9.「二つの文化」論と学際化 20世紀後半~現代
「文系理系」という区分を科学史で見てきたこのシリーズも、いよいよ現代です。
今回は現代の学問2分論の基礎となる、1959年のケンブリッジ大学講演「二つの文化と科学革命」(The Two Cultures and the Scientific Revolution)を取り上げます。後に出版された講演の内容は、60年代に科学界、そして文学界で大きな論争となりました。
なぜ文学の世界でも取り上げられたのかは、内容と著者のスノー(Charles Percy Snow 1905-1980)について見ていくことでわかってきます。
1.二つの文化論 科学者と文学的知識人
日本では「文系理系」区分を論じたと紹介されることもあるスノーですが、実際は文学的知識人(literary intellectuals)と科学者(scientists)を対極に置きました。なお、「知識人(インテレクチュアル)」が何かも大変難しい問題ですが、その点は別に記した「能力とは何か」の「9.反知性主義と「新しい能力」論」をご覧ください。
ここでの文学的知識人の代表は、伝統的な文学の専門家、科学者の代表は物理学者とされます。そして、両者の文化的断絶を指摘します。科学者は文学に、文学的知識人は科学に何の関心も示さず、その知識もないと述べます。また、使用される言語、例えば科学者の「主題的subjective」「目的的objective」「哲学philosophy」「進歩progressive」といった言葉の使い方に、文学的な人々は首をかしげるが科学者内では共通理解がある、といったように文化の違いがあると述べました。対話する気もないし、対話が成り立つ前提となる知識や言語文化も違う、ということですね。
なお、そんなキレイに文化が二分しているのかという点については、スノーも、科学でも応用と基礎ではまた違いはあることなどに言及しています。ただ、大きく2つに分けることができてしまうほどの文化的断絶が現実におきてしまっていること、そしてそれに警鐘を鳴らす意味で2つに分けています。反響が大きかったということは、そういった現実を薄々感じていた人が沢山いたということでしょう。
そして、その断絶は科学革命が起こった世界の人材育成において致命的になると論じます。なお、ここでの科学革命は良く用いられるバターフィールドが定義した17世紀ではなく、エレクトロニクスが隆盛した20世紀初頭からを指します。
科学革命の世界では一流の研究者だけではダメで、それを理解して使う人々が沢山必要である。科学者の知識、科学者の態度を広く養う教育が必要であると論じています。この認識は現代にも通ずるものですね。
一方で文学の意義は特に言及されていません。そのことから、スノーは結局科学者に軍配を上げたという評価もなされています。
スノーは物理学者かつ小説家でした。また、1940年からは官僚を勤め、大戦時には労働省の技術部長として、マンハッタン計画のためにユダヤ系の物理学者をアメリカに亡命させる任務などを行っていたそうです。科学の立場、文学の立場、そして政策に関わる立場として語っているのですね。
断絶はよくない、断絶させるような教育制度はよくない、という主張はその通りなんですが、一方でスノーの見通しは、科学の認識を広めれば世界は良くなるという短絡的で楽観的なものです。
科学の発展は貧しい者を富める者にする、全ての国でしなければならないという考えからは、単純で楽観的な進歩史観が見られます。また、科学者の文化は人種的偏見も少なく、民主的で人間平等の気質であると賞賛しています。前回述べたような戦争からの反省は、自然・人文科学問わずあったものですが、特に言及されません。(それなりに当事者だったのですが、だからこそ語らないのかもしれません。)
また、1963年にスノー自身が記した解説では、二つの文化のコミュニケーションを促す第三の文化が現れ始めているとして、例に社会史・社会学・政治科学・経済学・行政学などを挙げています。これら社会科学と言われるような学問分野は、文理区分では文系ですから、スノーの2分法と文理の分け方は必ずしも一致しない点は注意です。そもそも、人文科学についても、文学的知識人と人文学(humanities)の専門家は同じではないですね。
スノーの指す文学的知識人の範囲は「文系」より狭いものであり、当時のイギリスの権威的な学問社会への批判が念頭にあったと言えるでしょう。スノーの主張自体の妥当性はともかくとしても、「二つの文化」論は、人文学と自然科学の断絶を示すものとして広まっていきました。
2.学際化・総合化の動き
こうした二つの文化、そして各専門分野が断絶している状態はまずいという機運が高まり、1970年代には学際的(interdisciplinary)=複数の学問分野にまたがる研究が注目され始めます。他にも「総合」、そして「文理融合」なんて言葉は、まさしく文理の分断を無くそうと意図した名称ですよね。
それぞれの分野で学際的な研究という言い方も出てきますが、学際的・総合的な学問分野も登場してきます。
現在どのようなものが学際的な学問とされているのか、ここで前回用いた日本学術振興会の科学研究費助成事業における学問区分(H25-29年度)を見てみましょう。
総合系
情報学・環境学・複合領域(デザイン学・生活科学・科学技術史・博物館学・社会安全システム科学・健康スポーツ科学・脳科学…など)
(出典:日本学術振興会「平成29年度科学研究費助成事業 系・分野・分科・細目表」)
最も大きな区分は総合系・人文社会系・理工系・生物系の4つで、総合系では情報学と環境学が上位項目に入る二大巨頭で、他は複合領域の中に様々あります。
情報や環境は自然科学・理工系ではないのかと思う方もいるでしょう。実は、学際的分野の中で先駆けて広まったのが環境学です。これは70年代、公害問題への対応が急務となり、社会の要請によって急速に発展しました。環境問題は、物質的・技術的な問題だけでなく社会や市場との関係を考える必要があります。多数の人間との関わりを考慮せずして、問題解決はありません。
情報学も処理をする機器の技術だけでなく、人々がどう使うか、どんなサービスとなるか、どんな文化が生まれるか、といったことが現実的に問題となります。
学際的分野が全て問題解決を志向しているわけではありませんが、そうした傾向は強いです。そして、現実の問題に対処するためには分断している場合ではないという認識は、他の学問にも広まっていきます。
しかし、文系理系って認識は現在も広くあります。すでに社会に浸透した言葉であり学問の説明に使いやすいという点や、区分が教育に根付いている点などから、なかなか認識の変容は簡単ではないかなと思います。特に片方の理解を放棄する理由として、二分法は使いやすいですからね。
さて、これで世界の科学史は一通り終えました。今までやってきた流れを受けて、第1回で述べたSTEMといった今日の状況が生まれています。しかし、似たような二分法は世界にあれど、文系理系という区分は日本独特な部分もあります。よって、日本の「文系理系」の歴史も見る必要があります。(といっても、文理区分は明治期の教育制度・官僚制度から定着していったという点は、今まで見てきた世界の科学史に比べれば分かれ方が明確で、ここまで長くはならないでしょう。)
【9章の参考文献】
◆C.P.Snow“The Two Cultures and the Scientific Revolution”Cambridge University Press,1959(訳書:松井巻之助訳『二つの文化と科学革命』みすず書房、2011年)
◆Guy Ortolano“The Two Cultures Controversy: Science, Literature and Cultural Politics in Postwar Britain”Cambridge University Press,2009(訳書:増田珠子訳『「二つの文化」論争』みすず書房、2019年)
◆田中靖政「C・P・スノーの『二つの文化』論:高度技術社会の矛盾と亀裂」『学習院大学法学会雑誌』31(1)、p.35-75、1995年
◆塚原東吾「総合工学は細分化された工学の出口管理か?─パラダイムと二つの文化、価値選択」『学術の動向』22(12)、p.13-17、2017年
◆塚原東吾「『メタ科学』へのエクササイズ:『科学の公共性』,『科学者の社会的責任論』,『2 つの文化』などをめぐる最近の議論」『21世紀倫理創成研究』10、p.46-74、2017年
◆日本学術振興会『平成29年度科学研究費助成事業 系・分野・分科・細目表』2017年
◆大場淳「学際性の進展とその影響」『大学研究』19、p.181-199、1999年
◆祖父江孝男「学際的学問の成立」『日本不動産学会誌』10(3)、p.41-46、1995年
◆隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社、2018年
◆古川安『科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで』筑摩書房、2018年
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