8.20世紀 「人文社会科学」の登場と利用 ~人文学か人文科学か~

 前回は19世紀、現代につながる「研究と教育」を行う大学が成立し、伝統3学部以外の学部が登場しました。化学を中心とした自然科学の担い手を示す語として“scientist”が生まれましたね。

 今回はその流れを受けた、19世紀から20世紀にかけての「文系」学問の変化を見ていきます。いよいよ人文・社会科学という捉え方が登場するわけですが、その前に現在どんな学問を人文科学・社会科学と称しているのか確認しておきます。


 以下は、日本学術振興会の科学研究費助成事業における学問区分(H25-29年度)のうち、人文社会系とされたものです。


人文社会系 

○人文学:哲学、芸術学、文学、言語学、史学、人文地理学、文化人類学

○社会科学:法学、政治学、経済学、経営学、社会学、心理学、教育学

出典:日本学術振興会「平成29年度科学研究費助成事業 系・分野・分科・細目表」


 科学研究費ですが、名称は「人文科学」ではなく「人文学」となっています。なぜ科学という場合といわない場合があるのかは、今から見ていく「科学」の捉え方の違いに大きく起因します。

 まず、人文学と社会科学はどのように分けられているのでしょうか。文部科学省では「人文学は人間の精神や文化を主な研究対象とする学問であり、社会科学は人間集団や社会のあり方を主な研究対象とする学問」(科学技術・学術審議会2009)としています。ざっくりと「社会」に焦点が強く当たれば社会科学と呼ぶ傾向にはありますが、「文化」も社会で生まれるものですし、境界線は「文系理系」以上に曖昧です。

 では、なんでわざわざ2つの区分があるのでしょうか。呼び名が分かれていった経緯を今から見ていきましょう。



1.哲学から科学へ ~社会科学と人文学(人文科学)~


 元々、scienceという言葉はラテン語scientia(スキエンティア)=「知識」という意味でした。ただ、学問の頂点、学問全体を包括する言葉の座は、ギリシャ語philosophia(フィロソフィア)=「知恵(sophia)を愛し求める(philo)」に由来するphilosophyにありました。前回の19世紀ドイツの大学制度でも、諸学の頂点として哲学を置き、様々な学問を哲学部に含んでいましたね。

 第5回で扱った、17世紀に近代科学観の基礎を築いたベーコンは、一般に「知は力なり」で知られる「智識と人間の力は一致する」(Scientia et potential humana in idem coincidun)という言葉を記しています。これを短くしたフレーズ“scientia est potential”が広まりますが、英語では“Knowledge is power”と訳されました。science(scientia)はknowledgeとほぼ同義だったのです。

 その後、scienceにベーコン的な実験や観察を通して得た知識や学問を意味する用例が少しずつ生まれます。そして、前回述べたサイエンティストの登場で、scienceという言葉自体の地位が一気に上昇、次第に学問の総称の座をphilosophyから奪い取ります。哲学は時代遅れ、全ての学問は科学になるべきだという考え方が生まれてくるのです。他の学問も化学を中心としたscientistたちの方法を見習え、ということです。


 例えば、フランスのオーギュスト・コント(Auguste Comte 1798-1857)は、学問や人間の思考を3段階に分けました。現象を超自然的なものに根拠づけ説明する「神学・虚構的状態」(L'état théologique ou fictif)、抽象物を想定して説明する「形而上学・抽象的状態」(L'état métaphysique ou abstrait)、観察と実験に基づき説明する「科学・実証的状態」(L'état scientifique ou positif)です。(18世紀啓蒙思想で見た直線的な進歩史観も感じますね。)

 そして、数学・天文学・物理学・化学・生物学の順に実証的状態に至ったが、社会学(sociologe)はまだ抽象的状態から抜け出しておらず実証的状態へ移るべきだと主張しました。旧来の哲学から袂を分かつことで実証科学の1つになる、という考えです。なお、その後コント自身は感情が知性を包摂するという考えに変わっていくのですが、時代の流れに合った三段階の法則が広く知られています。科学を上位とし、科学こそが学問と考えたのです。


 経済学や社会学など新興学問は、19世紀後半から確証できないものを無意味と否定する実証主義(positivism)が趨勢となり、「社会科学」の括りを徐々に使うようになります。

 しかし、頑張って科学の仲間入りをしようとした社会科学ですが、今も一般的にはサイエンスとしてあまり見られてはいません。

 社会現象を捉えようとすれば、前回述べた変数多すぎ問題に加え、観察できなかったあるいはしなかったものの排除といった実証主義が批判を受けた問題にどうしても直面します。経済的・社会的に有用な数式など簡単には導けませんし、「科学技術」にも貢献できません。「役に立たへんやないか、お前なんか科学ちゃうわ」という扱いなのです。


 前回、“scientist”の登場で科学=実験する化学者のイメージが広まっていったことを述べました。「科学」の定義は今なお様々ですが、考え方の1つに、実験による仮説検証が可能なのが科学というのがあります。実験室で実験できるのがサイエンスという考えです。

 その点、社会科学の括りを使う経済学や社会学などは微妙です。どうすれば利益が上がるか、どうすれば犯罪が減るかという仮説検証はできますが、社会現象であるからには実験室のように雑多な変数を統制することができません。

 他にも、何を犯罪とみなすかが社会によって差異があるという定義づけの難しさなど様々あり、仮説検証「もどき」になってしまう危険性がどうしても化学実験より高くなります。教育も、取り組みで学力が上がるか仮説の検証はできますが、本当にその取り組みのおかげかを判断するのは難しく、そもそも学力をどう定義してどう測定したか、指標の妥当性も簡単ではありません。(このあたりの話は自作の別シリーズ「能力とは何か」で考察しているので、ぜひご覧ください。)

 とはいえ、同じ学問分野内でも仮説検証のしやすさは異なるので、あくまで全体的な傾向の話です。それに自然科学でも、全てが変数を完全に統制した仮説検証ではないですからね。


 一方で、従来の人文学(humanities)領域である歴史学や文学などはより個別記述的(idiographic)です。もちろん複数を比較して法則性や傾向が見出されることもありますが、出来事や作品はそれぞれ一回限り固有のものです。よって、社会科学とは異なり、法則定立的(nomothetic)なscienceと距離を置くことになります。実際“humanities”という語はscienceを含んでいませんね。(個別記述的/法則定立的という考え方はドイツのヴィンデルバント(Wilhelm Windelband 1848-1915)が記しています。)

 人文学に括られる学問は、そもそも仮説検証でないものが多いのです。

ただ20世紀に入ると、学問=scienceと見られるようになっていく合わせ、従来humanitiesであった分野が徐々にhuman scienceと区分される場合も出てきました。化学実験とは違うけど、学問って認められないのは嫌だから、仕方ないから科学って言っとくかって感じでしょうか。

 そうした距離感もあって今もscienceを使わない人が多数います。人文学と人文科学どちらの語も使われているように、自然科学と社会科学よりも呼称がばらけているのが「人文科学」です。

 例えばドイツでは、19世紀中盤にディルタイ(Wilhelm Dilthey 1833-1911)が、外的経験を扱う自然科学(Naturwissenschaft)に対する語として、内的経験を扱う精神科学(Geisteswissenschaft)という語を用いました。また、19世紀末にリッケルト(Heinrich Rickert 1863-1936)は、自然科学に対する語として、人間の文化を扱う学問を文化科学(Kulturwissenschaft)と称しました。どちらも自然科学に対する2分法的な分け方ですね。

 これらはどちらも現代のドイツ語でも用いられています。2つはかなり重なる語で使い分けは明確ではありませんが、比較的新しい分野が文化科学と呼ばれることが多いようです。

 総じていえるのは、人文科学と社会科学という括りは「科学」と呼ぶのかを含めて今なおとてもあいまいである、ということです。冒頭の様々な学問の区分も、便宜上で暫定的に分けているに過ぎないのですね。



2.人文社会科学の展開と利用 帝国主義・大戦の時代


 国家や戦争と科学の関係、そして科学者の責任という視点は2つの世界大戦の反省から広がり、1955年のラッセル=アインシュタイン宣言をはじめ、科学界の前提として広く知られています。これは化学を中心とした自然科学だけに限りません。

 人文社会科学も、19世紀後半からのこうした流れの中で、積極的に加担したり利用されたりしました。


 現代では人文社会科学の意義として、多様性や可能性を示して暴走を制止するという感じに言われますが、戦前はそういう認識はあまりなく、そうした姿勢はこの時代の反省をもとに生まれたと言えるでしょう。

 研究手法としてのフィールドワークの発端であり、現在では個別性を大切にする学問の代表格として捉えられる文化人類学や民族学といった領域は、1つの象徴的な例です。

 呼称は文化人類学(cultural anthropology)、社会人類学(social anthropology)、民族学(ethnology)、民俗学(folklore)など様々で、各国で意味も微妙に異なるのですが、とにかくこうした人間の文化を対象とする学問が19世紀に次々と現れます。

これらは帝国主義(imperialism)の論理を「科学的に」正当化していきます。もっとも単純なのは、植民地の文化や民族が「いかに遅れているか」を示すことで、野蛮・未開の人々を支配することを肯定します。(人間は進歩するという18世紀啓蒙思想からつながっている感じですね。)「遅れを取り戻させてあげなければ」という考えが善意であり、ヒューマニズムだと考える人々がいたということです。

 これも問題ですが、原住民の知的能力は文明の段階に発達することはない、だからプランテーションなど単純労働で搾取するしかないという論のパターンもありました。いずれにせよ、自分たちが進んだ側という傲慢が見えます。

 もちろん研究対象を劣等とみなす研究ばかりではありませんでしたが、支配を正当化する見方の研究が国家・社会に評価されていったと言えるでしょう。なお、「人類学(anthropology)」の中には自然科学的な手法もあり、数値含めあらゆる角度から自分たちが文明的であると証明する結果が歓迎され、19世紀末からの優生学(eugenics)にも繋がっていきます。


 また、現地人・先住民についての理解は、その地をどう支配するかという戦略のための情報、あるいは自国の労働者として役立つかという情報としても利用されました。支配地域だけでなく敵国の分析にも用いられるようになり、二次大戦時のアメリカでは日本研究が盛んに行われました。工業などの技術にはならなくても、戦略に役立つ情報という意味で「役立つ」学問となったのです。

 そして、研究上で○○族・○○民と区分して呼称することで、現地では決して明確なものではなく名称もなかった民族意識を生む、つまり学問が民族を作り出すということも生じてきます。

 現在では、研究者のフィールドへの参加はその場所の現状を変える可能性、理論が状況を作り出す・強化する可能性を考慮することは研究者の基本倫理です。影響を出来るだけ消すか、影響もみこして積極的に参与するかは研究内容やスタンス次第ですが、少なくとも影響についての自覚は必要です。

 メディアが存在しなかった社会問題を作り出すリスクをはらんでいるのと似た感じです。作ってしまった違いの意識が、後に対立の火種になってしまうこともありますからね…。

 むしろそういった影響力を利用して、自文化の分析が、自国民の民族意識を形成するために行われた面もあります。例えば、ドイツは多数の領邦国家からなり「1つのドイツ」としての意識が希薄でしたが、国民国家としての確立を目指し19世紀中頃から国民意識を育てようとドイツ民族(Deutsches Volk)という概念の形成が試みられます。歴史的かつ血統的な固有性を規定することは、1つの国民としての意識を持つべき理由を作ることになったのです。


 なお、文化の学問の利用は、挙げてきた国以外でも様々行われました。例えば、ソビエト連邦は多数の共和国・自治州・自治管区など自治権の度合いが様々な区分で構成されており、民族学はそうした民族政策や区分に利用され、人々の民族意識に影響を及ぼしました。英米仏独に限らず、世界的な流れだったということです。

 ルネサンス期から人文学(humanities)は「人間性」の探求だったわけですが、行きついた戦争の惨劇を契機に、「人間性」の意味は大きく転換したと言えるでしょう。


 いよいよ20世紀までたどり着きました。次回、1960年代に広まった「二つの文化」論と、それに対抗する総合化・学際化の動きを扱って、世界史編は一区切りとします。


(第9章につづく)


【8章の参考文献】

◆日本学術振興会『平成29年度科学研究費助成事業 系・分野・分科・細目表』2017年

◆文部科学省 科学技術・学術審議会 学術分科会『人文学及び社会科学の振興について(報告)-「対話」と「実証」を通じた文明基盤形成への道-』2009年

◆加藤寛治「科学技術概念の整理・明確化の試み:人間の認知行動 モデルに基づく」『年次学術大会講演要旨集』25、p.460-463、研究・イノベーション学会、2010年

◆高岡義幸「研究の科学性を高める要件 ―科学の思考法と研究方法を中心として―」『広島経済大学経済研究論集』37(2)、p.1-16、2014年

◆金山弥平「哲学と幸福 ―ソクラテス的『哲学の勧め』とプラトン的高等教育」『名古屋高等教育研究』11、p.5-22、2011年

◆早川洋行「社会学と実証すること:コント、J. S.ミル、アドルノ、ポパー」『現代社会学理論研究』9(0)、p.28-40、2015年

◆千石好郎「オーギュスト・コントの社会再組織論」『松山大学論集』17(2)、p.403-421、2005年

◆庄司武史「清水幾太郎のオーギュスト・コント解釈:社会的現実と『歴史哲学』への志向をめぐって」『ソシオサイエンス』18、p.1-16、2012年

◆杉本隆司「オーギュスト・コントの歴史哲学と社会組織の思想:フェティシズム論からの解読」『一橋論叢』130(2)、 p.115-135、2003年

◆高島進子「論語と社会学」『関西学院大学社会学部紀要』15、p.1-14、1967年

◆矢倉英隆「パリから見えるこの世界 第48回オーギュスト・コントの人類教、あるいは『科学の形而上学化』の精神」『医学のあゆみ』258(11)、p.1085-1089、2016年

◆ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『大学の人文学に未来はあるか?』慶應義塾大学教養研究センター、2007年

◆隠岐さや香『文系と理系、21 世紀から振り返る「2 つの文化」問題』(本田財団レポート180)本田財団、2020年

◆難波美和子「Humanities=人文学、Astronomy=天文学? :人文学を捉えなおす」『文彩』11、p.57-54、熊本県立大学文学部、2015年

◆岸本美緒責任編集『歴史学事典11 宗教と学問』弘文堂、2004年

◆田畑稔「人間科学の概念史のために」『大阪経大論集』54(5)、p.99-129、2004年

◆大野篤一郎「自然科学と精神科学の分類を回るディルタイとヴィンデルバントの論争」『哲学論叢』16、p.89-106、1985年

◆家髙洋「質的ケース・スタディの正当性:『ケースの知』と『個別』,そして『普遍』」『東北医科薬科大学教養教育関係論集』30、p.23-52、2016年

◆リッケルト著、佐竹哲雄・豊川昇訳『文化科学と自然科学』岩波書店、1939年(原著Heinrich Rickert “Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft”1899)

◆原尻英樹『文化人類学の方法と歴史』新幹社、2015年

◆小原俊文など「特集 人文・社会科学の可能性」『尚絅学院大学紀要』71、p.1-29、2016年

◆小泉潤二・池田光穂・鈴木紀『中米地域先住民族への協力のあり方』JICA国際協力総合研修所、2006年

◆森明子「ドイツの民俗学と文化人類学」『国立民族学博物館研究報告』33(3)、p.397-420、2009年

◆菅豊「民俗学の悲劇 ―アカデミック民俗学の世界史的展望から―」『東洋文化』93、p.3-53、2012年

◆子安加余子「近代中国と民俗学―周作人・江紹原・顧頡剛」『福井大学教育地域科学部紀要 第1部 人文科学』 56、p.21-42、2005年

◆島村恭則「社会変動・生世界・民俗」『日常と文化』6、p.27-35、2018年

◆佐々木史郎「ソビエト民族学の理論と西側人類学との対話」『国立民族学博物館調査報告』78、p.31-63、2008年

◆関三雄「『ドラキュラ』 というテクストあるいは 19 世紀西欧における人類学と進化論的状況:Victorian Era の思想的断面」『山陽論叢』16、p.95-108、2009年

◆竹沢尚一郎「人種/国民/帝国主義:19 世紀フランスにおける人種主義人類学の展開とその批判」『国立民族学博物館研究報告』30(1)、p.1-55、2005年

◆三瀬利之「帝国センサスから植民地人類学へ:インド高等文官ハーバート・リズレイのベンガル民族誌調査にみる統計と人類学の接点」『民族學研究』64(4)、p.474-491、2000年

◆飯田香穂里「欧米における優生学とその影響」『科学と社会2010』p.477-498、総合研究大学院大学学融合推進センター、2011年

◆隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社、2018年

◆古川安『科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで』筑摩書房、2018年

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