さんにあげる分なのだろう。
買い物も終わりバス停に行こうと豆腐六丁を持って大通りを歩いている惠美は、斜め後方からクラクションを鳴らされる。そして前にも聞いたことがある声が聞こえた。
「あの、西塔さん」
惠美は今度は怪訝に思うことなく素早く振り向いた。間違いない。惠美が振り向いた先には車のウィンドウから頭をのぞかせた槇子がいた。
反射的に惠美は安堵した笑顔を浮かべてしまった。この間、失礼な事をしたのにも拘らず槇子はまた声をかけてくれた。それが嬉しかった。だが、笑顔を浮かべてしまった自分に怒りを覚えた。すぐに笑顔が引っ込む。
槇子は惠美が表情を曇らせることも覚悟してのことだった。だが今は少しでもこの歳下の少女と接点を持ちたい。
槇子の顔、槇子の眼、槇子の声、槇子の仕草、そのひとつひとつに見入られながら、そんな自分に激しい嫌悪を覚える惠美。そんな自分が許せない。裏切り者。嘘つき。
自分の今の心情を、心境を何と言えば槇子にわかってもらえるだろう。いや、それ以前に自分のここの中に湧き上がってくるこの心理を自分自身にも何と言葉にすれば自分でも得心がいくだろう。何と言えば、なんと表現すれば、答えが出ないまま惠美はその自分でも理解できない感情をどう表せばいいのか。そんな問いがずっと頭の中で行ったり来たりするばかりだった。
「重くないかしら?」
槇子は恐る恐る話しかける。
「え、いえ、慣れてますから……」
惠美は少し強がって見せた。槇子の前で簡単に弱音を吐くのは何だか恥ずかしかったのだ。一方で槇子は少し憤慨した表情だ。こんな買い物をさせるなんて、とでも思っているのだろうか。
「ねえ西塔さん」
惠美はそのよそよそしい呼び方が嫌だった。
槇子は惠美の豆腐六丁を見て思った。惠美ちゃんにこんな重い物を買いに行かせるなんて全くひどい。でも、これを理由にすれば自然に誘えるんじゃないだろうか、と。そして決意する。
「あの、よろしかったら、送って行きましょうか? やっぱりそれ重いでしょ。見ていられないわ」
「えっ」
惠美は思わず大きな声を出してしまった。豆腐の重さから解放される喜びから声が出たのではない。決してない。これでまた槇子と話したりできるのかと思うと、それだけで胸がきゅっとなったからだ。それに、槇子の少し硬い笑みを見ながら思った。こんな荷物を持たされたんだから槇子さんの車に乗ったって別におかしな話じゃないよな、と。そう思ったら、何だか多喜にもいい言い訳が出来たような気がして少し気も軽くなる。
「ほんとですか? これ実は結構重くて…… も、もしよろしければ、その、お言葉に甘えてもいいですか?」
槇子はほっと胸をなで下ろす。
「ええ、もちろん!」
とあからさまに嬉しそうに弾んだ声を出し中から助手席のドアを少し開く。惠美はそこに滑り込むようにして豆腐とともに助手席にすとんと座った。
槇子は白いセダンを発車させ、車は滑らかに惠美の家の最寄り駅を目標に走り始める。
【次回】
第14話 悪い夢
5月3日 21:00 公開予定
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