11.奈良~江戸時代の学問史 儒学の展開と文理区分の萌芽
前回は、古代中国からの「道」「学」「術」という学問観と、「道」とされた儒学の展開を見ていきました。儒学の思想・学問観が、今回の日本にも大きな影響をもたらすのですが、科挙制度は取り入れなかった日本では、学問もまた違った展開を見せます。
1.奈良・平安の教育機関「大学寮」
日本での古い公的な学問組織に「大学寮」というものがありました。600年代には存在したようですが 、法律としては大宝令(701年)、養老令(757年)に「学令(がくりょう)」が定められました 。大宝令は“大宝律令”のことで、律は刑法、令(りょう)は行政法などを意味し、合わせて「律令」です。教育についての「令」が「学令」となります。
中央に大学寮、地方の諸国に国学という教育機関を設置し、国学の修了者は大学寮への進学が可能でした 。発足時は儒学を学ぶ本科・算学を学ぶ算科の2つで始まります 。ただ、二つは並列だったわけではなく、算科は著しく不足していた算師(主計寮・主税寮などに設置された官職)など数学専門の技術者養成が目的で、副次的な学科だったようです。本科という位ですから、儒学が国家の学問の中心だったのです。
平安時代には明経道(儒学)・算道(算学)・明法道(法律)・紀伝道(歴史)の四科となります (※明経:みょうぎょう、明法:みょうぼう)。大学寮には官僚養成機関の役割があったのですが、その影響力は限定的で、父親の位によって子に位が与えられる蔭位(おんい)などの方が強かったようです 。科挙のような試験制度には発展しませんでした。
平安末期には、藤原氏の勧学院 に代表される各氏族の私設教育機関が大学寮の附属と認められた「大学別曹」が、試験なしに地方官を任命できるようになるなど、大学寮は形骸化しました。
しかし、儒学思想を貴族・知識階級の教養 として浸透させたこと、また学問の担い手としての専門家一族「博士家」が残り続けたことが、後の学問にも影響を与えます。大学寮での教員を「博士」といい、明経博士とか明法博士などと呼ばれていました 。当初は能力で登用されたのですが、平安中期以降世襲化し、「博士家」に継承される家職となりました。必ずしも血縁関係とは限らず養子もありましたが、学問は私的な師弟関係を媒介に伝えられるようになり、各家固有の家学となっていきました 。
2.寺院による学問展開 鎌倉~戦国
律令制度が崩壊して武士が台頭する時代となると、貴族と寺院の結びつきが強まった こともあり、学問の中心も仏教界となります。この時代は仏教・儒学・和学の三つが学問の柱でした が、出版は主に寺社が担っていました。仏教世界では仏書は内典(ないてん)と呼ばれ、漢籍・国書など仏書以外の書物を外典(げてん)と呼びました。
ただ、仏教以外の学問は排除されたわけではなく、寺院から外典が出版されることもありました。鎌倉・室町時代、主な儒学の担い手は五山を中心とした禅宗の僧侶であり、仏教と儒教の共通性を見出す論考も学ばれていました。僧侶は将軍など為政者に講義をする立場であり、中世文化に大きな影響を与えました。治世は儒教、治心は仏教といった役割分担の考えで、為政者たちの治世への関心に応えるために儒教を積極的に取り入れた側面もあるようです。
戦国大名が台頭し地方の力が強まった1500年代になると、地方の商人が外典や医学書など実用書を出版するようになります 。また、1439年に上杉憲実(のりざね)が再興した下野国(しもつけのくに)の足利学校は16世紀に隆盛し、フランシスコ・ザビエルが日本の最高学府と称したことで知られます。足利学校も禅僧が教師で儒学が中心でしたが、時代の要請に伴い兵学や医学も扱うようになります 。実用的な学問の需要と、それに応える動きが各地方で生まれていたのです。
なお、最高学府と称されたといっても、足利学校は学びたい者が必要な分だけ学ぶ同好会的な組織だったので、特に官僚制度とは結びついていませんでした 。それだけ国家による学問・教育制度が確立していなかったのですね。
この時代は、国家規模の学術組織や制度は発達しませんでした。ここまで、文理のような学問を二分する考えは生まれません。
3.江戸時代の学問 「窮理」・文理区分の萌芽
16世紀からは西洋の様々な技術が入ってくるようになりますが、基本的に測量や兵器など実用的な「術」を取り入れるだけで、「道」にはあまり影響を与えませんでした。基本的に儒学の「道」による世界理解は続きます。
江戸幕府成立後、キリスト教の拡大を警戒し「寛永禁書令」(1630年)など洋書を制限する政策が取られますが、徳川吉宗が享保5年(1720年)に漢訳洋書の輸入を緩和して以降、「蘭学」が広まりを見せます。「享保の改革」の一つですね。経済発展のための実学奨励という面はもちろん、吉宗は暦の改訂を目指し西洋の天文学に高い関心があったと言われています 。
また、江戸時代は民間の商業出版が栄えていき、仏書・漢書・軍書・医書・歌書・絵図など多彩な出版がなされます 。
公的な学問や教育の制度としては、武士の子弟の教育機関「藩校」が各地方に徐々に整備されます。やはり儒学が中心です 。1700年代には官僚登用「番入」の要件の1つとして「学問」もあったようですが、実質的には大体血縁で決まり、選考で選ばれる場合も武芸によるものでした。その後、「寛政の改革」において、寛政4年(1792年)に登用試験「学問吟味」が行われるようになります。
江戸幕府は儒学の中で朱子学という学派を取り立て、朱子学を伝える林家の私塾「学問所」(がくもんじょ)を幕府直轄とし(昌平坂学問所)、朱子学の奨励を進めました。いわゆる「寛政異学の禁」ですが、学問所での他学派の講義を禁じるだけで、全国的に制限したのではありません。とはいえ、「学問吟味」は学問所の儒者が担当するので、ある程度の影響力はあったと思われます。試験の内容は、教育を大きく方向付けますからね。
ただ、江戸時代は基本的には民間の私塾が盛んだったようで、藩校も私塾が母体になったものが少なくありません。基本的には、国家の影響力は限定的だったといえるでしょう。
さて、「道」が儒学であることは変わりませんが、儒学の中でも世界観の変化が生じてきます。主な儒学のうち、南宋の朱熹(1130-1200)からの朱子学は理気二元論、対抗して出来た王陽明(1472-1529)からの陽明学は理一元論でした。
理と気の解釈は今なお様々あるようですが 、一般に「理」は宇宙の根本原理、「気」は「理」に従って物質を構成する要素と捉えられています。「理」が形而上つまり人の認識が及ばないもの、「気」は形而下つまり人が認識できるものです 。
宋の朱子学は、人間の修養においては万物を貫く「理」を見極めるため一つ一つの理を突き詰めていく「窮理」、人間の本性「性」は「理」に基づくもので「情」に動かされず「性」に従って生きるべきという「性即理」を唱えました。
「神」という存在のあり方は大きく違いますが、理気二元論はヨーロッパの信仰と理性の分離に通ずる所はあるでしょう。ちなみに、形而上・形而下という言葉は、儒学の五経の1つ「易経」から取った言葉だそうです 。
朱子学から分派して生まれた陽明学は、「理」を外に求めるのは間違いであり、自らの心にこそ事物の理があるとする「心即理」を唱えました。学問の目的は、各人に生まれながらに備わった良知を実現する「致良知」であるとします。(「我思う、故に我あり」的と言えるでしょう。)
幕府の儒学は朱子学ではありますが、陽明学的な一元論が主流で、両者の影響を受けていました。日本の儒学の中でも様々な学派が生まれ、その中で、人間の問題と自然の問題は区別し、儒学を人間の問題のみ扱うとする考えも生じてきます。
江戸中期、後世の注に頼らず古典を当時の言葉で理解する古文辞学を築いた儒学者荻生徂徠(1666-1728)は、以下のように倫理と自然の道を分けました 。その倫理も、実用的な経世済民を志向した統治の道でした。徂徠は兵学書に分類される本も記し、政治・経済・社会風俗・軍事などの問題を実践的に論じました 。
先王の道は、先王の造る所也。天地自然の道にあらざるなり。蓋し先王聡明叡智の徳を以って、天命を受け、天下に王たり。其の心一に天下を安んずるを以って務となす。是を以って其の心力を尽くし、其の知巧を極め、是の道を作為し、天下後世の人をして、是に由って之れを行はしむ。豈に天地自然に之れ有らんや
(荻生徂徠『弁道』1717年、書き下し文:山中(1966) p.32)
文理っぽい道の分かれ方で、先王の道である儒学が人文社会科学にあたるように見えますね。
なお、徂徠は自然の道について積極的に規定することはなく、以下のように自然に対しては、朱子学の格物致知(=窮理)を批判し、不可知そのままにしておくという姿勢でした。
格物致知と申事を宋儒見誤り候てより、風雲雷雨の沙汰、一草一木の理までをきはめ候を学問と存じ候。
神妙不測なる天地の上は、もと知られぬ事に候間、雷は雷にて可被差置候。
(『徂徠先生答問書』1725年、書き下し文:井上・蟹江編(1970)p.158-159)
ルネサンス期にペトラルカが「どれだけ天体や草木のことを知っても、君たち自身について無知なら何になろう」と自然哲学を批判していた文言と重なる部分がありますね。(ルネサンスについては第4回参照)
自然一つ一つを極めていくことなど学問ではない、という主張が生まれるということは、自然一つ一つから真理を見つけようとすることが学問になりつつあったことの裏返しでもあります。
西洋学問「蘭学」は、医学・工芸・軍事技術など「術」として取り入れられていましたが、次第に蘭学者の中には、蘭学を物事の本質を捉える道「窮理」として解釈する者も現れ出します。
朱子学から広まった「窮理」という姿勢、それに対抗して人間を考える学問を純化する動き、これらは明治時代に入っての文理区分の土壌となっていきます。
(第12章へつづく)
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