第15話 幻の微笑み
電車に小一時間揺られて上野駅に着いた。
平日の午前中にもかかわらず駅は混雑している。
スーツを着た男性、子供連れのお母さん、カメラを持った外国人。それぞれがそれぞれの目的のために行き来していた。
その中で揺れる薄紫と薄桃の髪は良く映えている。
すれ違う人々がチラチラと四人を見ながら通り過ぎて行く。
その四人の後ろを静かに俺はついていく。一応、
駅を出て、横断歩道を渡り上野動物園へと続く上野公園の一本道へと入る。
一つ目のチェックスポットを動物園に決めたのは
どこへ行くかは香花たちに任せていたから、どんな話し合いがあってここに決まったかは知らない。
俺はどこでも良かったから。それに俺の意見で決まった場所で皆が楽しめなかったら申し訳ないとも思うし……。
上野公園も人々で賑わっていた。
元気な子供たちの声がそこかしこから聞こえてくる。
頭上では桃色から緑色へと変わりつつある木々が風に揺られていた。
残り少なくなった桜の花が風に乗ってひらひらと舞う。それを追いかけるように小さな子供たちが駆けまわる。
それに混じるように蕾來が駆けだす――。
……いや、高校生にもなって走り回るなよ。
「あははー、元気だねライ姉」
苦笑い気味の香花が歩くペースを落として俺の隣に並んできた。
「いつも通りだろ」
「まあね」
そう言って香花は
「今日はどうするか決まってるのか?」
「……とりあえず、話しかけてみる」
それだけかよ。
香花は勉強できるはずなんだけどな……。こういう大雑把な考え方は蕾來に似ているのかもしれない。
「それに、動物園なら可愛い動物がいるから和むでしょ」
「だから動物園にしたのか」
「うん」
そういうのは一応考えてるんだな。チェックスポットを思い返してみると確かに和むのはここだけかもしれないと思った。
皇居に明治神宮、東京タワーなんかもあったがいまいち和めそうにはない。
「
「ああ」
そう言うと香花は早速唐子と杏の元へ向かった。
香花は後ろから静かに近づいていき、「わっ」と言いながら唐子の肩を両手でたたく。
「きゃっ……」
可愛らしい声が唐子の口から洩れた。それを見て香花はおかしそうに笑う。
そんなことしたら余計に嫌われるだろ……。大丈夫か……?
と思ったら案の定唐子は怒った。
「いきなり何すんの!」
「アハハ、ごめんごめん。可愛かったよ!」
「……っ」
しかし、それ以上言葉は続かず笑顔で謝る香花に唐子は不機嫌そうな顔を向けるだけだった。
「そんな怖い顔しなくても……冗談だよ……」
杏が唐子に向かって言う。
「わかってるわよ……」
唐子は低い声でそれだけ言うと香花から距離を取り、杏と並んでまた歩き始めた。
杏の反対隣には香花が並んだ。
その後ろを見守るように俺もついていく。
「二人は何の動物が好きなの?」
「わ、私は……ウサギ、かな……」
「ウサギかぁ~。可愛いもんね」
「……うん」
相変わらず自信なさげに話す杏だが、香花とはそれなりに打ち解けてきたようだ。夕食の時間に二人の会話を聞くことも増えた。
蕾來ともたまに話しているが、蕾來は基本的に自由人なので流れで会話に参加したり参加しなかったり、自分の思うがままに振舞っている。
その蕾來はというと俺たちの遥か先で見知らぬ小さな子供たちとはしゃいでいた。
……本当に高校生だよな……?
はしゃぎ具合が周りの子供たちと変わらなかった。
俺の目の前では引き続き会話が進んでいる。
「唐子は何が好きなの?」
「……………………」
「お、お姉ちゃんも……ウサギ、だよ……」
「ちょっと! 杏!」
勝手に暴露された唐子は焦っていた。
「へぇ~可愛いじゃん」
それを見て、香花は少しからかうように笑っている。
その反応に唐子は恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
好きな動物が何であろうと別にいいと思うけどな。そんなに恥ずかしがる必要があるだろうか。
「……香花ちゃんは、何が好きなの……?」
「私は馬だよ。くりくりした目とか、綺麗な鬣とか良いと思わない? あと、走ってるのがカッコイイ!」
あ、俺と同じだ。馬が走るのカッコイイよね。
「へぇ~、そう、なんだ……」
「あれ、あんまりささらない?」
「ちがっ……くて、そこまでちゃんと、馬……見たことないから……」
「じゃあ、後で見よっか!」
「うん」
二人が会話が弾む一方で、唐子は一切口を挟まず前方を向いて歩いている。
「唐子と杏はなんでウサギが好きなの?」
「……お母さんが、ウサギが好きで……昔から家に、ウサギのぬいぐるみが、あったから、それで……」
「へぇ~。今度見せてよ!」
「ダメッ!」
それまで全く会話に入ろうとしなかった唐子がいきなり声を上げた。鋭い、そして悲鳴にも近いような声。
「えっ……ごめん……」
それを聞いてさすがの香花も笑顔を崩した。
「お姉ちゃん……そんな言い方、しなくても……」
「…………ごめん」
杏に
「いいよ。ちょっとびっくりしちゃっただけだから」
香花の顔にも笑顔が戻った。
杏はまた申し訳なさそうに香花を見ているが、香花が「気にしないで」と伝えるとその顔も安堵の表情へと変わった。
なかなか縮まらない距離で会話をしながら歩いていると、目の前に動物園の入り口が見えてきた。
蕾來が子供たちと待っている。
「おねえーちゃんたち、どーぶつえんいくの?」
「そうだよ~」
「いいなー」
「いいでしょ~!」
子供たちと話す蕾來は屈託のない笑みを見せていた。
「おっ! やっと来た~」
「ライ姉が早すぎるんでしょ」
「あはは~」
「じゃあ私、チケット買ってくるから。お金はあとでいいよ」
そう言うと、香花はチケット売り場へ向かって行こうとする。
「わ、私も……行く……」
その背中に杏が声を掛けた。
「じゃ、一緒にいこっか」
杏にしては珍しい行動だと思う。
これは男として俺も行くべきなのだろうか。それに、唐子もいるしちょっと離れといたほうが良いか? 迷う。
しかし、迷っている間に香花と杏はそろって行ってしまった。
残された蕾來と唐子と俺。そして、数人の子供達……。
その子供たちの中から白いワンピースを着た少女がトコトコと俺に近づいてきた。
「おにいちゃん、でーと?」
少女は無垢な目で尋ねてくる。
「えっ…………」
突然の質問に数秒固まってしまった。
「んーん、違うよ」
「おとことおんながいっしょにいたら、でーとだってママがゆってた」
お母さん何教えてんの……。
「デートじゃないこともあるんだよ」
なるべく優しい声音で伝えてみる。小さい子を相手にするのはなかなか難しい。
少女は呆けた顔をして俺を見つめている。理解できなかったかな。
「そーなんだー」
考えるのに疲れたのか、少女はそれだけ言ってほかの子供たちのほうへ戻っていった。
目移りが早いな。
ほかの子たちともうわちゃわちゃしている。
子供たちを目で追っていると、今度は皆して唐子のほうへ近づいていった。
「ぴんくのかみのけ、かわいー」
「きれー」
「いいなぁ」
口々に唐子に話しかける。
大丈夫だろうか。さすがに怒ったりしないよな。仏頂面しか見たことがない俺としては不安になる。
だが、それは杞憂だった。
風が吹き、唐子の薄桃の髪が舞った。遥か彼方から降り注ぐスポットライトが唐子の横顔を照らす。そこに映るのは今までに見たことがない、女神のような微笑みだった。
「ありがとう」
唐子は微笑みを浮かべたまま子供たちの髪を優しくなでた。
「皆の髪も綺麗よ」
そんな顔もできるのか。不意打ちに心臓が跳ねた。
「お待たせー。ってどうしたの?」
そこに、香花と杏が戻ってきた。香花は俺の顔を訝しげに覗いている。
唐子に見とれすぎていたかもしれない。
慌てて香花に視線を移す。
「いや、何でもない」
「そっか。それじゃ行こう」
「ああ」
もう一度唐子のほうへ視線を送ると、子供たちはまた蕾來のほうに移動していて残された唐子の姿だけがそこにあった。
唐子がチラリとこちらを向く。
その顔はいつもと同じ仏頂面に戻っていた。
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